褪色したグリーンの背中が通行口の奥に消え、将門は疲れたように両手を後頭部に回した。

「あの刑事のせいで居辛くなっちゃいましたね。このカフェテラス、凄く気に入ってたんですけど」

 元を正せば将門の無軌道な発言が騒ぎの発端なのだが、そもそも警察に情報を請う発想そのものが、自己中心的な思いつきに過ぎないのだ。先が思いやられ、壱八は暗澹たる気分に沈んだ。

「情報収集は後回しにするしかなさそうですね」

「仕方ないだろ。どうしてもっていうなら、知り合いの情報屋とやらに頑張ってもらうしか」

「そのようですね。彼には結構な額のお金も貸してるので、精々こき使ってやります」

「高利貸しのほうが向いてそうだな」

「あなたもマサカド金融のお世話になりますか」

「笑えないジョークだ」

 活気の衰えぬ街並に燦々と降り注ぐ秋の陽光は、少しずつだが確実に西の空へ傾きつつあった。パラソルの円い縁を焦がさんばかりに照り輝く射光に、席上の半陰陽は眩しそうに眼をしばたたかせた。

「差し当たり、今のわちきにできるのは何でしょうね。事件現場の調査なんて、ボサボサヘアのあの刑事がいる限り絶対不可能でしょうし」

「いなくても無理だろう」

「となると、残された道は一つです。事件に関わった当事者から直接話を訊く」

「調査を断念するって道はないのか」

「ええ、これっぽっちも」あらぬ疑いをかけてきた刑事の鼻を明かすべく、占い師は本気で調査を始める心算のようだ。「まずは〈ガダラ・マダラ〉の制作スタッフと、生き残った出演者たちですか」

「生き残った出演者たち?」

「第一部のレギュラーのうち、生存しているのは議長役の我王区と超常現象研究家の綿貫時依、二人だけです。後は特番の収録に参加していた大賀飛駆。彼は第一部の常連ではありませんが、第二部のレギュラーではありますし、捜査圏内に入れるべきでしょう。そうそう、異能少女の春霧空ちゃんもいましたね。あの娘も二部のみの出演ですけど、一応チェックしときましょう。出演者に関してはこんなところですか」

「まだいるだろう。超野茉茶とかいう変な眼の色した」

「彼女はシロでしょうね。第一部のサブMCは毎回違う人が務めていますから。番組そのものとの関連性が低すぎます」

 女ならぬ半陰陽の勘か。思ったままを告げると、

「もっと凄いですよ。何せわちきは両性具有者ですから。わちきの勘と観察眼の前には、どんな人間だって裸も同然。女も男も関係なしに」

 いかにも誇らしげに将門は胸を張ったが、インチキ商売である似非占いをそこそこ繁盛させている事実が、観察力の確かさ周密さを示す証左にもなっていた。特に〈女も男も〉という言葉は、腰の据わっていない反論を粉砕する、半陰陽であればこその説得力を含んでいた。

「どんな理由で、第一部の出演者だけが立て続けに狙われるのか。その点を早く突き止めなければ、事件の早期解決は望めません」

「もたもたしてると、また誰か殺されるってのか」

「運が悪ければ。次の被害者がまたお店の近くで発見されようものなら、間違いなくわちきは警察行きです。そんな偶然に何度も出くわすなんて真っ平です」

 塞の神が殺害された後、奇しくも将門は自宅近所での殺人事件を逆説的に予言していた。占い師にとって唯一の禁止事項は、自身の運命・未来を占うことだという。その禁忌を犯した者は、以後全く占いが的中しなくなるとも、身に災いを招くとも言われている。果たして警察に疑われている現状も、それが適用されたのだろうか。

 占い処が貧困に陥らずにいたのは、ともすると占者の優れた目利き故ではなく、単に今までが幸運続きだっただけなのかもしれない。

「超野茉茶はともかく、綿貫時依は捜査対象から除外しても問題ないでしょう。話を聞くためにベネズエラくんだりまで足を運ぶのは骨折りですし、こと塞の神と大学教授の殺害に関する限り、彼女は明らかに潔白ですから。ベネズエラにいながらの遠隔殺人なんてのも結構魅力的ですけど」

 壱八は両手の指を組み、眼を伏せた。

 超常現象研究家の綿貫時依に、十条教授を殺害するに足る動機はなさそうだった。番組第一部において、彼女は教授と同じ超常現象否定派に与していた。地球規模の遠隔殺人説を採用したところで、殺害動機の謎が残る。もっとも舞台裏の人間関係までは判らないから、実際に番組関係者に会って聞き出すしかないだろう。

「人相学に、土耳どじという相があります」難儀して小さく折り畳んだ新聞を群青色のポーチに仕舞い入れながら、将門は妙なことを言い出した。

「間抜けな名前だな。似非占いはやめて、人相見にでも鞍替か」

「土に耳と書いて土耳。厚くて大きい耳のことをそう呼ぶんですね。中でも、殺された大学教授みたいに赤みの差した大耳は、富貴と長寿の相だと言われているんです」

「長寿の相ね。結局殺されたんだし、意味ないな」

「そう。人相なんて大して当てにはなりません。占いだって似たようなものでしょう」

「こじつけめいてるな」

 低い声で将門が笑う。さっきまでの不満に腐った面差しは既にない。

「出ましょうか」

「そうだな」

 壱八は将門に続いて椅子から立ち上がった。

 片隅のテレビは芸能スキャンダルらしき報道を誰に見せるともなく延々と映し出している。レモンティーの味はまあまあだったが、開放的なテラスの雰囲気はたとえ無人であっても、あまり好きにはなれそうになかった。


 その翌日から丸二日、壱八はデリバリースタッフ業務に身を費やし、夜更け過ぎに帰宅した。部屋で寛ぎながら明日の仕事について考えていたとき、将門から電話があり、明日〈ガダラ・マダラ〉の制作会社へ向かうので同行するようにと一方的に告げられたのだった。

「いきなりだな」

「いつものことじゃないですか。明日は仕事入れないでください。わちきのアシストが最優先ですので」

「引き立て役だろ」

「卑屈になるのは結構ですけど、時間厳守でお願いしますよ」

「はいはい」

 合流場所と時刻を聞き、肩を落としてスマホを放り投げた。

 昨日の朝、配達業務に出かける準備をしていた壱八は、電話連絡すらないアポなしの来訪を受けた。相手は五分刈り頭の壮年刑事で、用件はもちろん塞の神の殺害事件に関するものだった。このタイミング、恐らくは津村刑事の差し金だろう。こちらが円筒将門の知り合いであることも承知済みの模様だったが、それでも番組収録へ赴いた経緯や事件発生時の細かい挙動について、逐一話し聞かせねばならなかった。決して暇な業種ではないはずだが、その執拗な問いにはほとほとうんざりさせられた。刑事が帰った後も、事件のことが頭から離れず仕事に集中できなかった。交通のペースに乗り切れず、後ろの車両からクラクションを鳴らされることもあった。

 いずれにせよ、明日は将門の調査に随行するだろう。自分のペースで仕事に取り組める今の仕事は大いに魅力的だが、こうして他者に勝手に予定を組まれるのは少々いただけなかった。

 まあいい。今更我欲を主張するまでもない。将門や朱良と知り合った頃から、壱八は己を殺すことに慣れきっていた。

 隣室から洩れ聞こえるAV機器の微かな重低音が、労働で疲れた体内に心地好く溶け込んでくる。沈黙と暗黒の画像を当たり前のように貼りつけたテレビには一度も心を傾けることなく、壱八は睡魔が愚鈍な自意識を覆い隠すまで、寝床に横たわり続けることにした。

 それから夢を見た。寝入り端か明け方頃かは判らないけれども、とにかく眼が覚めた後も憶えている程度には鮮明な夢だった。


 何棟もの別館をもつ、大きな旅館を営む一族の一員が自分で、旅館の主らしき父親を筆頭に、一族全員が広大な和風広間に集結している。建物に隠された謎を制限時間内に凡て解かないと、自分を含めた全員が何故か殺される、理不尽極まりない筋書き。壱八の手にしていた古い羊皮紙には謎を解明するヒントが記されているが、文面をじっと見ているとヒントの筆文字が凄い勢いで霞んでいき、単語の一つも記憶できぬうちにただの黄ばんだ紙となった。

 解くべき謎が何なのかも判らず、壱八は徒に館内を歩き回った。焦燥と錯乱に身を委ねたまま、あっという間に命の期限が目前に迫った。こうなったらこの建物から逃げ出すしかないと、自分でも滑稽に思うほどの遅さで長い廊下をひた走っていると、後ろで自分を呼び止める声。

 振り返ると、警視庁の津村刑事と壮年の刑事が、拳銃を構えてこちらを向いていた。どうやら威嚇ではなさそうだ。彼らがこの世界の死刑執行人らしい。

「時間切れだよ、この能なしめ。観念しな」

 眼が覚める直前、壱八は助けを呼ぼうと誰かの名を叫んだ。そんな気がしたのだが、一体誰の名を呼んだのか、完全に覚醒した後も、どうしても思い出すことができなかった。

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