第一章(事件の真相2)
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「いたいた。邪魔するわ」
まず小説という形式に馴染めなかった。活字アレルギーではないが、とにかく時間がかかりすぎる。時間を短縮するには、読み飛ばすか要点を拾い読みする必要がある。結果、そんなことをしてまで読む価値があるのかという読書論の原点に立ち還る。
「相変わらずひっどい部屋。換気換気」
なので、メイントリックや結末はネット上で調べることになる。ミステリーに対する拘りは皆無だし、ネタバレサイトは必ず存在する。ソーシャルネットワークサービスの口コミも有用だ。本読みの行為としては完全に邪道だが、その手の供給サイトがある以上、一定の需要があることは疑いえない。
「テレビでも観るか。ホントここって何もないよね。ろくな本ないし。ゴミしかない」
以前は映画や漫画のストーリーをかい摘んで解説する動画を好んで視聴していたが、規制が厳しくなり配信者は激減。いわゆるファスト映画界隈では逮捕者まで出た。アングラに潜った配信者を探すのは難しくなり、時短のための視聴動画探しに時間を費やさねばならない本末顛倒ぶり。
「何か映画やってない? あーこの時間はやってないか。しゃーない、ニュースだな」
坊主憎けりゃ云々。そんな大袈裟な物言いにも一面の真理はある。小説のまどろっこしさに抱く嫌悪は、そのままミステリーの論理性に対象を移行した。
「いやーそれにしてもあのニュースには清々したね。久々の朗報ってやつ? 例の一斉検挙。あんな連中この世から消えてなくなりゃいいのよ」
映画好きで小説も読み、ネタバレやファスト映画を唾棄する
彼女に対する怒りも、ミステリーへの嫌悪と同族だった。信条も思想も、何もかも正反対。壱八はミステリーも吉岡朱良も大嫌いだった。
そんな彼女が、何故彼氏でもない男の、大して片づいてもいない古アパートの一室にこうして真っ昼間から乗り込んでくるのか。他人の部屋にも拘らず我が物顔で振る舞い、嫌がらせとしか思えない言動を繰り返すのか。
ミステリー嫌いの壱八に、それは永遠の謎として重くのしかかっていた。とかく彼女は不可解な言動が多く、そのほとんどが壱八にとって不愉快なものだった。
「あんた倍速再生好きだよね、動画の」
今まさにそれを観ていたところだった。肯定すれば確実に突っ込まれる。壱八は手許のスマートフォンから眼を離さず、返事もしなかった。
「いや駄目でしょ。元に戻しなさいよ。てか無視すんな」
「何で判るんだよ」
「音聞きゃ判るっての」
取り敢えず音量はゼロにしたが、動画再生はこっそり続けた。
と、朱良のいる辺りから鋭い蹴りが飛んできて、思わずスマホを取り落とした。
「やめろ、おい」
「あんたが観るのやめなさいよ」
白旗代わりにに溜め息を吐いて、拾い上げたスマホを炬燵テーブルに置く。
それを見た朱良は勝利の含み笑いを口の端に浮かべ、壱八に背を向けた。ようやくテレビ視聴に本腰を入れるつもりか。
「ロングスカートで蹴るか普通」
「お菓子ないの。あれば蹴らない」
「あっても俺が出さなきゃ蹴るんだろ」
むさ苦しい男所帯の、程々に散らかった六畳一間の和室。買い置きのスナック菓子を探しに立ち上がる。畳に臥し、断りもなくテレビを独占する客人の姿に、家主は舌打ちを禁じえなかった。
スナックの袋を手に部屋に戻ると、とある民放局の報道番組が始まっていた。アパートにいてもほぼスマホしか見ないため、番組名もキャスターもさっぱり判らない。
朱良はというと、淡いクリーム色のセーターの胸のところで腕を組み、真剣に画面を見つめている。いや睨みつけているといったほうが正確か。
「そんなに嫌なら観なきゃいいだろ」
「うるさい」
言葉少なにスナック菓子の袋に手を伸ばす朱良。壱八が腰を下ろすよりも早く、ポリポリと固い菓子を噛み砕く音が聞こえた。
飲み物ないの、と不明瞭な発音で朱良が言う。
聞き流したことにしても良かったが、これ以上不興を買うと何をされるか判らない。
「台所にあるはず」
「持ってきて」
「誰が?」
「あんたよ」
「冗談だろ」
直線を描いて何個も飛来するスナックを避けるようにして、壱八はすぐさま台所へ向かった。
客を持て成すのは常識なのだろうが、呼んでもいないのに突然押しかける狼藉者に対して果たす義務など持ち合わせていない。人様の部屋で喰い物を投げ散らかす輩にはなおのことだ。もし朱良が妙齢の女性でなかったら、今頃部屋から叩き出しているところだ。
「お前なあ。誰が掃除すると思ってんだ」
「食べればいいじゃん。スタッフが美味しくいただきましたって」
「どのみちBPO案件だ」
「小腹満たせて部屋も片づいて一石二鳥。てか、普段から掃除してないよね」
部屋の散らかり具合もそうだ。彼女には、ここに来るたびに部屋中をごちゃごちゃ掻き混ぜる習性があるらしかった。壱八も決して不潔な環境を望んでいるわけではないのだが、掃除を上回るペースで客人に汚されるため、一向に綺麗にならないのだ。
烏龍茶入りのグラスを手に再度戻ると、朱良の視線は大して大きくもないテレビ画面に再び注がれていた。綿の掛け蒲団に点在するスナック菓子の粒が、室内のカオス度をますます高めていた。
『番組の予定を一部変更してお送りいたします。朝のニュースでもお伝えしましたが、今朝未明……』
グラスを置いて、ミディアムボブの後ろ姿とテレビ画面をぼんやり眺める。表情は窺い知れない。謝辞の一言もなく、朱良は完全に視野の外にあるグラスを引ったくった。後頭部にも視覚があるとしか思えない。
「んなもん置いた音で大体判るわ」
心中を否定され、心を読まれたような錯覚に陥った。存外に頭が回るのか、彼女といると思考を先回りされるパターンが少なくなかった。あるいはこちらの思考回路が単純なだけかもしれない。
『……動画配信サイトで注目を集め、最近ではテレビ番組にも出演していた人気霊能者の筧
形容しがたい微妙な色彩のセットを背に、神妙な顔で淡々と語るニュースキャスターの女性。隣の若い男性キャスターも、逸早く葬列に加わったような暗い顔をしている。
『しかも、発見された筧さんのご遺体は、あろうことか頭部を切断され、両眼にそれぞれ長い菜箸を突き刺されるという、大変惨たらしい状態だったのです』
突如、不協和音混じりの不穏なテーマ曲が流れ出し、画面一杯に大量のピアスをした若々しい顔写真と、それを覆い隠すように手書きのテロップが浮かび上がる。
〈人気霊能者筧要(23歳)惨殺体で発見〉
続いて画面は高層マンションのローアングルに切り替えられ、字幕も別のものになった。
〈深夜の凶行? 残忍な手口 切られた首が玄関に〉
切られた首が、玄関に?
壱八は拾い集めたスナックをまとめてゴミ箱に放ると、朱良の視界に入らない死角に座を占めた。
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