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「あー、あのですね」困った顔つきで我王区が言う。「この時間はオカルトルネッサンスの一端を担った筧さんの足跡を辿り、故人に対する皆さんの思い出なんかを語っていただく企画だと、あっし最初に言っておいたと思うんですよね。ここで筧さんの殺害犯を推理するのは、番組的には面白いんですけど、ちょっと今回の趣旨から外れちゃうんで」

「未だ犯人は逃走中、警察の捜査もさほど進展がない。筧君との思い出は、話し出したらきりがないほど沢山ありますが、そんな現状を傍目に思い出話に花を咲かそうだなんて、小生には到底できませんね」

 口調は穏やかだが、独特の渋い声は徹底的に喰い下がってやろうじゃないかという気迫の籠もった低音の威厳を帯びていた。

 超常現象、異能関連のテレビ番組において塞の神を見ないことは今やほとんどなく、常に丈の長い黒のローブを着込んで、円錐形のフードを眼の辺りまで被っているという。そのせいで何かと隠れがちな相貌は、少し吊り上がった細い眼に低い鼻、薄い唇と、西洋の魔術師めいた服装には不釣合なほど和風で、これといった特徴もない平凡な顔立ちだ。年齢も断定はできないが、恐らく三十路は越えているだろう。

「まあそうおっしゃらずに。容疑者の特定は、然るべき方々に任せましょうよ」

「その権威者面した国家警察が、容疑者の特定にさえ難渋してるのが納得できないんですよ、小生は」

「警察を過小評価するのも犯人を推理するのも個人の自由だがね、ただ君の意見はあまりに短絡的すぎる」

 新たに口を開いたのは、左の長テーブルを所在なげに独り占めしていた、一流理系私大の物理学教授、十条じゅうじょう照護しょうごだった。彼も当コーナーの常連で、しかも超常現象否定論者の代表格らしい。

 縁のない眼鏡をかけた面長ののっぺり顔だが、眼つきが悪く陰険そうに見える。白髪交じりの頭髪を左に撫でつけ、過剰に膨らんだ小鼻の下には髭剃り跡が青々と残っていた。だらんと垂れた福耳に赤みが差しているのは、緊張の故ではなく元からそういう体質なのか。頻りに眼鏡のずれやピンマイクの位置を直しているところから、神経質な性分が推測できた。

「いくら逃亡同然のタイミングで海外へ飛び立ったとはいえ、それだけで時依女史を犯人と決めつける浅慮には首肯しかねる。薄弱極まりない根拠を元に、あらぬ疑いをかけるのはやめたまえ」

 黒スーツの襟元を正しながらきっぱりと言う十条教授に、黒衣の怪僧はローブの左肩を少し下げて晴れ着のような裾をテーブルに広げ、幾分前のめりの姿勢になった。応戦の決意を翻すつもりは更々ないようだ。

「ねえ教授。小生たちはこれまで度重なる討論にて、超常現象の真偽について話し合ってきました。綿貫さんは超常現象研究家なる肩書を持ちながら、多くの神秘現象、中でも特に、人智を超えた能力を持つ人間の存在に関してはむしろ否定的で、その点では小生や筧君とは反りが合わなかった」

「反りが合わなくて殺した、かね。そんな単純な動機で人が殺せるなら、一年と待たずに全世界は人の死体で埋まるだろうな。警察が幾つあっても足りんよ」

「それだけが動機だとは言ってません。ですが、個人の思い込みは、他人では推し量れぬほど根が深いかもしれないのですよ」

 敢えて語調を弱め、塞の神は上体を後ろに引いた。

 白いストローに口をつけ、トールグラスの茶色い液体を静かに啜る黒衣の男に対し、眼鏡の位置を直しながら教授は、

「いや、大変愉快な論拠だ。となると、もし時依女史が筧氏を殺害した犯人ならば、次なる女史の標的は、筧氏と同じく彼女に対立する君ということになるが」

 その言葉にすかさず顔を上げ、かもしれませんね、と塞の神。

「小生も同感です。彼女には随分手厳しいことを言ってきたような気がしますゆえ。恨まれても仕方がない」

 客席にいた何人かが、他人行儀な言い方に小さく笑った。丁寧な口調での歯に衣着せぬ毒舌というアンバランスさが、異能力討論における彼の持ち味でもあることを、壱八はずっと後で知った。

 ピンと張り切った緊張の糸が不意に弛んだ一瞬の空白を逃さず、議長が苦い表情で空咳を放つ。

「いやいや、今回は故人の思い出を語り合う予定だったのに、皆さん相変わらず討論モードですねえ。ほら、お二人がそんなだから茉茶まっちゃちゃんも飛駆ひかる君もびっくりしちゃって、さっきから何も発言できてないじゃないですか」

 嘲笑めいた笑いがスタジオ内に起こり、同時に二台のサブカメラが名前の挙がった二人を映し出そうと活発な動きを見せた。

 我王区の左隣に座る二十歳前後の幼顔の女性は、本番開始直後の自己紹介のとき、舌足らずな声で超野ちょうの茉茶と名乗ったが、それ以降ほとんど声を出すこともなく、塞の神と教授の論争が始まると泡を喰った顔になって両者をキョロキョロ見やっていた。筧要の追悼ということでブラウスもベストも黒で統一しているが、最早追悼番組ではなくなっている実情も、かなり困惑気味にではあるが理解しつつあるようだった。

 彼女については、目下売り出し中のアイドル声優という我王区の紹介以外には、将門も朱良も詳しく知らないらしかった。

 超常現象討論会を主体とした第一部〈ガダマダ学園ナンデモ職員会議〉の書記役、所謂サブ司会は、将来が有望視される様々な分野の新人が、収録ごとに交替で起用される決まりになっていた。アシスタント能力の有無は、どうやら採用基準に含まれていないのだろう。苗字で採用されたんじゃないの、という朱良の説も、案外正鵠を射ているのかもしれなかった。

「そりゃあ、びっくりしますって。リハーサルと全然違うんだもん」

 翡翠色のカラーコンタクトを嵌めた奥二重の眼をパチパチさせ、茉茶は団子のように結わえた頭のてっぺんに手を当てた。

「あははは、まあこの番組は、段取りなんてあってないようなものだからね。かくいうあっしも、今日は一体どんな展開になるのか、毎回緊張もので収録に臨んでいるわけでして。正直こんなのが続いたんじゃ身が持たないと、常々思ってるんですよね。ね、そうでしょ? 今日は珍しくお客さん入れてるし、誰かあっしと代わってくださいよ。そっちで笑ってるほうがよっぽど楽だよ。ギャラはまあ泣けるくらい減りそうだけども」

 途中から客席を相手に、我王区がおどけた態度を見せる。観客の愛想笑いが虚しくスタジオに響いた。

 追悼番組の進行役にしてはあまりにも軽率すぎる発言じゃないかと、壱八は珍しく真面目に考えたが、撮影は中断されることもなく、だらだら続行していった。

「追悼番組であの発言はないだろ」やけに真剣な眼つきで収録に見入る将門に、確認がてら声を落として訊いてみた。「当然編集でカットされるよな」

 けれども、背後高くに見える全面透過素材の幅広ブースを一瞥した将門は、

「ああいう不適切発言まで放映しちゃうところが、これの問題番組たる所以なんですよ。あそこの調整室に、この番組のブレインが集ってるんでしょうね。聞くところによれば、特定の構成作家をつけない方針なのだとか」

「作家がいないのか」

「いえ、毎回替えるんです。サブMCの娘と同じ。笑っちゃうくらい変わり種ですよね。そんな異端の制作陣なので、不謹慎だろうが何だろうが面白ければゴーサイン出しますよ」

「あのガラス張りの部屋か」

「アクリル樹脂でしょ」朱良が横槍を容れてきた。「コスト安いし丈夫だし」

「ポリカーボネートじゃないんですかね」将門が被せるように言った。「アクリルは火に弱いので。加工は楽ですけど」

「あっそ。あんたの電子タバコで火事にでもなったら一大事ね」

 朱良が煩わしげに話を打ち切ったので、将門は話題を戻して、

「番組MCにしてもそうです。元は局アナが仕切ってたんですけど、降板させられたんですよ。ちゃんとできるから駄目だって」

「何だそりゃ」

「そういう番組なんですよ」

「うちは違うと思うけどね」仏頂面の朱良が言う。「司会者はあんな寝ぼけたこと言ってるけど、どうせ今までのも全部台本通りなんだから」

「それなら局アナのほうが適しているのでは」

「バレバレだったのよ、完璧にやっちゃうから。あんた〈ガダマダ〉観てないんでしょ」

「その略称も初耳ですね。随分お詳しいようで」

 意見の不一致はいつものことだが、自分を挟んでの丁々発止は勘弁してほしかった。

「あのアイドル声優の娘は、さすがに台本じゃないだろ」

「ほらすっかり騙されてる。全然テレビ観ないから。番組作りの常套手段じゃん」

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