20

 合図を待つまでもなく、壱八は最初の質問のタイミングで、既に飛駆への読心を開始していた。

 ……?

 何だ、この壁みたいなのは。

 額の傷痕に思念を集中させた瞬間、不可視の障壁に行く手を阻まれたような、奇妙な手応えを感じた気がした。が、その後はいかなる異常も感知することなく、青年の内面は露になっていた。

 同じ異能者としての本能が、壱八の侵入を反射的に防ごうとしたのか、はたまた相手が異能者だという先入観が、そうした錯覚を起こさせたのか。真相は判らないが、仮に飛駆が壱八の能力に気づいたのだとしても、読心さえ成功すればそんなことは些事に過ぎない。

「図書館の外にいたという証言に、嘘偽りはないんですね?」

「もちろんです。ただ」そこで飛駆は声を落として、「カウンターにいた司書の方は、僕たちが開館時刻まで館内にいたことを、はっきり証言できなかったそうで」

「どういう意味です?」

「僕と空は、出口付近の長椅子に並んで座っていました。他の利用者は皆帰っていて、館内にいたのは、僕たち二人の他はカウンターの司書の方だけでした。閉館のアナウンスが聞こえたので、調べ物を済ませた僕は、空と一緒に図書館を出たんです」

「ええ。それで?」

「問題は、そのカウンターが出入り口と横並びの位置にあって、正面を向いた司書の方には、僕たちが視界に入っていなかったというんです。それでも、まだ二人くらい残っていた、とは言っていたようですが」

「監視カメラはなかったんですかね」

「何台か設置してあって、僕と空も映っていましたが、粗い映像で顔までは判別できなかったと警察の方に聞いています」

「なるほど。出口にいたのが君たちだったかどうか、唯一の証人たる司書も断定できなかったと」

 頼りない告白に反し、飛駆の思考は明確に肯定を示していた。色で表すなら純白の心理。青年の証言に偽りは皆無だ。

 間違いなく、大賀飛駆はプロデューサーの殺された時刻、空と共に図書館付近にいたのだ。この証言を嘘とするなら、飛駆と壱八のどちらかが、完全無欠の妄想狂ということになる。さすがに自らのパラノイア気質を自分で認めたくはないし、飛駆の挙動にもそれらしき兆候は見当たらない。

 肯定のサインを将門に送る。ベンチ隅の死角に立っているので、横の二人に気取られる心配もない。

「空ちゃん。今、飛駆君のおっしゃった内容に、間違いはありませんか?」

 そう念を押しつつ、ここでも将門は予想通り髪を梳き上げた。

「はい」

「空ちゃんも事件当時、図書館のすぐ近くにいたんですね?」

「はい、そうです」

 街灯に照らされ、光の輪が艶やかに輝く頭頂部に視線を固め、壱八は空の心を読み取った。

 言葉通りの反応。彼女の心理も、青年と同じ肯定を示した。

 二人が本物の異能力者だとしても、心の中にまで故意に嘘を吐くことは一〇〇%不可能だ。それは異能力云々の問題でなく、人類に連綿と受け継がれてきた根源的な思考能力の、限界を示すものなのだ。

 図書館の所在地を確認するに留め、将門はプロデューサーの事件のアリバイ調査を終了した。図書館と犯行現場のマンションに、埋めようのない距離の開きがあることも判明した。

「それでは、以前の事件における君たちのアリバイを、改めて聞かせてもらいます。けど、時間も時間なんで手短に済ませますね」

 低い金網の向こうを、何人もの通行人が足早に過ぎていったが、壱八らのいるベンチはおろか、公園の敷地にさえ視線を巡らす者はいなかった。

 誰もここの様子を気にしていない。見向きもしない。外の人間の無関心ぶりが、壱八には何故か腹立たしく思えてならなかった。奇妙な力を手に入れるまで、ついぞ感じたことのない気持ちだった。どうして誰もこっちを見ようとしないのか。ここに人がいることは、街灯に照らされていて明らかなはずなのに。

「まずは一連の事件の始まり、エスパー系配信者の筧要ですね。もう三週も前になりますか」

 将門の滑らかな口調で現実に引き戻され、壱八はベンチに座る飛駆と空の間に広がった一人分の隙間を、虚ろな眼でしばし見つめた。

「君たちのアリバイ証言は、共に自分の部屋にいたというものでした。飛駆君、いつかのその発言に、偽りはないですね?」

 耳許にかかる短い髪を指に絡ませ、そのまま将門は掌全体で側頭部を撫でるように、豊かな髪を梳いた。

 壱八は青年の頭部を見下ろして、全神経を自らの額一点に集中させた。傷痕に疼痛が走る。針で軽く突かれた程度の微かな痛みだが、異能を解放するには充分だった。

「はい。僕は、自分の部屋にいました。間違いありません」

 読心の思念を放つ。

 今までと全く異なる感情の奔流。思考の断層。簡潔な言葉で言い表すなら、そう。

 否だ。

「えっ?」

 思わずそう呟き、壱八は呆気に取られ眼を見開いた。ついでに開いた口のほうも塞がらなかった。

 将門が怪訝な表情を浮かべ、突然の声にびっくりしたのか、ベンチの二人も眼を丸くして壱八を仰ぎ見た。

 当人は驚きと羞恥に全身を乗っ取られ、気の利いた咳きすら喉の奥につかえたままだった。青年と眼を合わせていると余計怪しまれそうだ。慌てて占い師に視線を移し、眼の動きと表情で訴えかけた。

 彼の証言は、嘘だ。

 間違いなく自分の部屋にいたと、そう答えた飛駆の内面に、壱八は完全なる思考の断裂を見た。青年の心理は、部屋にいたという自身の証言を否定していた。第一の犯行が行われた時刻、彼は自分の部屋にはいなかったのだ。

 壱八の心境を察してか、すかさず将門が空咳を一つ放ち、二人の注意を逸らすよう努めてくれた。

 我ながらとんでもない能力だ。冷や汗を垂らしつつそう思った。見かけ上の青年に、少しも後ろめたい様子はなかった。むしろ、アリバイを主張するその言葉に、ある種の自信さえ感じ取れた。

 もし壱八がこの場にいなかったら、人間心理に長けた将門が独力で虚言を見破ることは可能だったろうか。

 否。

 可能性はゼロではないかもしれないが、贔屓目に見てもかなり低い。平然とベンチに座る青年を苦い思いで見やりながら、壱八はそう結論づけた。

 とにかく、これで大賀飛駆への容疑が深まったのは確かだ。筧の事件における彼のアリバイは、立証されていないばかりか、証言自体が完き偽証だった。

「空ちゃん。次はあなたにお尋ねします」

 何事もなかったように、将門は質問を向けた。小さなブレザーの肩がビクッと持ち上がる。顔を上げることもできず、少女は手の内のコーヒー缶を喰い入るように見つめていた。

「犯行のあった時刻、あなたも飛駆君同様、自分の部屋にいたんですか?」

 言いながら、美貌に見合った上品な手つきで、抓んだ前髪を大きな仕種で頭の後ろに撫で上げた。

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