怺えきれずに大欠伸を放った壱八の側頭部に、隣の朱良が剽悍な動作で裏拳をお見舞いした。

「いてっ」

「間抜けな声出さないで」小声で諌める将門。「マイクが拾ったら恥ずかしいでしょう」

 いつもなら泣き言の一つでも洩らすところだが、今回は澄まし顔で眼を逸らした朱良の横顔を、軽く睨みつけるに留めておいた。

 程よい室温につまらない討論。こんな環境で欠伸を我慢できる方法があるなら教えてほしいものだ。

 本番開始から十分が経過した、〈ガダラ・マダラ地上波出張版! 六十分丸ごと異能力スペシャル〉の収録現場、極東テレビ第五スタジオにて。想像以上に地味なセットの前面を囲んで設置された、二組の階段状の観客席。壱八が座っているのは、セット正面のメインカメラから右斜め後ろにある、中段列の真ん中辺り。全四列の二組の客席は、百名を超える観客でびっしり埋まっていた。

 人気番組のスタジオ観覧というからには相当な人数が集まるのではと踏んでいた壱八だったが、実際は予想をかなり下回っていた。それもそのはずで、バイト登録者の募集人員が五十人なのだから、全員が将門のように三人連れでやってきたとしても、合計百五十人。このだだっ広いスタジオなら人員超過は客席の増設でどうにでもなるし、スタジオに来たのが登録者五十名のみの最低人数だったとしても、収録自体に問題はない。給料を支払う側としては、むしろそのほうが安上がりだ。プロダクションサイドから幾ら受け取っているかは知るべくもないが、この手の下請けは収入増加に限界があるので、人員を減らして出費を抑えるのは致し方ないのかもしれない。

 将門曰く、制作工程が短期間の特番など急遽客入れを必要とする際に声がかかるのだそうで、バイト代は一人頭数千円程度。大した額ではないが、収録を見物するだけで交通費以上の額が手に入るのだから、贅沢は言えない。壱八は自分にそう言い聞かせて現状を納得することにした。

 湿気を含んだ、地を這うようなどよめきが客席の随所から沸き起こった。取り留めのない思考を打ち切り、壱八は強力な照明で眩いばかりの舞台に眼を戻した。

 紫の空に暗雲の垂れ込めるが如き、不吉な色合いの書割。上部の大型モニターに毳々しい赤文字で〈ガダラ・マダラ地上波出張版特別企画〉、その下にシンプルな白文字で〈天才霊能者・筧要氏を偲んで――その類稀なる足跡〉とある。

 笑顔の遺影が飾られたおどろおどろしい書割の図柄をバックに、斜めに向かい合う長方形のテーブルが二脚。右のテーブルには二人の人間が着席している。左のテーブルには一人しか座っておらず、広いスペースを持て余しているように見えた。二脚のテーブルの中央、書割のすぐ手前に、装飾の全くない小さなデスクが置かれ、一組の男女が並んで腰かけている。セット上にはその五名のみ。彼らは皆、濃紅色をした直径七、八メートルの円舞台の上にあった。

「いやはや参りましたね。さいかみさん、今のはちょっと冗談きついですよ」

 高音部の目立つ、どちらかというと気障りな声音でそう言ったのは、中央のデスクに座る司会進行役、職員会議においては議長を務める我王区がおうく民明たみあきだった。


 今から一時間半ほど前、テレビ局正面玄関に集合した〈ガダラ・マダラ〉特番の観客たち百余人は、引率の者に連れられ社屋に入った。階段を上り、幾つもの角を折れ、様々な道幅の通路を抜け、やがて一行は撮影機材が整然と配された目的の収録スタジオに辿り着いた。当初予定されていた第一部〈ガダマダ学園ナンデモ大職員会議〉が変更になったことと、第二部〈ガダマダ学園トンデモ課外授業 史上初! 学園入学共通テスト〉が別のスタジオで予定通り行われることも、そこで知った。指示に従い順番に席に着き、若手芸人の前説を八割方聞き流し、拍手の練習、拍手と歓声の録音の後、いよいよ番組出演者のスタジオ入りと相成ったのだが、壱八はその際、本日の出演者に関する基礎知識を同行者二人から聞いていた。

「じゃああそこにいる連中は、皆レギュラーなのか」

「そうですね。筧要がいなくて、あと欠席者がもう一人いますけど」

「ふうん。特番の割に、特別ゲストは一人もいないのか」

「どうでしょう。飛び入り参加の線も捨てきれません」

「筧要が出てきたりして」

「それ実現したら、とんでもない視聴率になりますよ」

「インターネットテレビに視聴率は関係ないだろ」

「まだ寝ぼけてんの。これ地上波出張版じゃん」

「ああそうか」

 カメラ・リハーサルも終わり、収録直前の雑然とした空気の中、インカムを頭に乗せたフロアディレクターが台本片手に出演者らと最後の打ち合わせをしていた。その様子を眼に収めつつ、壱八は将門とそんな他愛ない会話を交わした。筧要登場説を唱えたのは朱良だった。

 やがて〈ガダラ・マダラ〉特番はスタートしたのだが、塞の神と呼ばれた男の発言をきっかけに、早くもひと波乱起きそうな雰囲気が漂い始めていた。

 番組レギュラー司会者の我王区民明。年齢はざっと見て三十代中盤。体格はがっしりしているが妙に撫で肩、必要以上に脂の乗った四角顔をカメラが回っているときも度々ハンカチで拭っていた。

 中堅どころのお笑い芸人で、壱八もその脂ぎった顔と名前程度は知っていた。MC業をこなすからにはトークスキルやアドリブ力が問われそうなものだが、彼の場合は才気溢れる感じよりもその場しのぎの日和見主義的コメントが目立った。流されやすい資質は討論コーナーのまとめ役には不向きなようにも思えるが、意見の衝突の緩衝材としてはこのくらい曖昧な思考のほうがいいのかもしれない。

「うえっ、気持ち悪」我王区を指差し、朱良が嫌悪の意を示して吐き捨てるように言った。「生で見ると、何か皮膚ドロドロしてない? うわ、鳥肌立ってきた」

「もう、静かにしてください。あと指差さない」

 両隣を努めて意識から消し、壱八は右テーブルの議長席寄りに泰然と坐す黒衣の人物に眼をやった。漆黒のローブを全身にまとったその男は、取ってつけたような議長の注意にも、全く動じる様子がなかった。

「冗談? はは、とんでもない。小生は本気で言ってるんですよ。筧君が殺害された二日後、つまり一昨日。現に綿貫わたぬきさんは相次ぐUFO目撃談の実地取材という名目で、ああ、ここではUAPでしたっけ。彼女は遥かベネズエラのUAP多発地帯に飛んでいます。事件の二日後にですよ。タイミング良すぎると思いませんか。しかも彼女、向こう三ヶ月は現地で調査を続けると言い張り、その間この番組には出演しないとまで言ってるんです」

 黒衣が醸し出す陰鬱とした雰囲気とは裏腹に、野太く響くその声はテーブル上の飲み物入りグラスを震わせるようで、重みのある不思議な迫力でもって持論を展開していた。

 彼の名は塞の神紀世きのよ。超常現象肯定論者の最右翼であると同時に、自らも異能力を有している黒衣の怪僧と将門に教わった。アイヌの末裔を自称し、その異能は〈神威カムイ〉と呼ばれていたが、事実、番組の収録中に様々な非科学的・非論理的能力を披露することしばしばで、手を触れずに物体を動かす念力による物体移動、眼隠しした状態で周囲の状況を正しく言い当てる透視といった異能力の常道はもちろん、他の出演者や観客の思念を読み取る精神感応、いわゆるテレパシーや、前に朱良が言っていたセラピューティック・タッチの実践など、神威の内容は多岐に亘り、徐々に耳目を集めるところとなったのだという。

 粛然とした態度で塞の神がスタジオ内に現れたとき、サブディレクターの合図による万雷の拍手の渦に紛れて、朱良が「あいつ、筧以上のペテン師よ」と一人息巻いていたのを思い出す。

「将門。あの塞の神って男、さっきから誰のことを話してるんだ?」

 押し殺した声で、左の占い師にそっと問いかける。

「綿貫時依ときえ。民間の超心理学研究家です。彼女もこの番組のレギュラーなんですよ」

 豊かな唇を寄せ、壱八の耳に囁き返す。完全に異性を魅了するための香気が鼻孔を擽り、壱八は理性の危機を感じた。

「おい近いぞ」

「欲情しました?」

「誰がするか」

 本番中にうるさいと朱良に小突かれ、壱八は腹立たしげに舌を打った。

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