改札口を出て、ロータリーに面した出口正面の狭い通りを無言で歩く。唯一所在地を知る占い師に従い、収録の行われる極東テレビ方向へ足を進めた。都会の雑踏は風景が変わっても絶えることなく、アイスクリームの売店から漂う甘い香りに、急ぎ足を止めて鼻をひくつかせる子供らも少なくなかった。

 多くのカップルや数人ほどの小集団が、商店やマンションの雑多に並んだ季節感に欠ける通りを、壱八たちと同じ方向に歩いていた。通りの先に、テレビ局以外に何があるのか壱八には判りかねたが、そのうちの何人かは自分と同じ番組観覧目的らしかった。周囲の話し声に耳を澄ませると、言葉の端々で〈ガダラ・マダラ〉や筧がどうのと言っているのが聞こえたからだ。

「なあ将門」

 壱八は栗色の髪が緩やかに寄せては返す将門の背中に話しかけた。朱良は壱八の更に後ろだ。いつキックが飛んでくるか、正直気が気でなかった。

「お前はこの番組観てるのか」

 俯き加減に壱八を振り返り、将門は眼をぱちくりさせた上に眉毛を三日月の形に反らせた。

「観たことないですよ。家にネット環境ありませんので」

「だけど、筧要の件は知ってるだろ」

「ええ。君は関心なさそうなので、電話でも事件のことは伏せておいたんですが。ご存知でしたか。意外ですね」

「さてはあんたが犯人ね。猟奇殺人犯め」

 早くも太腿の横に直線的な蹴りが炸裂した。

「痛えなおい。俺はただ、あんな陰惨な事件の後で、番組なんか収録できるのかって言いたかっただけだ」

「放送は継続するそうですよ」将門が口を開いた。「出演者が一人殺された程度で番組を打ち切るほど、制作サイドも局側も弱腰じゃないってことですね。今日収録の〈ガダラ・マダラ地上波出張版! 六十分丸ごと異能力スペシャル〉も予定通り行うくらいですので」

「内容はちょい変更するんでしょ、確か」

「変更って、追悼特集でもやるのか」

 壱八の発言に甘い甘いと首を振り、朱良は真面目腐った顔で、

「あるいはその真逆ね。エスパー掻き集めて超能力で犯人捜しとか」

「なんだそりゃ」

「無茶な番組で定評あるんだから、それくらいやりかねないって」

「よっぽどひどい番組なんだな。てことはあれか、犯人はまだ捕まってないのか」

「よく言うよ、白々しい。警察に捕まりやしないか、毎日ビクビクしながらテレビ見てるくせに」

「あ、思い出した。あのな、お前のせいでテレビの映り悪くなったんだぞ。点けた瞬間、画面に一本の横棒しか表示されなかったり」

 言っているうちに踵蹴りの光景がまざまざと脳裏に蘇り、壱八の心は否応なく重くなった。

 突然その豊満な身をぐるりと翻した将門が、ブラウンの瞳を爛々と輝かせ壱八を見た。

「あら、シネスコサイズですか。ワイドテレビ買う手間省けて良かったじゃないですか」

「うちに感謝しなさいよ。貧乏暇だらけの生活にどっぷり浸かってて、新しいテレビも買えないあんたが憐れで見るに忍びないから、ああやって救済の手をね」

「黙れっての。朱良、お前は特に黙れ。一本の横棒って言っただろうが。音声は出るけど、画面が細すぎて何が映ってるのかさっぱり判らないんだよ。弁償する気がないなら、二度とうちに来ないでくれ。テレビが見れなくなって困るのは、お前も同じだろ」

「時たま映像がおかしくなるくらいで、何声張り上げてんのよ。あんた動画派でしょ。テレビなんて普段ろくに見ないじゃん」

「たまには見る」

「たまに見る画面がたまに調子悪いってことは、実際はごくたまにしかおかしくないってことじゃないの」

「屁理屈言うな。電源入れてないときは、テレビがないのと実質同じなんだよ。見てない時間まで一緒くたにするな」

「詭弁使うのやめてよね。あんたってば、正論で言い返す度胸もないの?」

「そりゃこっちの台詞だ」

 両者一歩も譲らず言い合っていると、前を歩いていた将門がはたと足を止めた。

「どうした」

「あれですね、極東テレビ本社ビル」

 将門が指し示した先には、意外と間近に迫っていたコンクリート階段と、その先に鎮座する近代的なフォルムの巨大建築があった。それは圧倒的な存在感を湛え、遥か下方から見上げる人々に己が威容を誇らしげに見せつけていた。

「でかいな。よっぽど儲かってるんだな」

「メディア事業は赤字ですよ」肩口にまとわりつく長髪を払いながら将門は言った。「とはいえ不動産収入が凄いので、営業利益は右肩上がり。それで社屋や自前のスタジオにジャブジャブお金を使えるんですね」

「ねえ入口どこなの」

 青みがかった銀白の正方形をした外壁と、それに巻きつくように左右に細く連なる窓の並びが、秋の太陽を全面に浴びて水晶めいた鋭利な光を放っていた。壱八の位置からでは建物の側面しか見えない。周囲を取り巻く他の建物は、壁や屋上に幾何学状の段差を持ち、中央の巨大建築の引き立て役に徹するが如く、どれも手頃な大きさにまとまっている。真ん中の建物が極東テレビの本社屋であることは、一目見て判った。

 幅の広い屋外階段に差しかかり、束の間姿を消した社屋が、屋上に達すると再度視界に広がった。鉄柵以外は何もない、しかし人だけはやたらに多い屋上を直進する。

 後で正面玄関に回り込んでみて判ったが、その青い鏡面じみた建造物は、巨人が弄ぶ巨大骰子を想起させる、気持ち悪いほど正確に作られた立方体を二つ横に並べたような構造をしていた。

 屋上の突き当たりは、逆に下り階段だ。地表に眼を落とすと、正面入口へ続く広大な地面は総タイル張りで、控えめな色調ながら、じっと地表の幾何学模様に見入っていると頭がクラクラしそうだった。

 とにかく人が多い。地上のどこに視点を変えても、必ず誰かの姿が眼に入る。タイルの作り出す複雑な模様の上をちょこまかと移動する人々の流れ具合が、寝不足の両眼と脳を益々シェイクさせた。

 疲れの原因はそれだけではなかった。朱良がスタジオ観覧のバイトに加わった瞬間から、疲労は不可逆的に蓄積され続けていた。

 先頭の将門から少し離れ、跳ねるように段差を駆ける朱良の整った後頭部を悔しげに一瞥し、壱八は歩調を緩めて階段の側面から迫り上がった壁の手摺りに手を置いた。堅い手摺の冷たい感触も、壱八の頭脳を完全にリフレッシュさせるには至らなかった。

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