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「飛駆は」質問を承けてそう呟き、彼女は苦しそうに胸に手を押し当てた。「我が子をこんなふうに言うのは、親として気恥ずかしい限りなのですが、あの子は、飛駆は、昔から不思議な力を持っていたようなのです。超能力、今風に言えば異能力ですか、そうとしか言いようのない、人智を超えた何かを」

 飛駆が異能に目醒めたのが具体的にいつ頃なのか、わたしにもはっきりと判らないのですと、母親はくぐもった声で言った。中学に上がる頃には、クラスメイトの間でも評判になるほどの摩訶不思議な能力を身につけていたらしい。親にも一言も話さなかったというのだから、恐らくは最後まで他人に隠し通すつもりでいたに違いない。何故隠していた秘密を多くの人に知られたのか。内緒話と称し、ついうっかり気心の知れた友人にでもばらしたのだろうか。内緒話の伝播速度は、内緒でない話以上に凄まじいものがある。

 後になって本人から聞いたところによると、飛駆が人間離れした能力を持っているという噂は、それこそあっという間に校内に知れ渡り、耳聡い近隣住民のほうが彼の両親よりも早く噂を聞きつけていた。実際に母親が知ったのも、真向かいに住む話し好きな主婦を通じてのことだった。

 裏返しになったトランプのスートと数字を、飛駆は逐一正確に言い当てることができた。テーブル上の一枚に手を翳し、カードの種類を告げ、表向きにひっくり返す。その繰り返し。両親にも知れたことで逆に開き直ったのか、彼は家族全員の見ている前でその神業を成し遂げてみせた。

「まさか、五十二枚のトランプ全部を、ですか」

「はい。あ、いえ、五十三枚ですね。ババが一枚入っていました」

「全部言い当てる確率は、五十三の階乗分の一」溜め息交じりに将門が言った。「うちの電卓じゃ到底そんな数値は算出できませんね」

「それがその、同じことを、飛駆は三回繰り返してやりました。それでも、飛駆は一枚も間違えなかったのです」

「掛ける三、か」そう呟いたのは壱八だった。

 今度は気流が眼に見えそうなほど深い溜め息を吐き、将門は肩疑りをほぐすように両肩を数回回した。

「まあ、それだけの力があれば、テレビ屋に噂を嗅ぎつけられてもおかしくないでしょうね」

 紅茶で一息吐いた後も、将門の質問は続いた。

「真理さん。あなた自身は、飛駆君がテレビ出演することに賛成だったんでしょうか」

 母親の薄い虹彩に、昏い影が宿ったように見えた。

「わたしは、どちらかと言えば反対でした。番組自体はインターネット上のウェブ放送なので、地上波ほど反響はないと思っていましたが、それでも芸能界の実情や良くない話は、ニュースでしょっちゅう眼にしていましたから。結局は本人の意思に任せることにしたのです」

「飛駆君は、制作サイドの要請に応じたんですね」

 弱々しい頷きからの溜め息。彼女が子息のテレビ出演を後悔しているのは明らかだった。謎の殺人犯は〈ガダラ・マダラ〉関係者ばかりを狙っているのだ。犯人が捕まらない限り、この母親に安息の刻が訪れることはないだろう。

「飛駆君と同じ番組に出ている春霧空ちゃんは、真理さんの遠縁に当たるそうですね」

 じとついた場の空気を変えようとしてか、努めて朗らかに将門は話しかけた。

 相手も少しは元気を取り戻したらしく、ゆっくり視線を上げると、屈託のない微笑を浮かべて、

「血の繋がりはありませんが、円筒さんのおっしゃる通りです。主人のお姉さんが、もうかれこれ二十年前になりますか、空のお母さんの、お兄さんに当たる方の許へ嫁いだのです」

「空ちゃんの場合はどうだったんでしょう。やはり彼女も、元々何か特異な力を持っていて、飛駆君共々スカウトされたんでしょうか」

「はい、空もスタッフの方に声をかけられたと聞いています。飛駆が不思議な能力を身につけたのと同じ時期に、空にも似たような力が現れたと。飛駆が言うには、ずっと一緒にいるうちに、彼女にもそういう力が芽生えてきたのだと。家が近いのもあって、二人とも小さい頃から頻繁に顔を合わせていましたから」

 伝染性の異能力なんて話は聞いたこともないが、近しい者特有の心理的な感化作用か何かで、空のほうも潜在能力を開花させたのだろうか。

「異能力のシンクロニシティですか」

 無感情な将門の呟き。関心のほどは窺い知れない。

「現在のお二人も、プライベートで交流があるんでしょうか」

「ええ、はい。一緒に登校したり、あと、スマホで何かやり取りしているみたいです。共通する話題も多いので、きっと話が合うのでしょう」

「精神的にも似通っているんでしょうね」

「そうですね。空は飛駆を兄のように慕ってくれますし、飛駆も……」

 そこで母親は何か思い当たったようにはっと口を噤み、伏し目がちに頭を垂れた。

「どうかなさいましたか」

「えっあっ、いえいえ。なんでもありません」

 慌てて顔を上げ、無理に笑顔を作っていたが、取ってつけたような変貌ぶりに不自然な感は否めなかった。

 紅茶カップをテーブルに戻す傍ら、壱八は細めた両眼を母親へ向けた。心を読むまでもなく、彼女の言わんとすることは筒抜けだった。また、口を閉ざした理由も。

 飛駆も、空を可愛がっているのだろう。妹のように。

 妹。大賀飛駆には妹がいた。この女性には娘がいたのだ。

 面会時の飛駆の証言からも、既に亡き妹の存在は明らかだった。今でも仲が好いと母親は言ったが、飛駆は空の姿に死んだ妹を重ね合わせているのかもしれない。

 母親にとって、娘の件は思い出すのも悲しい事柄なのだろう。明るい微笑みとは裏腹に、より一層萎れていく心の動きが、壱八にも手に取るようだった。

 気まずい雰囲気が会話の流れを何かと途切れさせ、テーブルを取り囲むそれぞれが居心地の悪さを肌に感じ始めた頃、折よく玄関のほうで扉の開く音がした。

「ただいま」

 間違いなく大賀飛駆の声だった。異能青年が学校から帰宅したのだ。

「ちょっとごめんなさいね」

 そう断って席を外し、母親は取り急ぎ応接間を離れた。

「なあ将門、妹のことは訊かなくていいのか」

 すかさず壱八は尋ねかけたが、将門は、湿っぽい話は苦手なんですよ、わちき、とにべもない。依然として、飛駆の妹のことには興味がないらしい。そんなに知りたいなら自分で訊けばどうです……占い師の冷たい視線が、壱八にそう告げている。

 玄関の辺りで最前から聞こえていた話し声がいつしか途絶え、やがてスリッパ履きの足音が複数近づいてきた。ペタペタと床に引っつく心地好いスリッパ音に耳を傾けていると、不意に将門がその綺麗な頤に手を当て、一人多いですね、と独白めいた呟きを発した。

 注意深く耳を澄ませてみたが、音だけで人数は判断できない。言われてみればそんな気もするが、確かなことは判らない。

「本当か」

「すぐ判ります。全員こっちに向かってますんで」

「大した聴覚だな」

「四と六ですよ。脚の本数ぐらい、聞き分けられて当然でしょうに」

 無駄話を中断し、応接間と中央廊下の境界口に視点を定める。

 拱架状に上部の膨らんだ戸口に最初に姿を見せたのは、濃紺のブレザーを着た大賀飛駆だった。母親から事情は聞いているはずなのに、占い師を見る切れ長の眼は、なおも新鮮な驚きに大きく見開かれていた。

 そんな彼の背後に、外界を恐れる小動物のような佇まいで、春霧空が先客たちを窺っていた。

 腕の後ろから小さな顔を覗かせる、こちらも制服姿の空に、将門はにんまりと唇の端を持ち上げてみせた。他人を安心させるにはあまりに毒を含み過ぎた、魔に魅入られし妖しき微笑。

「ご無沙汰ですね。どうもお邪魔してます」

「ご無沙汰しています、円筒さん」

 青年の顔は、もう平時のものに戻っていた。澄んだ双眸には煌々たる理性の輝きが見て取れた。

 別室の柱時計が、籠った音色で五時の報を打った。

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