第37話 悪魔と対峙する者
ニューヨークのラッキースタジアムにて、同じニューヨークをフランチャイズとする二つのチームが対決する。
毎年サブウェイシリーズとして試合は行われているが、今年は試合数が違う。
例年であればホームとアウェイで二試合ずつ。
それが今年は、インターリーグで東地区同士の別リーグが対決するため、三試合ずつの六試合となっているのだ。
既に2カード分は終わっているのだが、一試合が雨で中止。
そのためここで試合がねじ込まれたのだが、日程的にはどちらかというと、メトロズの方が不利である。
今年の成績自体は、メトロズが四勝一敗とリードしている。
ただそれは偶然に、ピッチャーのいいところに当たっているからだ。
武史とジュニアで二勝ずつして、オットーはリリーフのアービングが打たれて負けた。
なお武史は二試合とも、完投勝利をしている。
そして今日の試合も、メトロズの先発は武史。
対するラッキーズは、売り出し中の若手左腕を持ってきている。
メトロズとの対戦は、これが初めて。
ならば若造を、圧倒してやろうというのが、普段のメトロズである。
だがそのピッチングスタイルなどから、かなりの相性を考えている。
ラッキーズは毎年メトロズとサブウェイシリーズをするため、大介の対策を他のア・リーグのチームよりも意欲的にやっている。
そして過去を遡って、大介を苦しめたタイプのピッチャーを、ピックアップしているのだ。
もちろん上杉や直史は、そもそも大介以外でも打てないピッチャーである。
しかしながら探してみれば、高校時代もNPBでも、やや苦手な傾向は見えてくるのだ。
サウスポーでスライド変化のボールを、胸元に入れてくるピッチャー。
ただしそのコースは、MLBではボール球だ。
大介の打撃成績は、高校入学後はまさに覚醒といっていいものであった。
甲子園でのホームラン数に、プロ入り後の各種数字。
打者記録の最多と最速を、ほとんどの分野で更新してしまった。
そんな大介は、今日も問題なくスタメンに入っている。
ラッキーズの先発は難しい顔をしているが、井口にとってはこの試合、チームの勝利よりも自分の打撃のことを考える。
メトロズの先発は武史なのだから、取れたとしても一点か二点。
対してメトロズの打線を、一点までに抑えられるかどうか。
それが難しいことを、井口はよく分かっている。
だがそんな中でも、自分は自分のベストを尽くすだけだ。
ニューヨーク対決で大介が復帰したということもあり、スタジアムは完全満員。
またメトロズは武史が投げるということで、そのピッチングにも注目が集まっている。
それに直史がアナハイム時代は、同じア・リーグなのでこのスタジアムでも投げている。
敵ながらこれだけスタープレイヤーがいれば、それは現地で見たいとも思うだろう。
実際にメトロズのみならず、この数年はMLBのどのチームも、観客動員は上がっている。
さすがに以前のように、アメリカ四大スポーツの筆頭、とまではいかない。
ただロックアウトなどもあって、あれがMLBの人気を落としたのは間違いないのだ。
一回の表は、メトロズの攻撃となる。
レフトの井口は、ゲームとしてはこの初回が大事だな、と分かっている。
メトロズのステベンソンか、あるいは大介。
どちらかが塁に出ると、一気に得点の可能性が高まる。
それに大介のホームランは、第一打席が一番多い。
ステベンソンの打球は、センターに打たれたがほぼ正面。
運が悪ければヒットの当たりであったが、ラッキーズ側としては運がいいように、野手の正面に飛んだ。
アウトカウントを一つとって、大介の打席が回ってくる。
井口はすぐ反応できるように、膝の力を緩める。
ワンナウト大介なのだから、ここは歩かせても仕方がない。
その後ろにも怖いバッターが揃っているが、大介ほどに問答無用の力を持っているわけではない。
高校三年間、最後の夏の甲子園、大介は甲子園での打率が八割を超えていた。
地方大会ならばともかく、甲子園の舞台である。
井口も五割近くを打っていたが、それでも役者が違った。
またあの年の白富東は、高校野球史上最強のチームなどとも言われていたのだ。
実際に春夏連覇を果たし、神宮大会から国体までを完全制覇している。
(そのコンビが同じチームにいるんだからな)
第一打席の大介は、井口に向かうレフトフライ。
わずかなミスショットで、ホームランにはならない。
ただスイングスピードだけで、外野にまで持ってくる。
体格に反してパワーの塊だ。
ただそれでも、ここでは凡退しメトロズの先取点は止めることが出来た。
一回の裏、ラッキーズの攻撃。
三番に入っている井口には、必ず打順が回ってくる。
武史の攻略方法は、序盤に叩くこと。
それはNPB時代と言うより、大学時代からよく言われている。
スロースターターなのだ。
だいたい打者一巡したあたりから、本気を出してくる。
肩の暖まるのが遅いと、よく言っている。
しかしスピード自体は、一回から105マイルを投げてくることも珍しくない。
一番二番と、内野ゴロで凡退が続いた。
去年はシーズン記録を塗り替えた奪三振王であるが、今年も既に奪三振のタイトルをほぼ確実にしている。
高い奪三振率から、クローザーなら本来は、その力を発揮できるのだろう。
ただ肩の暖まるのに時間がかかるため、先発としての適性しかない。
もっとも試合の序盤は、それはそれで上手く凡退させる技術を持っている。
三番の井口は、この序盤の武史から、一発を狙っている。
また球数を投げさせることも、状況次第では有効になる。
これがレギュラーシーズンの中で、三連戦であったとしたら、武史を消耗させることにも意味がある。
また、直史を引き出すことにも。
しかし一試合だけ独立しているのなら、下手に消耗させても、他のチームを有利にするだけだ。
ラッキーズとしては、ただこの試合に勝つことだけを考えればいい。
すると得点する方法としては、武史をなんとか六回か七回で引き摺り下ろす。
そして直史が出てくる前に、ある程度の点差をつけてリードする、ということになる。
もちろんそんなものが難しいのは、井口もよく分かっている。
今年も武史の防御率は、1を切っている。
0の直史よりはマシであるが、そんなピッチャーからそうそう得点出来るのか。
肉体の構造からして、他の人間とは違うのか。
ただ過去にも105マイルほどを投げたピッチャーはいるが、それでもここまでの支配的なピッチングではなかった。
五球を粘ったところで、井口は最後はスプリットで空振り三振。
今年から武史が、よく使うようになった球種である。
ただ基本的には、決め球として使う場合が多い。
ある程度ヤマを張っていたら、対応できなくはないのだ。
もっともスプリットでも、平気で100マイルはオーバーするのだが。
試合は二回に入る。
一回のイニングだけを見れば、メトロズの勢いが分かりやすい。
だがスコアはまだ0-0と、勝負は分からない。
野球は偶然性の高いスポーツだ。
武史を打って、勝利を目指す。
二打席目の大介と、甘い勝負をしてはいけない。
初回に打ち取ったからといって、せっかくランナーはいなかったのに。
外角をあえて引っ張られて、そのままスタンドイン。
ソロホームランでメトロズが一点を先制した。
怪我から復帰後の大介の成績は、完全に異次元の領域にある。
打球はほとんどがフェンス近くまで飛んで、単打よりホームランの方が圧倒的に多い。
もちろんこんな調子が、いつまでも続くとは思えない。
だがMLBは他のチームと力を合わせてでも、どうにか大介を封じる必要があるのではないか。
続いてメトロズは、もう一点を追加。
2-0となって、試合は中盤に進む。
井口もどうにか武史を打とうとするのだが、バットに当てるので精一杯。
そして第二打席以降は、ストレートと変化球の軌道が、第一打席よりもひどく離れて見えている。
ボールのホップ成分がすさまじく高いのだ。
それとホップ成分のない、ツーシームやカットボールと合わせたら、普通に三振の山を築いていく。
第二打席もファールで粘ったが、最後にはチェンジアップで三振。
もっとも武史の場合は、本当にあれをチェンジアップと呼んでいいのかどうか、疑問が残る。
ナックルカーブという大きく落ちるボールも持っていて、球速の緩急もある。
この試合も六回まで、ヒットの一本も出なかった。
まさかパーフェクト、と思われる七回に、ようやくヒットが出てくれる。
ただ今日の試合は、球数自体はそこそこ多くなっていた。
もっともそれでも八回までは、ヒット一本で投げきった。
メトロズはさらに一点を追加した状態で、九回の裏、ラッキーズは最後の攻撃を迎える。
そしてメトロズは、九回の裏に直史を投入した。
ブルペンで投げている姿を見ているだけで、うんざりとした気持ちが湧いてくる。
この心理的な効果はバカにならないな、と井口は思った。
もっと根本的な部分でどうにかしないと、直史は打てない。
ただ一本ヒットを打ったぐらいでは、試合に勝てないとも思うのだが。
直史のピッチングは、武史のストレートを見た後だけに、タイミングが合わなかった。
ぐりんぐりんと曲がる球で、空振り三振を取られる。
ボール球であっても振ってしまう、そんなのが直史の球だ。
そして井口は、一応バットを持っているが、今日の四打席目が回ってこないだろうと思った。
あまりにも絶望的過ぎる。
武史を八回で降ろしたのは、メトロズの余裕と思ってもいい。
ナ・リーグは今年、特別に強力なチームというのがなかった。
一時期はトローリーズかもと思われたが、今では西地区はサンフランシスコが首位を走っている。
そしてそんな中で、メトロズはずっと連勝を続けている。
クローザーが一人決まっただけで、これほどの安定感が出るとは。
以前に上杉が投げたよりも、さらに絶対的なものを感じる。
このチーム編成が今年限りというのを、他のチームは感謝しなければいけないだろう。
ア・リーグではミネソタが、今年は一強であった。
アナハイムの故障者が出たこともあり、あるいはワールドシリーズに進出して制覇するのでは、とも思えた。
井口はそれを防ごうと思っていたし、ラッキーズは充分にコンテンダーとして優勝を狙えるポテンシャルはあると思っていた。
だが現実はこうである。
最後のバッターがショートゴロに倒れ、ゲームセット。
結局四打席をもらえたのは、一人だけであったのだ。
直史はこれで6セーブ目。
さすがにセーブ王は取れないだろうが、まだ一人のランナーも出していない。
井口は昔を思い出す。
U-18のワールドカップで、日本が優勝したあの大会。
三年中心のチームながら、三人だけ二年生からも選ばれた。
その三人の中に、直史と大介が入っていたのだ。
パーフェクトクローザーと呼ばれ、事実一人のランナーも出さなかった直史。
投げたイニングは、12イニングもあったのに。
今年もここまで25試合、完全に無失点の試合を続けていた。
おそらくこの記録は、人類が野球を忘れない限り、永遠に残り続ける。
正直なところ井口も、どうしてこんなことが出来るピッチャーがいるのか、意味が分からない。
だが現実としてここに存在している。
あるいはそんな存在と対戦出来ることを、喜ぶべきなのか。
だが数字で評価されるMLBの世界では、対戦を喜ぶことは出来ない。
せっかくなら直史と大介は別のチームにして、そして楽しめばよかったであろうに。
メトロズはそそくさと、試合後に解散する。
明日にはまた飛行機に乗って、その日にボルチモアと対戦するのだから。
この調子でメトロズは、またもポストシーズン進出を決めるのか。
またワールドシリーズに進み、ワールドチャンピオンとなるのか。
「いつかは、絶対に」
まだまだ、野球人生は続いていく。
単純なピッチャーとの勝負以外に、自分は自己の成績を考えなければいけない。
ニューヨーク対決はメトロズの圧勝に終わった。
3-0のスコアはそれほど圧勝には思えないだろうが、それでも誰もが分かった。
あれは圧勝なのであると。
敗北の苦味を味わいながらも、井口はまた次の試合に向かう。
自分はプロなのだから。
戦い続ける日々は、まだまだ長く続いていくのだ。
それが自分の選んだ、プロ野球選手という生活なのだから。
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