17

 見はるかす秋の夕空は古の言葉通りに青々と高く、澄みきった空気を賑わす気の早いカラスの叫びが、程なく訪れる夕暮れの気配を街並に振り撒いている。秋の落日は、これもまた古の言葉だが実に忙しなかった。

「いい住まいじゃないか」

 大賀飛駆が家族と暮らす一戸建ての洋式住宅を前に、壱八はそんな陳腐な感想を抱いた。

 閑寂だが悄然とはしておらず、高級だが決して豪奢ではない。控え目な気品を持つ白亜の二階建て住宅。さほど暗くもない外の様子に反し、玄関脇には蒼白い玄関灯が灯されていた。来客に備えての配慮だろうか。番犬の一匹がいてもおかしくない広い芝庭に、しかしそれらしき小屋は見当たらなかった。

 呼び鈴を押して家人が出るのを待っていると、少しして扉の向こうからばたばたと駆け寄るスリッパの音が聞こえた。間を置かず聞かれたドアの先に、質素な部屋着を纏った小柄な女性の姿があった。彼女が大賀飛駆の母親だろう。すっきりと涼しげな眼許や肌の白さが、よく似ていた。

「いらっしゃいませ。円筒将門さんと、最上壱八さんですね。飛駆の母です。さあどうぞ中に」

 若々しいが線の細い声で話しかけてきた。外見上の相似に加え、繊細な声つきも母親譲りらしい。しかもこの女性、驚いたことに似非占い師に対して何ら警戒心を抱いていない様子だった。アポ取りが功を奏した形だが、一体どんな話術で彼女に取り入ったのだろう。ここまで歓迎されると却って居心地が悪くなる。

「大賀真理まりさんでしたね。お忙しいところ申し訳ありません。飛駆君はもうお帰りになられましたか」

「ごめんなさい、それがまだなんです。じき帰ってくると思いますので、ささ、どうぞ上がっていらしてください」

 楚々とした立ち居振る舞いは、育ちの良さの現れか。後方に束ねた長い髪が、面相筆のように黒々と細い。促され、将門と壱八は相次いで玄関扉の敷居を跨いだ。

 二人が通されたのは、正面廊下横手にある応接間だった。他人の家の嗅ぎ慣れない匂いに鼻をひくつかせ、履き慣れないスリッパの感触に足指をもじもじさせながら、将門に倣い布張りの長椅子に浅く腰かけた。うっかり手前のテーブルに向こう脛をぶつけたが、痛みを感じない程度には緊張していた。

 横に倒したら壱八の寝床サイズはありそうな液晶テレビが、左手の壁に見える。テーブル上、皺の一本もない薄桃色のテーブルクロス中央に、個包装クッキーの詰まった盆がぽつんと乗せてあった。

 ティーバッグを浸した紅茶のカップを人数分持ち、飛駆の母親が入ってきた。彼女以外の家人は出払っているのだろうか。

「大したお持てなしもできなくて、本当にごめんなさいね」

 言いながら、母親はカップを乗せた小皿を各々の前に置いた。

 手にしたカップを覗き込むと、温かい紅茶の湯気が次から次へ視界に押し寄せてくる。壱八は反射的に眼を瞑り、意識のあるうちに眼球を菜箸で刺されたら、きっと声にならないくらい痛いんだろうな、と他愛もないことを考えた。

「最上さん、どうぞ遠慮なさらずに」

「あ、はい」

 室内の新鮮な雰囲気に浮つく心を抑え、意識を手許に集中させる。

「では、お言葉に甘えて」

 出涸らしの紅茶さえ長いことご無沙汰していた舌に、久方振りに飲む本格派の紅茶は格別なものがあった。

「真理さん、こちらのお住まいには結婚した当初から?」

 紅茶に釘づけの同行者を尻目に、将門が早速口を切った。

「ええ。主人のご家族に色々工面していただいて、住居も仕事場の近くにということで。ですので、今でもあちらの方々には何かとお世話になることが多くて」

「そうですか。確かご主人の職業は総合商社の……」

 到着早々、世間話の前置きもなく質問をぶつける客人も客人だが、温和な性分があらゆる悪感情に勝っているのか、対する母親も微笑を絶やさず神妙に応じてくれた。

 やがて質問内容が大賀家唯一の子息へ及ぶに至り、母親は心底申し訳ないといった表情を質問者に向けた。

「円筒さん。先程のお電話で伺いましたが、警視庁の方に色々と疑われているそうで。何とおっしゃったらよいのか、わたし」

「お気になさらないで。わちきは自分の冤罪を晴らすためにも、こちらに馳せ参じる必要があったんですから」

「本当に、お気の毒ですわ」

 同じ気の毒という言葉でも、話し手の心情により随分と間こえ方が違ってくるものだ。

「ご子息の飛駆君は、異能力を開発、養成する〈ガダラ・マダラ〉の一般公募企画に、自ら志願したわけではないんですよね」

 少々穿った質問が放たれた。本人との面会を前にした肩慣らし、あるいは前哨戦のつもりか。髪を梳き上げる例の合図もなく、壱八は二人の間に耳を傾けつつ、口に入れたクッキーを噛み砕くのに専心できた。

「ええ。他のお子さんたちはそうだったようですが、うちの子は違いまして。番組スタッフの方が、出演交渉のためにわざわざ出向いてくださったんです」

「それってプロデューサーの南枳実さん?」

「渕崎さんです。南さんと同じプロダクションの、チーフディレクターの」

「あのボールドヘッドですか」

「え? ええ、ボールっぽい方」

 一つ疑問が湧く。こちらから一切働きかけをしていないのに、渕崎はどうやって異能青年の存在を聞きつけ、あまつさえコンタクトを取ろうとしたのか。

「渕崎とは、以前から顔見知りか何かで?」

 壱八の疑問を継承する形で、将門が尋ねた。

「いいえ、違います」

「とすると、よほど制作サイドに先見の明があったのでしょうね。飛駆君が今や全国的に有名な異能力者である点を考慮するなら」

 周囲の空気が、フッと冷たくなったように感じられた。母親の細く描かれた眉の下に苦悩の色が浮かんだのが、壱八にも判然と見て取れた。

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