16
大賀家の邸宅は、極東テレビの本社屋から歩いて二十分ほどの距離にあった。社屋を挟んで駅の反対方向に位置し、駅から徒歩で向かうと結構な時間がかかる。
予め下見しておいたのか、駅前通りを早々に抜けた紫ワンピース姿の将門は、地図やメモも見ずに大賀邸への道筋を迷いのない足取りで辿っていった。
「あいつ今頃何してんのかな」
「朱良ちゃんですか」
頷く壱八に、将門は無表情のまま首を振って、
「最近は、電話しても留守のことが多いですね。たまに出ても元気なさそうで。君の部屋にも顔出してないんですか」
壱八はにこやかな顔で天を仰いだ。あの朱良が元気を失くしているとは思わぬ報せ、しかも吉報だ。
「朱良の奴、何をそんなに落ち込んでるんだろうな」
「壱八君、急に元気になりましたね。というか、落ち込んでるわけじゃなくて、とにかく仕事が忙しすぎるってぼやいてましたよ。ちっとも休み取れないって」
朱良が一生そのまま多忙な日々を送ってくれたら、どんなに心休まることか。切なる希望が壱八の胸を満たした。
人通り少ない民家の小径を、将門と二人、言葉もなく歩く。剪定された垣根向こうの庭木が、さやさやと小さな葉音を風に乗せて枝先を震わせた。
ちらりと後方を振り返り、将門は砂利道を踏むハイヒールの動きを僅かに早めた。
「どうした」
「いえ別に」
あっさりした口調で、何事もなかったように将門は歩を進めた。
「誰かに尾行られてるのか」
そっと壱八も背後を振り返ったが、荷物入れのカートを引き摺って細道を横切る、直角に腰の撓んだ老女の他に、人の姿などどこにもなかった。怪しい人影は皆無だ。
「尾行される筋合いなんか、これっぽっちもありません。疚しいことの一つもしていませんしね」
津村刑事にかけられた殺人容疑を、結構な高さの棚に上げての物言いだった。身に憶えがなくとも、相手がそう思ってくれない事例は日常生活にすこぶる多い。他人の心理を確実に知る術がないのは、そう考えると至極不便なことだ。
路面に散らばった石礫に足を取られつつ、やがて壱八は幾分拓けた感じの、幅広い舗装道路に出た。
「面会の前に訊いておきたいんだが」
「何でしょう。まさか、お前が事件の犯人なのか、なんて尋ねるんじゃないでしょうね」
化粧の濃い相貌に薄ら笑いを浮かべ、楽しそうに応じる占い師。
「まあ、それでも構わないが。この事件に首を突っ込んでから、もうかなり経つだろ。けど、俺には未だに〈ガダラ・マダラ〉のことがよく判らないんだ」
「スマホで調べればいいじゃないですか」
「もちろん調べた。概要は判ったが、どうも要約サイトの情報は掴みどころがなくてな。今はネットのアーカイブも視聴できなくなってるし」
「つまり実際に番組を観た人の意見を聞きたいわけですね。キャストについてですか。それとも番組内容?」
「両方。いや、でも知りたいのは後者か」
暫しの沈黙の後、将門は前方を見据えたまま、
「第一部の職員会議に関しては、別に付け足す事柄もないです。特番の収録風景は見たでしょう。普段のテレビ放映も大体あんな具合で。要説明なのは、飛駆君と空ちゃんの出てくる二部のほうでしょうか。あなたもエスパーになれる的なコーナー、あれは凄いですよ。唾液の分泌が追いつかなくなるくらい、眉唾もののオンパレードですから」
似非占い師にそこまで言わせるのは相当なものだろう。
「脳内に秘められし異能力を様々な手段で開発するというのが、二部の基本方針です。けれども、異能力を目覚めさせるための手段が、トンデモ系ばかりなんですね。脳波や体温の測定とか、科学的検証もあるにはあるんですが、八乃至十三ヘルツのアルファ波を効率良く出させる目的で、ズブの素人を真冬の滝に打たせたり、研究家が独自に調合した謎の薬剤を服用させたり」
「おい、たかが異能のために薬まで飲ませるのか」
「人体に害はありません、彼らは特殊な訓練を受けています、みたいなテロップも頻繁に出ますけどね。あれじゃ逆効果です。どしどし苦情送ってくださいって言ってるようなもので」
「まるで人体実験だな。薬物投与のバイトじゃあるまいし」
そう当てこすると、将門が、ふふ、と含み笑いを洩らした。
「薬自体プラセボの可能性もありますけどね。個人的に傑作だったのが、二ヶ月くらい前の放送ですね。異能力開発を目的とした〈オシオキルーム〉というハニカム構造の個室の中で、研修生たちがユリ・ゲラーのレコード聴きながら一斉にスプーンを擦り始めるんです。その様子をお笑い芸人がリポートするんですけど、バカバカしさもあそこまでいくと芸術的。バックで流れるユリ・ゲラーの日本語がまた面白くて」
「で、スプーン曲げた奴は出てきたのか」
「何人かいましたけど、ほとんどが首のところだけ軽くお辞儀させた程度でしたね。その点、あの二人は収録始まってすぐに直角に曲げちゃって、さっさと部屋を出ていきました。南プロデューサーも言っていたように、ああいう演出好きじゃないんでしょうね」
「その二人は、滝行や薬とも無縁なんだろ」
「ですね。そこそこの能力は最初からありましたし。〈ガダマダ〉でも、次世代エスパー期待のホープとして、何かにつけて特別扱いでしたから。研修生ユニットのESP23にも不参加ですし」
「何だそれ……いや、説明はいいや」
以前、大賀飛駆がスプーンを折ってみせたのを目の当たりにしたが、そう考えるとよほどの覚悟があったのだろう。今日の面会は、もっと穏やかに終わる。願望でも希望的観測でもなく、壱八は無根拠にそう断じた。
「他の連中は訓練で異能を身につけようとしてるんだろ。スプーン曲げ以外に成果は出てるのか」
「というより、成果はそんな重視してないみたいですよ、観た感じでは。ドキュメンタリーじゃなくて限りなくバラエティー寄り。お笑い芸人の脳に、改造手術でアンテナつけるなんて話も出たくらいですし。ニール・ハービソンよろしく」
「誰だそれ」
「全色盲という先天異常を克服するべく頭部にアンテナ装置を埋め込んだ、世界初の政府公認サイボーグです。彼は色を音の波長として〈聴く〉ことができ、結果、ヒトに見えない赤外線や紫外線も捉えられるようになりました。テクノロジーと人体の融合が、新たな能力を発現させたんですね」
「それなら判るが、お笑い芸人のは本末転倒だろ。そうまでしてエスパーに仕立て上げたいのか」
「バラエティーですよ、新米エスパーさん。本気で観るものじゃありません」
軽く言われ、壱八は閉口するしかなかった。
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