23

 何の予兆もなく、それは訪れた。湿気った癇癪玉を思わせる、小さな破裂音。

「きゃっ!」

 スプーンの先端が、急勾配の放物線を描いて前方に吹き飛んだ。

 将門のバックレスの靴にぶつかり、哀れにも切断されたスプーンの首は、砂っぽい地面の上にずしりと転がった。

 声も出ない壱八の傍らで、将門は小さく唸って空の指先にまじまじと見入った。

 少女の念動力は、ともすると青年に匹敵する、いや、それを超越する威力なのではないか。指でもぎることなく、頭部を柄から切り離す手法は共通だが、スプーンのちぎれ方がまるで違った。空の手に握られたスプーンは、彼女の視線から身を剥がすかのように、頭部だけ手の内から飛び退いた。その際、バチンという鈍い破壊音すら発せられたのだ。

 吹き飛び具合からして、スプーンの柄には相当な衝撃、圧力が加わったはずだが、将門が拾い上げたスプーンの切断面は、実に平坦で綺麗なものだった。その点は飛駆の事例と一致していた。

 視線を交わし、若き異能力者たちは放心したように口許を綻ばせた。実験台となったスプーンは、将門が自分で調達したものだ。自前のスプーンにわざわざ細工を施したとは考えられないし、ありがちな擦り替えトリックも壱八の眼では捉えきれなかった。

 更に、今では壱八自身が異能力の体得を自覚している一人なのだ。他者への懐疑は、当然の如く薄れていた。

「今のは、ちょっと凄かったですね」

 冷静な口調で告げ、将門は口に垂れた横髪を振り払った。微妙な動きに、壱八は読心すべきか否か判断に迷った。合図が多すぎて、髪をいじるのが癖になったわけではないだろうが。

「あなたも本物の異能者だったんですね、空ちゃん?」

 あれも合図か。

 事実、そう口にした直後、質問者は妖しく濡れた紅茶色の双眸を刹那の間壱八に向けた。

「はい」

 自信を取り戻した返答が、血色の戻った少女の唇から洩れ出た。

 急遽読心能力を解放し、心理を解読する。

 彼女の返事に嘘偽りはない。何より現実にスプーンを吹き飛ばすのを見たばかりなのだ。思考に否定の亀裂を見出せずとも、驚くには当たらなかった。

「君たちの力が本物だということ、よく判りました。疑うような真似をしてごめんなさい。壱八君がこの眼で見るまで信用できない、どうしても確かめろって言うものですから」

 頭の取れたスプーンの柄を空から受け取り、将門は平然と言ってのけた。

「おい、あのなあ」

 ダシに使われたばかりか、責任まで転嫁されては立つ瀬がない。占い師に抗うべく口を開きかけたが、他の二人がすっきりした爽やかな眼差しで自分を見ているのに気づき、苦笑交じりに身を引くしかなかった。

 飛駆と空が完全な異能力者であり、つまり自分の同類でもあるのだという厳然たる事実が、将門への不満を緩和させると同時に、二人に対する一種の連帯感めいた感情まで壱八に抱かせていた。たとえそれが甚だ身勝手で一方的なものだったとしても。

 壱八と青年に共通していたのは、異能力を発現させる過程において、脳に多大なダメージを経験していたことだ。階段からの転落による頭部への衝撃と、一酸化炭素中毒による極度の酸欠状態。詳細は違えど、いずれも脳に機能的傷害や後遺症を遺す可能性があったのは確かだ。少女のケースはよく判らないが、こと飛駆に関しては何らかの脳内異常が関わっていると見てまず間違いない。

「僕は、やらなくていいんですか」

 ゆとりのある声で飛駆が尋ねてきた。少女の成功がよほど嬉しかったと見える。

「その必要はないですね。君のスプーン曲げは、いえ、スプーン壊しですか、前に確認済みですし、スプーンの用意もこの一本だけですので」

 降参の印か、スプーンの柄を無造作に後ろの砂場に放り捨てると、将門も清々した面持ちで息を吐いた。

 眼の輝きを静めた飛駆が、すいません、スプーンを台無しにしてしまって、と小さく頭を下げた。

「いえいえ、気にしないでください。にしても、凄い力でしたね」

「飛駆兄ちゃんがいると、調子いいんです」

 上気したように両の頬を染め、空が応じた。

「けど、君たちみたいな凄腕の異能力者、そうそういるとは思えませんね。二部の候補生たちや他の出演者も、全員が全員強力な念動力を持ってるわけではないんでしょう」

「どうなんでしょう。空以外の異能力者には会ったことがないので、僕には何とも」

 壱八は名乗り出たい衝動をぐっと怺えた。スプーンの柄を浮かせるくらいならできるだろうが、今ここでそんな芸当を披露するのは無粋でしかない。後で占い師にこっぴどく怒られるのも眼に見えている。

「ただ、僕の場合、自分の力を自由に使いこなせるようになるまで、だいぶ時間がかかりました。その点、空は呑み込みが早くて、すぐに僕と同じかそれ以上になりましたけど」

 恥じらいに俯く少女ににっこり微笑みかけ、将門は、

「そうですか。前に番組で拝見しましたが、お二人は念動だけでなく、透視能力もお持ちでしたよね。他の能力はどうなんでしょう。例えば、他人の心をテレパシーで読み取るとか」

 明らかに壱八を念頭に置いての発言だろうが、青年の返答は素っ気ないものだった。

「僕には無理です。もっと熟達すれば、使えるようになるかもしれませんけど、テレパシー能力が発現する確証はまだないですね」

「異能者同士で心を通い合わせることもないと?」

「空と僕がですか」

 相変わらず伏して動かぬ少女をチラッと見て、飛駆は何とも面映ゆげに、

「それもないです」

「では、空間移動はどうでしょう。いわゆるテレポーテーション」

 続けざまに尋ねる将門。異能に興味はないと公言しておきながら、立て続けに問いかけた真意はいずこにあるのか。

 どのみち合図がない以上、壱八の出る幕はない。ただの雑談として傍観するだけだ。

「テレポーテーションですか」唇の端を噛み締めるような苦笑いを浮かべ、飛駆はさらりとした口調で、「もしテレポートが可能なら、ここから姿を消すこともできますかね」

 まあそうですね、と微笑む占い師。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る