21
「はい」
細く掠れた声が、辛うじて耳に届いた。
飛駆の偽証に続き、もしや彼女も、という壱八の予想は敢えなく外れた。空の心理に否定を示す分裂は起こらなかった。彼女は事実を述べていた。
飛駆だけが、第一の事件のアリバイを偽っていたことになる。
かなり遅めの下校らしい、子供たちの群れ騒ぐ声がどこからか聞こえた。
「さて、次は十条教授についてですけど、その前にですね」
壱八の合図を受けた質問者は、電子タバコのボタンを数回押して懐に仕舞い込むと、少し声色を変えて、
「独自に入手した情報なのですが、霊能者塞の神紀世が毒殺された際、他の出演者の飲み物からも致死量のトリカブトが検出されたそうで。お二人ともご存知でしたか?」
驚いた様子もなく、同時に頷く二人。後で南さんから聞きました、と代表して飛駆が答えた。
「そうでしたか。君たちも事件に関する事柄をある程度聞き及んでいると。すると南プロデューサーも、警察の捜査内容を知りえる立場にあったわけですか」
将門は重ねて質したが、その口調はどちらかというと自問に近かった。
「そこまでは僕にも。ただ、南さんや、渕崎さんもそうですけど、色々教えてくれました」
「色々とは、事件に関する諸々ですか」
「はい。僕や空は、正直聞きたいとも思ってないんですけど」
飛駆青年の暗然たる表情に、それでも聡明な眼光は失われていない。見かけによらず、なかなか強かなところもあるのかもしれない。青年の理知的な眼差しに、今度は壱八が警戒する番だった。
「大学教授の事件のアリバイも、最初の事件と似たり寄ったりでしたね。飛駆君、もう一度お訊きします。十条教授が殺されたとき、確かに君は自分の部屋にいたんですね?」
合図込みの質問に、壱八はこれまで以上に細心の注意を払い、読心能力を解放した。
「はい、そうです」
どんな些細な嘘も絶対に見逃さない。仮面の下に隠された本当の顔を、心の眼で暴き出してみせよう。
いつにない意気込みは、結局空回りに終わった。飛駆の内面に、先程のような亀裂は現れなかった。証言は正しかった。大学教授の殺傷事件発生時、彼は自室にいたのだ。拍子抜けの吐息を洩らし、将門に肯定の意を示した。
大賀飛駆のアリバイ証言中、クロだったのは筧要殺害時のみ。
「では、空ちゃんの番です」
少女に眼を移し、軽く髪を掻き撫でながら将門は言った。そのあまりに自然な所作に、危うく読心の合図であることを忘れるところだった。
「どうでしょう。あなたもそのとき自分の部屋にいたんですか?」
「はい」
一つ前の返答と寸分違わぬ、弱々しい声つき。
しかし、壱八の心中に浮かび出た少女の内面は、異なる様相を顕示していた。
否……否、否……否否否、否否否……。
思考の亀裂だった。彼女は嘘を吐いている。
人間は自らの脳に支配された生き物であり、支配されないでは生きていくことすらままならない生き物だ。たとえ聖人や大悪党であろうと、自分の心に意図的に嘘を吐くことはできない。ましてそれが十四、五の少女であれば。
質問者にそっと証言の偽りを示し、壱八は痛痒感の残る額を爪で引っ掻いた。
ふむ、と口に手をやり、何やら考え込んでいる様子の将門。これまでの読心結果を検討しているのだろうか。
最初の筧要殺人事件では、飛駆にアリバイがないことが判った。三番目の十条教授殺人事件では、空のほうにアリバイがなかった。かつ、双方とも偽のアリバイを主張していた。
この二つの偽証が、今回の事件にどう関わっているのか。興味は尽きないが、アリバイ調査は壱八の領分ではなかった。将門は鼻で笑うだろうが、壱八にとって重要なのは、最後の質問を切り出すタイミングだけなのだ。それ以外の細かい齟齬は、将門があれやこれやと頭を悩ませ、適当に組み立て、繋ぎ合わせてくれればいい。
「アリバイに関しては、まあ、この辺にしておきましょうか」
背負った荷を降ろしたような重い吐息に続き、将門は腰に手を当て、日の落ちた金網の周辺をキョロキョロと見渡した。ベンチの二人も安堵の表情で姿勢を崩す。身近な空気がふっと軽くなったように思えた。
やがて将門は何もない中空に視線を投げ、徐に自分の懐に手を差し入れた。電子タバコか?
「〈ガダマダ〉の事件とは、全然関係ないんですけど」
壱八の予想は外れた。
前置きの後、将門が懐から取り出したのは一本のスプーンだった。ステンレス製の、よくある銀色のスプーン。
何かを言おうとした飛駆が言葉に詰まり、無言のまま将門とスプーンを交互に見比べた。隣に座る空も、夢から醒めた直後のぼんやりした表情を小さな顔に浮かべ、きょとんとした眼で占い師を見据えた。
「何の真似だ」
壱八はわざとらしく将門に声をかけたが、相手の意図は瞭然だった。
「この間拝見した、飛駆君の異能力。念動力とでも呼べばいいんでしょうか。わちき自身は興味ないんで、さほど実感湧かなかったんですけど、そこにいる壱八君が間近に見てなかなかショックだったみたいで。どうしてもあの能力を実演してほしいって言って聞かないんですよ」
「おい」
自分をダシに使われて全くいい気はしなかったが、彼らの持つ異能の真偽は壱八も知っておきたかったので、敢えて反論はしなかった。
それよりも、現実主義者の口から異能力に関する言説が飛び出したことに、むしろ驚かされた。何か思うところがあるのか。壱八の様々な能力を知ったことで、多少は飛駆たちの超常的な力にも関心を抱き始めたのかもしれない。
「いいですよ」
青年がすっくと立ち上がり、長らく手にしていた缶コーヒーの中身を一気に飲み干した。プルタブを開ける音も、素振りすらもなかった。
「僕は構いません。使ったからといって、減るものでもないし」
飛駆の口調には、諦観や開き直りとも違う、何か冴え冴えしたものすら感じられた。
青年の顔色を窺っていた将門が、一瞬だけ壱八に目配せした。読心の合図とは違う。彼、もしくは将門本人から注意を逸らすなと、そういった意味のアイコンタクトだろう。
案の定、ヒラヒラと動かしていたスプーンの柄をピタリと止め、将門は耳にかかった長い髪を、空いた手で優雅に掻き上げた。
「飛駆君。君は本当に、異能力を持っているんですか」
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