第二章
1
見晴らしの良いカフェテラスの傍らには、簡素な造りの天蓋に覆われた液晶ワイドテレビが一台設置されていた。小さいテレビ画面なら四つは入りそうな大型スクリーンだ。画面に映っている二人は民放のニュースキャスターで、視聴者に向け盛んに〈呪われた番組〉を報じているが、よほどその惹句が気に入ったのか、どの報道機関も同じ言葉を多用し、伝えるべき内容には大差がなかった。
斜め読みした朝刊を占い師に返すと、最上壱八は黄金色のスプーンで退屈そうにレモンティーをカラカラ掻き回した。
屋根のないテラスに十ほどのパラソルつき円テーブルが不規則に据えられ、これまた不規則な客層の人々がてんで勝手に席を占めている。スクリーンの映像に注意を向けているのは、間近にいた数人の男子学生だけだ。報道内容に関して彼らはああだこうだと突飛な解釈を持ち出しては、互いにその妥当性と奇抜さを競い合っていた。
〈呪われた番組〉。それがここ一週間で出演者が三人も殺された人気番組〈ガダラ・マダラ〉を指すのは言うまでもなかった。
「あら、もう読み終わったんですか」
唇から離した電子タバコを卓上に乗せ、円筒将門は素っ気なく言った。今日の服装は女物の紫ジャケットに同色のロングスカートという、珍しく質素で控え目なコーディネートだが、魅惑的過ぎる相貌に程好く施された化粧のせいもあって、畢竟周囲の好色な眼差しを一身に浴びる結果となっていた。
張り出し部分に並んだ鉢植えの棕櫚竹が、風もないのに何かの振動で尖った葉先を柔らかく震わせる喫茶店〈デカルチャクラブ〉のカフェテラスにて、壱八は思いがけない話を聞かされたところだった。あろうことか、将門は独力で〈ガダラ・マダラ〉出演者の連続殺人事件を調査すると言い出したのだ。
「男もすなる探偵といふものをってやつか」
「半陰陽もしてみむとてするなり、ですね」将門は笑いながら数日前の朝刊を投げてよこした。「君もこの記事読んで、予備知識を仕込んでおいてください」
その新聞は、第一面と芸能面の大半を筧要及び塞の神紀世の殺害記事に費やしていた。今日判明したばかりの第三の殺人に関する詳細は、ニュース番組等の伝える大雑把な概要で我慢するしかなさそうだ。
将門が本格的に殺人事件の捜査に乗り出すというなら、それは本人の勝手であって、周りがどうこう言う筋合いはない。将門が勝手に調べて、犯人なり何なり捜し当てればいいのだ。
「容疑者扱いされるくらいなら、自分で犯人を見つけてやろうってわけか」
「ちゃんと読みました? 最低限の情報くらい押さえておいてくださいね」
「お前、俺に手伝わせるつもりか」
だがしかし、犯罪捜査を赤の他人に手伝わせようというなら話は別だ。あいにく壱八は厄介事に進んで首を突っ込むような、奇矯な振る舞いに心惹かれる人種ではなかった。
「そういうことは朱良にでも頼んでくれ」
「もちろん頼みましたよ。あの娘のほうがずっと役に立ちそうですので」
さらりと肺腑を衝く言葉に内心ムッとしながら、
「断られたのか」
「モデルの仕事が忙しいんですって。そう言われちゃ強引に誘えないでしょう。で、朱良ちゃんの紹介で暇人レース首位独走中の君に声をかけたわけ」
「あいつ、人をなんだと思ってやがる。こっちだって仕事あるんだぞ」
一際憎らしい吉岡朱良の笑顔が眼に浮かび、壱八は大層苛立ったが、今は将門以外に矛先を向ける相手もいない。
「お前も気の変わりが早いな。殺人事件について考えるのは、警察の領分なんじゃなかったのか」
「その警察とやらに営業妨害された上、容疑者同然に扱われたんです。それでも泣き寝入りしろと?」
テーブルの端を掴み、将門は憤然と眼を吊り上げる。
「仕方ないだろ、警察に疑われても。塞の神のときだって客席にいたんだし」
「君や朱良ちゃんも同じでしょう」
「大学教授はお前ん家の隣で殺されたんだろ。怪しまれるのは当然じゃないか」
「刑事に言われるまで知りませんでしたよ、隣に住んでたなんて」
昼過ぎに事情聴取にやって来た警視庁の
「思い出しただけでムカムカします。あの刑事、手帳さえ見せれば皆のこのこついて来るとでも思ってるんですかね」
「お前が知らなかったって主張しても、そう簡単に信用されないだろ。あっちは疑うのが仕事なんだから」
「あら、言ってくれますね。どうやら警察は特番の収録に居合わせた人を、片っ端から調べてるみたいですよ。君のところにも遠からず桜の代紋ちらつかせたいかつい御仁が来るでしょうね」
軽く脅されたが、どう贔屓目に見ても怪しいのは将門のほうだ。そう指摘すると、
「ええ確かに。現場が現場なだけに、その点は認めざるをえません。でも君や朱良ちゃんはわちきの知り合いですから、他の観客より当然嫌疑は強まりますよ。わちきどもの交友関係を見過ごすような警察じゃないでしょうし」
両の手で額を覆い、壱八はテーブルに肘を突いた。
「お前と繋がりのある人間として、お前同様眼をつけられるってのか」
「実際に繋がったことは一度もありませんが」
「うるさい」
卑猥に嗤う半陰陽を一瞥し、肘を突いた手の甲に壱八は自身の顎を預けた。
痛くもない腹を探られるのは誰にとっても不本意だ。しかも官憲が探り主となると、その探り方も随分と手の込んだ、微に入り細を穿つものとなろう。捜査官によっては、強引に腹を切り開いて臓器の内部構造を確かめようとするかもしれない。とにかく、探られて気持ちの良いものでないことだけは確かだ。
「協力する気になりましたか」
「帰りたくなったよ」
こうして連続殺人の参考人と膝を交えて話し合っている場面を刑事にでも見つかったら、それだけで心証が悪くなる。
「将門、お前尾行とかされてないだろうな」心持ち身を乗り出し、壱八は声を落として質した。
「ご心配なく」艶っぽい声で半陰陽が囁く。薄茶色の双眸が淫靡な光を宿した。「そんなにまだるっこしいことしなくても、警察は遅かれ早かれわちきどもの関係を嗅ぎつけるに決まってます」
溜め息からの舌打ち。ごくたまに世間話に興じる程度の関係で、自分にも累が及ぶのはどうにも業腹だ。
「協力を仰ぐからには、それなりの報酬はあるんだろうな」
「諸経費は払いますよ。交通費も全支給、同行時は食事代も全額負担しましょう。それでも足りなければ体で払いますので」
「足代と飯代か。協力の要請っていうか労働契約に近いな」
経済的格差を思い、もう一度溜め息を吐いた。諦念の吐息と見抜いた将門が、契約成立ですね、と微笑んだ。
「おい、体で払うのはよせよ」
「あら残念。遠慮しなくてもいいんですよ」
「冗談じゃない。ところで将門、仮にお前に協力するとしてだ。一体俺は何をすればいいんだ、具体的には」
そうですねえ、と占い師は大きな瞳で値踏みするように相手を見ていたが、どれほど眺めても観察対象の価値が変じないことに気づいてか、幾分萎れた様子で、
「取り敢えず、横でわちきの捜査をじっくり見ていてください」
「つまり何もしなくていいと」
「ええ。でも場合によっては、何か頼むことがあるかもしれません。緊急時の電話連絡とか」
「いい加減スマホかガラケー買えよ」
「ほら、わきちって見るからに非力でしょう。遠出するには荷物を持ってくださる殿方が必要なんですよ」
要はスマホとカバンを持って侍っていろということか。将門が自らを犯罪捜査の素人探偵に模するなら、壱八は差し詰め無能な助手、引き立て役もいいところだ。
金で買われたも同然の立場で、これからカバン持ちのように付き従わねばならないのかと思うと、好天に恵まれたカフェテラスの片隅で、壱八の心はいよいよ憂鬱な愁雲に覆われていった。
「朱良ちゃんなら的確なアドバイスもしてくれそうですけど、君にそれを期待するのは無理でしょう」
「なら最初から協力なんて言葉使うなよ」
「相談にはもちろん乗ってもらいますよ。面白い暇潰しができて良かったじゃないですか」
「お前と一緒に暇を潰すと、ろくなことがないんだが」
「毒殺事件に出くわしたりですか? 今頃悔やんでも後の祭りですよ」
「殺人がお祭りか。世も末だな」
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