22

 青年は些か渋い顔になり、それでも仕方ないといった具合に、

「あの程度の瞬間芸で信じてくれというのが、きっとおかしいんでしょうね。けど、自分に嘘を吐くのはもっと嫌ですから」

 飛駆に向け、思念を送る。最初の読心時に感じた抵抗感もない。

「僕は、自分の力を信じています。呼び方は何でも構いません。異能力でも超知覚でも超能力でも」

 額の反応は微弱だ。飛駆の内面に、虚偽の意識を見出すことはなかった。

「空ちゃん、あなたはどう?」壱八からのサインを眼に留めた将門は、直ちに質問相手を変えた。「わちきどもは、あなたが異能を使う場面を映像でしか眼にしたことがありません。あなたも本物の異能力者なのかしら」

 その問いに、ベンチの二人は引き合う磁石の両極の如く、反射的に身を寄せ合った。青年の顔が見る見る硬く強張った。少女を庇うように身構え、上目遣いに質問者を睨みつけた。自分への質問に応じたときとは比べものにならないほど、その顔つきは威嚇的だった。

「空を、そんなふうに言うのは、やめてくれませんか」

 力のない声だが、声量に欠ける分、懇願とは意を異にするはっきりした排斥の感情がひしひしと感じられた。

「僕のことはどんなに疑ってもらっても結構です。けど、この子は」

 将門の位置からでは、身を固くして顔を伏せた少女の様子は、飛駆の陰になって視界に入らないだろう。他方、ベンチ脇に佇む壱八は、少女の姿を難なく眼に収めることができる。むろん、表情や言葉には現れない彼女の内心もだ。

 口に出して答えを言わない以上、相手心理から確かなイエスあるいはノーの感情を引き出すのは難しい。いくら回数をこなしても、基本的な読心機能の向上する気配はついぞなかった。

 この感情は、多分、イエスだろう。壱八にはその程度しか判らない。確実な解答は、彼女が返事をしない限り何とも言えない。

 将門に向けられた飛駆の双眸に、これまでに見たことのない、思考の消失した光なき色が浮かんでいた。

「僕に不思議な力が芽生えたのは、六年前でした」青年は咄々と語り始めた。「僕が小五のときのお正月に、両親が僕と妹を、新潟にいる母方の、祖父母の家に連れていってくれました」

 妹。

 壱八は一字一句聞き洩らすまいと耳をそばだてた。

「妹さんですか」

「はい、名前はめいといいました。祖父は元気でしたけど、祖母は数年前から認知症に罹っていて。でも、とても優しい二人でした。新潟の家に泊まっている間、僕と妹は祖父母と同じ部屋で寝ることになりました。初めて泊まったその翌日、盟と祖父母が、寝室で亡くなっていたんです」

 感情を堪えているのか、それともこの話をするときは自然と感情が死ぬのか、飛駆の声は棒読みに近かった。

「死因は、一酸化炭素中毒による呼吸困難でした。蒲団に入ったときにはなかった炭の火鉢が、火の点いたまま寝室に置いてあったんです。新潟の冬は、都会育ちの子供にはきついだろうと、優しい祖母が夜中に用意してくれたんでしょう。僕だけが、寝室の廊下で倒れているのを両親に発見され、病院で息を吹き返したそうです。その前後のことは、全く憶えていません。僕はドアの一番近くで寝ていたから、無意識のうちに部屋の異常を知って、廊下に出ることができたのだろうと、警察の人は後でそう言っていました」

 聞くのも辛い過去の事件に、空が泣き出しそうな顔で下を向いている。

「それからです。僕の身の回りで、妙なことが起こり始めたのは。手に取ろうとした物が勝手に僕の所へ近づいてきたり、見えるはずのないものを頻繁に眼にしたり」

 物体を自在に移動させるのは、壱八にも最初に現れた念動の能力だが、見えるはずのないものを見るとはどういうことなのか。残念ながら、とてもその内容を聞き出せる雰囲気ではなかった。黙って話の続きに聞き入るしかない。

「初めは、原因が自分にあるなんて思いもしませんでした。状況を観察しているうちに、それらの現象が凡て僕の思考と関わっていることに気づいたんです。これが、本やテレビで眼にする超能力、今で言う異能なのか。どうしてそんな能力が身についたのか。死んだ盟が、僕にその力を与えてくれたのか。子供だった僕は、単純にそう信じました。今もその思いは変わりません。妹と祖父母のために、僕は自分の力を信じ続けなければならない。誰が何と言おうと」

 壱八は共感を覚えずにいられなかった。大切なのは他人の共感を得ることではなく、己の心持ちに正直であろうとする姿勢なのだ。結果的にここまで飛駆を追い詰めた将門を、憎らしくさえ思った。

 青年の瞳には、信念の眩い光がいつしか灯されていた。狂信でも盲信でもない、強烈だが抑制の効いた、啓明の輝きが。

「自分の力を確信した僕が、真っ先にそのことを報せたのが、ここにいる空でした。空にせがまれてトランプの透視や物体移動を見せていたら、この子にも、僕と同じ能力が現れたんです。僕の能力が伝染ったのか、この子自身の力が、僕の能力をきっかけに目覚めたのか。原因は僕にも判りません」

 スプーンだった。青年の真摯な眼差しは将門にではなく、その手にあるスプーンに向けられていた。異能力の証明の定番でもあったスプーンは、飛駆にとっては複雑な感情を喚起させる、特別な存在なのかもしれない。

「ただ、空のことをとやかく言うのだけはやめてくれませんか。この子は本当に、本当の異能を持っているんです」

 飛駆が言葉を結ぶよりも早く、少女の長い髪の毛がふわっと浮いた。拙い動作でベンチから立ち上がり、空は危うい足取りで占い師のほうへ近づいていった。手つかずのコーヒー缶が一本、ベンチの片隅にぽつんと置かれていた。

「空、待て」

 慌てて制止の声をかけた飛駆だが、空は止まらなかった。将門の手前に来てようやく脚を止め、震える声で、

「スプーンを、貸してください」

「……ええ、どうぞ」

 スプーン曲げを実践することで、自身の能力を証明しようというのだ。

「空、お前」

 スプーンを受け取り、空は潤んだ眼を青年に向けた。

「飛駆兄ちゃん、こないだ、朱良さんたちの前で、スプーンを折ってみせたよね」

 幼さの中に毅然とした決意を秘めた少女の顔は、痛ましいほどにひたむきな想いを留めつつ、なおも壱八の眼には、声にならぬ不安に感染されているように映った。

「やってみる。飛駆兄ちゃんも、ちゃんと自分の力を見せたんだもん。わたしだって」

 白くて細い少女の指が、銀のスプーンを掲げ持つように握り締める。飛駆はそんな空の背後に回り込み、小さな肩に手を乗せて、

「力み過ぎ。いつも通り、リラックス」

「うん、判ってる」表情を緩ませ、空が微笑を投げ返す。「飛駆兄ちゃんの陰に隠れてばっかじゃ、いつまで経っても強くなれないもんね」

 児童公園の片隅に、街灯の光を鋭く跳ね返す銀色のスプーンと、固唾を呑んでそのスプーンを凝視する四人の姿があった。

 爪の先が、銀の胴体を撫でるように這い上がる。スプーンの最も細い箇所で、指は止まった。

 血色に乏しい少女の唇が、微かにおののいていた。よく見ると、単に緊張で震えているのではないらしい。何かおまじないのようなものを、口の中で唱えている。くぐもりがちな詠唱の内容は、壱八の耳には全く届かなかった。

 再びスプーンの柄を両手に持ち替え、空は両唇を閉ざした。

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