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平らげたパフェのグラスを押し退け、上目遣いに刑事を睨みつける将門。
「〈ガダラ・マダラ〉の連続殺人の話をしていました。それが何か」
「ほほう。おや、その新聞は
「浦河さん?」思わず声を上げる壱八。
「塞の神さんの本名です。浦河
ちゃんと読めって言ったのに、と非難めいた声つきで将門。
「これで三人目ですよ。〈ガダラ・マダラ〉の出演者が殺害されたのは。呪いだとか祟りだとか、能天気揃いのマスコミは気楽に吹聴してますが、我々としてはもうそろそろホシを挙げたいところなんですよね。警視庁の威信もありますし」
津村刑事の言葉には、威信とはかけ離れた飄々とした雰囲気さえ感じられたけれども、占い師に注がれる眼光は厳しかった。
「円筒将門さん」テーブルに両手を突き、刑事は声に力を込めて問い質した。「その事件の話というのを、もう少し詳しくお聞かせ願えませんか。それと、こちらの男性はどなたです?」
「お断りします。話すほどのことでもありませんし。あと、そこの彼は最上壱八。塞の神がスタジオで亡くなったとき、彼もわちきの隣でその様子を見ていました」
「ほお」刑事の眼つきが一層険しくなった。「そうでしたか。ええと最上さん、あなたにお尋ねしますが、スタジオの一件以降、誰か警察の者があなたの自宅なり職場なりに話を伺いに来ませんでしたか」
いきなり質問を向けられ、壱八はたじろいだ。いつか明るみに出るとはいえ、将門ももう少し時宜を考えて発言すればいいものを。刑事の陰で嘲るように舌を出す将門を敵意剥き出しで睨みつつ、いえ、来てないと思います、と訥々と答えた。
「なるほど。近日中に捜査官が伺うと思いますが、その点ご容赦ください。こちらとしては、あの場にいた方々全員から話を伺う所存ですので。ただ、ここで会ったのも何かの縁、少しばかり話を聞きたいんですがね」
「話すことなんて何もないって言ってるでしょう」
「あんたに訊いてるんじゃない」将門の差し出口に、津村刑事は小鼻に皺を寄せてあしらい気味に言い放った。「いや、あんたに訊きたいこともまだまだあるが、それは後日改めてにするよ」
「あらそうですか。ならご自由に」
口を挟むのも嫌になったか、将門は憎らしげに言い捨て、気取ったふうに顎を持ち上げた。
その後、壱八は将門や連続殺人の被害者らとの関係について色々訊かれる羽目になった。前者とは大した関係もないので多言を費やすまでもなく、後者に至っては証言するほどの関係性すら構築していない。それでも押し問答に近い形の事情聴取が数回繰り返された。
「刑事さんもしつこいですね」他人顔で電子タバコを吹かしていた占い師がやっと助け船を出した。「いくら訊いても無駄です。彼は無実ですよ、わきち同様」
「ほお、言い切ってくれるじゃないか。何を証拠に」
「見て判らないんですか。彼に人を三人も殺しおおせるだけの度胸なんてありません」
弁護するなら、もっと真っ当な観点から主張してくれないものか。そんな壱八の思いとは裏腹に、将門は突然晴れ晴れした顔になり、相も変わらず冷たい表情の津村刑事に麗しげな流眄をくれた。
「そうそう、あなた警視庁の刑事さんでしょう」不審そうな刑事をからかうように見返し、続けて、「なら、あなたに頼みましょうか」
「何?」
将門は肩にかかった長い髪を、嫋やかな手つきで後ろに払った。刑事が女性と信じて疑わないのも、その仕種を見れば道理だった。
「ええ、これから〈ガダラ・マダラ〉の殺人事件を独自調査するんですけど、それに当たり事件の細かい情報が欲しいんですよ。ねえ刑事さん、わちきどもに話してくれませんか。犯行現場のより具体的な状況とか、関係者の証言とか」
この占い師、本気で警察関係者から情報を求めようと目論んでいるらしかった。
将門の突飛な提案に、津村刑事は異国の言語を耳にしたようなぽかんとした表情となり、ややあって頻りに首を捻り始めた。
「すまんが、あんたが何を言っているのか私にはよく判らんのだが」
将門は再度事情を説明し、警察側の協力を刑事に請うたが、その内容を理解するに従い、弛緩していた刑事の顔が徐々にヒクヒクと引き攣れていくのが、傍らの壱八にも手に取るように判った。
占い師ならずとも、結果は眼に見えていた。
「何を言い出すかと思えば、情報をリークしろというのか。私が? あんたに? バカな、ふざけるのも大概にしろ。どうしてそんなことをせにゃならんのだ。何様のつもりだ。戯けた口を利くんじゃない」
テラス内の疎らな客が会話を止め、あるいは覗いていた携帯端末から顔を上げて興味深げに声の主を見た。努めて声は抑えていた様子の刑事だったが、図らずも耳目を集めた形の彼は、決まり悪そうに肩を窄め、気の弱い空咳を放った。
「事件を独自調査すると言ったな。私立探偵を気取るのもいいが、忘れるな。お前はその事件の参考人なんだぞ。取り調べを受ける立場なのは、お前のほうなんだ。民間人にさえ明かさない極秘事項を、被疑者同然のお前にペラペラ打ち明けると思うか。警察をバカにするなよ」
刑事の静かな怒りに無関心な客は一人としておらず、新たにテラスに入ろうとしたカップルも通行口の脇に立ち止まり、刑事のいる辺りを困ったように見つめていた。周囲の視線が散る様子は全くなかった。
「ちょいと刑事さん、少しは落ち着いたらどうですか。いい大人がはしたない」
「つけ上がるな。お前がふざけた口を利くからだ。いいか、どんなに些細で無益な情報だろうと、お前に教えるつもりはないからな、これっぽっちも」
唾を飛ばして刑事は言い捨てた。将門を呼ぶ際の人称の変化は、相手に対する印象がそこまで悪化したということか。
一方、店内でもテラスの異常事態に気づいた店のマスターが、件のカップルを擦り抜け、小走りに刑事の許へ駆け寄ってきた。
「あの、すいません」
マスターの不安げな声にはっと身を硬直させ、津村刑事は怖々と周囲に眼を走らせた。店にいる全員が、激昂する自分を冷たく見張っている。
「畏れ入りますが、いかがいたしましたか」
深い羞恥の念に駆られたらしい刑事は、蚊の鳴くような声で店の主に謝罪し、幾度も頭を下げた。
収拾がついたとはいえ、テラスの重苦しい雰囲気はマスターが戻った後も一向に解消されず、表通りの喧噪は相変わらずだったが、テラスの客は誰もが不自然な沈黙の支配するそれぞれの席で、異様な重圧に締めつけられるかの如くだった。
お前みたいなのは初めてだよ、と津村刑事が呟いた。恥辱を一身に浴した彼は、今や戦に敗れた大将さながらの情けない風貌に落魄れていた。
「光栄ですわ。お褒めに与りまして」
テーブルに畳んで置かれたナフキンを手に取り、刑事は額と首回りを乱暴に拭った。皮膚を削ぎ落とすような荒々しい拭き方からして、いきり立った精神は未だ沸点を下っていないようだ。
「円筒さん、あんたみたいな常識外れを何度も相手にするのはご免被りたいところだが、仕事柄そういうわけにもいかないんでね。またお宅にお邪魔しますよ、近いうちに」
「わちきを逮捕するために、ですか。それは楽しみですね。どこかの犯行現場で物的証拠の一つでも見つかるといいんですけど」
「あんたの犯罪を立証するために、かね。心証は悪くなる一方だが」
「塞の神が使ってたグラスはちゃんと調べました? わちきの指紋でも見つかれば、喜んで出頭しますよ。未だにこの辺をブラついてるってことは、その線は諦めたってことでしょうけど」
「ノーコメントだ」
占い師を指差して言うと、くしゃくしゃのナフキンをスーツのポケットに押し込み、津村刑事は速やかに身を翻した。
「ご苦労さま。もう来ないでくださいね」
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