「有名なのか。この筧とかいう霊能者」

「確か動画配信者。あんたのほうが詳しいんじゃないの」

「霊能系は専門外だ」

 記憶にない名前だった。

 キャスターの呼び掛けに応じて、映像が現場からの中継に切り替わった。イヤフォンを耳に入れたリポーターの女性が、マイクを手に屋内エレベーターの前に立っている。画面右上には〈LIVE〉の文字と共に現場マンションの建つ区の名称が見え、右下には小さな字幕で〈狂気の犯行 人気霊能者筧要(23)自宅で殺害される〉とある。

『ここが筧さんの住んでいたマンションの、現場の階です。今朝四時半頃、新聞配達の男性がいつものようにこのマンションにやって来ました。各階の朝刊を配り終え、この十階に辿り着いたのが四時四十五分頃。彼はエレベーターを降りた後』

 台本も見ずに滑らかな口調で言い、別の扉へ歩き出すリポーターをカメラが追う。画面も動き出す。

『このドアを通って外廊下に出ました』

 リポーター自ら扉を開け、外廊下に出る。すぐ前方に若い警官が立っていたが、テレビカメラに映っていることも全く気に掛からない様子で直立不動の姿勢を保ち、出入り口周辺を監視している。廊下のコンクリート塀はカメラの視点より僅かに高く、塀の向こうは薄雲の広がる空しか見えない。

 映像は素早く右にパンし、玄関ドアが等間隔に立ち並ぶ、がらんとした外廊下をフレームに収めた。反対側にもドアが同じように並んでいるのだろう。ドアの間隔は割合に広く、室内もそれに見合ったスペースが確保されているようだ。外壁の材質一つとってみても、壱八のアパートとは大違いだ。

「こういうのって、普通モザイクかけないか」

 何となくケチをつけたくなり、朱良の後頭部に声をかけてみたが、すぐにその愚問さに気づいた。

「生放送だからでしょ。リアルタイムでモザイクなんて面倒じゃん。さっきのマンションの遠景も特定しにくい映し方してたし、ここも名札映さなきゃオッケーってことじゃないの」

 振り返りもせずに捲し立てられ、壱八は決まり悪そうに頭を掻いた。

『配達員の方はドアを出て、まず最初に外廊下を、このように右側に向かいました。右の部屋から新聞を配り始めるのが習慣になっていたそうです。えー、このマンションは一つの階に十六の部屋があり、一番奥の部屋から数えて三番目、ここからだと五番目に筧さんの部屋があります』

 テレビカメラを気にしながら、ゆっくり歩を進めるリポーター。画面に映るどの扉も、身近な場所での殺人劇を悼むが如く、一様にひっそりしていた。普段からそうなのかもしれないが、殺人現場の名を冠された空間は、どこも殺伐とした雰囲気が漂っているように思えてならなかった。

『ここの二部屋に朝刊を届けた配達の方は、ちょうどこの辺りでですね』

 リポーターは廊下の中ほどで立ち止まり、急激な風で髪が乱れるのも構わず説明を続けた。風音をマイクが拾うので声が聞き取りにくくなる。

『筧さんの部屋のドアの前に、何かボール状の物が置いてあるのを見つけました。何だろうと思い、こうして近づいていきまして』

 そこで言葉を切ってカメラマンを促す。リポーターの姿がフレームアウトし、ある扉の手前でそれは静止した。

 問題の部屋扉の前にも一人、見張りの警官が立っていた。眼が隠れるまで深く制帽を被り、マネキンのように固まってやはり直立している。表情には出さないが、取材陣の存在を煙たく思っているのは疑いない。

『ドアの前に置かれた物を、よく見てみました。それはなんと、切断された男性の頭部だったのです』

 ぐっと画面が下向きになる。扉前のコンクリート床に、チョークで書かれた白い粉が微かに残っている。その中央が、床のほかの部分より少し黔んでいた。白粉の跡は、首の置かれた箇所に捜査員がつけた印だろう。

 あの少し赤黒い所に、生首があったのか。

 ポリ、と朱良のスナック菓子を齧る音。

『既に玄関先の鑑識は終わっており、床も片付いていますが、発見された朝早くには、頭部の置かれたこの辺りに血の痕が生々しく残っていたそうです』

 犯行現場を避けるようにドアの前に立つリポーター。こういう状況によほど場慣れしているのか、口調に澱みが全くない。能面じみた相貌が、言葉つきを益々非人間的なものにしていた。

『配達の方は一目散にここを離れ、警察に連絡しました。その後の調べで、更にこの室内から男性の首なし死体が発見され、本格的な捜査が始まりました。検死の結果、頭部と胴体の身許が、この部屋に住んでいる人気急上昇中の霊能者、筧要さんその人であることが判明したのです』

 ここでスタジオのキャスターが、現場リポーターに声を掛けた。

『切断された頭部は、具体的にはどういう状態だったんでしょうか』

 質問の内容も打ち合わせ済みなのだろうが、リポーターはそんな素振りを見せず、はい、筧さんの頭部はですね、と即座に応じた。

『先程警視庁で行われた記者会見に拠りますと、塀のほうに頭を向けまして、外を見るような恰好でここに晒されていたとのことです。それと頭部の両眼部分に、それぞれ木の菜箸が深々と突き刺してあったそうです。この件に関しまして、捜査本部は筧さんを殺害した犯人がわざと頭部を置き残していったのではないか、との見解を持っているようです』

『そうですか。そちらの現在の様子はどうでしょう』

『室内では捜査陣による現場検証がまだ続いていますが、この外廊下はドアの近辺を見張っている警察の方々と私たち以外誰もおらず、閑散としています。時折警察関係者が慌しく出入りする他は、どの部屋も人の出入りは全くなく……』

「ひどいことしてくれるじゃん」

 それまで人気霊能者の猟奇殺人ニュースに見入っていた朱良が、ふと言葉を洩らした。ひどいことの意味内容は、首の切断についてか、それともその生首を玄関に野晒しにしたことか、はたまたその眼に菜箸を刺したことか。いずれにせよ螺旋状にうねり曲がった彼女の性格から出たにしては、至極真っ当な意見だった。案外まともな考え方もできるのかと、壱八は少しだけ感心した。

 大体菜箸なんて気の利いたもの、キッチンに置いてあったろうか?

「まあな。その筧って奴の目玉に、よっぽど恨みでもあったんだろうな」

「あんた何言ってんの」冷たく突き放す朱良。その視線は声以上に冷たい。「うちが言いたいのは、あんなふうに四六時中玄関周りを見張られたんじゃ傍迷惑ってことなんだけど。あれじゃおちおち買い物にも行けない」

「そりゃ、しょうがないだろ。人が一人殺されたんだから」

 どうにか言葉は返したものの、壱八は既に彼女と本気で張り合うのを放棄していた。彼女の思考に波長を合わせることは、即ち敗北を意味する。

「この隣で殺人事件起きたらどうすんのよ。ドア開けたらずーっと警官立ってんのよ。被害者が有名人だったりしたらマスコミも来るし。大迷惑」

「そうなれば、お前も来なくなるのか」

「何嬉しそうな顔してんだ」

 またスナック菓子を投げられた。

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