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JR線の電車内は適度に混み合っていた。
「天下のファッションモデルが番組観覧で小銭稼ぎか。モデル稼業も楽じゃないな」
揺れの少ない扉横の壁に背中を預け、壱八は手際よく一番端の座席に陣取った将門の前に立つのんびり顔の朱良に、早速皮肉をぶつけた。
「ファッション雑誌のモデルよ。わざと間違えんな。あと、うちは観覧目当てじゃなくて、暇潰しとあんたをからかうのが目的でここにいるの。そこんとこ忘れないで」
吊革に軽く手をかけ、金網の上に仕込まれたチラシに眼をやりながら、朱良は気がなさそうに答えた。
「テレビ好きの血が騒いだか。タバコのワンカートンも買えないのに、よくまあバイトに参加する気になったもんだ」
「うちタバコ喫わないし」
当てつけがましい言い方に、それまで己のマニキュアの出来栄えを多角的に検証していた将門の濃紫色の眦が、不穏な感情を湛えて吊り上がった。
「ねえ朱良ちゃん。今の言葉、わちきに対する挑戦と受け取ってよろしくて」
フンと顔を逸らした朱良だったが、そこにいつも漲らせている挑発の雰囲気は皆無だった。
「接し方が俺のときとまるで違うな」
突然訪れた朱良の変化を、壱八はきっちり把握していた。
「うるさい、この憂鬱質」
朱良は苛立ちを将門でなく、より攻撃し易いほうにぶつけた。
「何だよそれ、悪口か」
壱八が朱良に苦手意識を持っているのと同じく、朱良はこの美貌の占い師を苦手としていた。これで将門が壱八を苦手に思っていれば完全な三つ巴の相剋関係になるのだが、その点に関しては壱八自身もよく判らなかった。スマホも携帯電話も持たない将門の連絡係として外出時に呼び出されることは前にもあったし、特別壱八を避けるような素振りもなかったが、今一つ捉えどころのない印象を将門に対して長らく抱いていた。
「朱良ちゃんは、君の胆汁が真っ黒だって言いたいんです。これで納得しましたか」
鮮やかな縞模様を有した耳許の瑪瑙のピアスを指の平で弄びつつ、占い師は訳の判らないことを口にした。
「バカにされたらしいってのは、何となく判った。占いの用語か?」
「太古の精神医学の術語ですよ。今では医学的な価値もほとんどありません」
「へー詳しいのね。似非占い師のくせに」
朱良が口を挟んだが、平常時の口調より歯切れが悪く聞こえる。
「自分で言わせておいて、それはあんまりなのでは?
テノールに近い低い叱咤に、朱良はばつの悪い顔で唇を噤み、頭上のチラシに視線を戻した。日頃の粗野な有様は鳴りを潜め、まるで別人だった。
将門の隣に座っていた眼鏡の会社員が、ぎょっと眼を剥いて恐る恐る横を盗み見た。男が驚いたのは、意外と低い声質にか、それとも発言に対してか。
半月。その言葉が、壱八に忌まわしい過去を思い出させる。
壱八は将門のことを、ほぼ何も知らなかった。付き合いは朱良よりも長いが、実家も家族構成も判らない、とにかく謎だらけの人物だった。
自らの素性を秘匿する一方、占い師円筒将門は自分が
出会ってまだ間もない頃、将門にその事実を明かされた壱八は、相手の股間を触ったことがあった。正確に言えば、壱八の懐疑に満ちた眼差しに立腹した自称半陰陽が、無理矢理手を取り強引に触らせたのだが。
服の生地越しに掌に当たったあの感触を、壱八は歳月を経た今でも忘れ去ることができない。あの恐怖の手触りは、男を魅了する美貌と肢体の持ち主が決して所有してはならないはずの、立派なファロスに相違なかった。不審と疑惑は解消したが、代わりにもたらされたのは大いなる驚きと、思い出すたびに己を暗澹とさせる、件の感触だった。
彼女であり彼でもあるところの円筒将門は、生まれながらにして両性を具有した、本物の男女性のハーフだったのだ。外見だけでは想像だに難しいことだが、半陰陽の事実を頭から否定するのは困難となった。
体格は女性とほぼ同じで乳房も本物、声は低めだが髭は生えず、逸物のほかに女性器もあり、生理も起こるが睾丸はない。以上が将門本人の弁だ。これを信じるなら、陰茎さえなければ一般的な女性とさほど差異はない。むしろ美の観点に立てば、彼女かつ彼は一般女性とは比べものにならない、無類の女性美を具えていた。ついでにもう一つ、余計なものまで股間に具わっているのだが。
目的の駅への到着を告げる、車掌の特徴的な声が車内に流れた。座席に着いたままいそいそと身支度を始める者もいれば、まだ電車が動いているのに人々の間を縫って早くも扉付近に移動する者もいた。
「結構いるのね、ここで降りる人」
「わちきどもと同じ目的地かも。登録者だけで五十人は募集したそうですから」
円筒は悠然とシートに身を沈めたまま言った。完全に停車するまで離席するつもりはないようだ。
「俺や朱良みたいな飛び入り参加でも、本当に大丈夫なんだろうな」
「相変わらず心配性ですね。わちきの連れってことにしておけば問題ないです」
「何尻込みしてんのよ、これだから憂鬱症は。墨汁でできてんじゃない、あんたの胆汁」
「だったら相手するなよ。こっちから頼んだ憶えはない、っとと」
急にやってきた停止の反動で壱八は語尾を縺れさせ、慌てて手摺りに掴まった。電車がホームに着いたのだ。
朱良に足蹴にされながら電車を降り、二人に挟まれるようにして改札のある上り階段へ。大勢の乗客が一斉に雪崩れ込む様が、他人事でもないのにひどく滑稽に思えた。
壱八と同性の通行人は、一見するととびきりの美女を両隣に侍らせた壱八のことを、大層羨ましく思っているようだ。壱八に向かう妬ましげな視線が、明確なまでにそう物語っていた。それはそれで悪い気はしないが、実情を考えると天狗になってもいられない。男勝りの暴力女と両性具有者に両脇を固められての居心地は、周囲が思うほど快いものではなかった。
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