第36話 片想い

 一方的なライバル関係というのは成立するのだろうか。

 むしろ世の中の大半のライバル関係は、別にライバル関係でもないのではないか。

 だがスポーツ競技であれば、目標とする対象がいた方が、自分の位置が分かりやすい。

 その意味では大介をライバル視するピッチャーもバッターも、共にたくさんいるだろう。

 もっともMLBの場合、チーム数の多さから、大介の恐怖をまだ知らないピッチャーも多い。

 直史の恐ろしさを、まだ知らないバッターがいるのと同じように。


 直史の恐ろしさも、大介の恐ろしさも、ましてや二人が揃った時の恐ろしさも、本多は知っている。

 それでもこの二人と対決する意思を失わない、彼は勇者である。

 いや、蛮勇か、悲劇の英雄と呼ばれるかもしれないが。

「よし!」

 それでも今年12勝目を上げた彼は、間違いなくMLBを代表するピッチャーの一人になっていた。


 日本にいた頃は高校生の頃から、ポテンシャルは最高とずっと言われていた。

 ワールドカップ初制覇のメンバーであり、一年生ながら甲子園の夏で優勝している。

 また最終学年では、あの選手層の厚い帝都一のチームで、四番でピッチャーという役割であった。

 最後の甲子園は優勝した春日山に、準決勝で負けている。

 しかしプロ入りしてもまだ、ポテンシャルを完全には発揮していない、といわれ続けたのだ。


 MLBで投げ始めて、ようやくその才能が限界まで発揮されたと言っていい。

 そして高校野球の名門で鍛えたという精神力は、この時期のトローリーズにとって必要なものであった。

 大介を故障させ、さらに樋口まで離脱させ、MLBファンのヘイトを一身に受けていたトローリーズ。

 もちろん強烈なブーイングを浴びただけで、萎縮するような神経の持ち主は、MLBの世界にはいない。

 しかし一度狂った調子は、どこかで整える必要はあったのだ。

 そんな中で本多は、完封勝利を遂げた。

 力ずくでチームの状態など関係なく、勝利をもたらしたのだ。


 もっともそれは、トローリーズへのヘイトが薄まっていたこととも関係している。

 大介が思いのほか早く復帰し、そしてアナハイムはチームを解体した。

 そして直史をメトロズが獲得したことで「それは反則だろ」という意識が上回ったのだ。

 確かに本多も、反則じみてるなと思わないでもない。

 実際にあの二人が揃ったチームと、対決して負けたのが本多であるからだ。


 三年春の大会は、東京都の代表も出る、関東大会がある。

 夏のシードを取ればあとは関係ないとも言える、語弊を恐れずに言えば、負けてもいい大会だ。

 しかしそこでも優勝を目指して、本多のいた帝都一は勝ち進んだ。

 このまま甲子園まで無敗で行くか、というところで白富東に負けたわけだ。

 次に道が交わるのは、プロの世界かと思っていた。

 だがワールドカップに、二年生三人が選ばれて、そのうちの二人が直史と大介であった。

 つまり本多は、二人とチームメイトにもなったことがある。

 そして身内として見れば、直史のクローザーとしての力はどうなのか。


 反則だろう。

 おそらく日本では、多くの元高校球児がそう思っている。

 ちなみに本多は、WBCでは選ばれていないので、これに上杉が加わった最強チームは経験していない。

 タイタンズのコーチと意見が合わず、いまいち飛躍できていなかった時期である。

(けれどまあ、そんなやつらと対決出来ると考えれば、悪いことでもないのかな)

 トローリーズは九月の上旬に、もう一度メトロズとのカードを残している。

 かなり先のことなので、ローテがずれる可能性はある。

 だが今の時点では、本多は投げる予定であるのだ。


 トローリーズはサンフランシスコに首位を逆転され、サンディエゴにも上回られ、今は西地区三位である。

 しかし残りの試合数を考えれば、充分に逆転は可能なゲーム差だ。

 レギュラーシーズンでも対戦の機会があり、さらにポストシーズンでも対戦するかもしれない。

 そう考えると本多は、どれほど大介との対決の機械に恵まれていることか。

 もうトローリーズは三年連続で、メトロズにリーグチャンピオンシップで敗れている。

 しかしその三年間の間で、ポストシーズンに限れば本多は三勝二敗と勝ち越している。

 去年の二試合は、両方とも負けているのだが。

 片方は相手が武史だったので、それを1-0まで粘ったのだ。


 今年のメトロズが、果たしてポストシーズンでどんな投手運用をしてくるか。

 本多としてはNPB時代も含めて、佐藤兄弟に負けた分を取り返したい気分だ。

 こう考えられる本多は、たとえ成績では上回らないとしても、自分自身には勝っている。

 彼もまたMLBで、己を信じて投げるメジャーリーガーの一人であるのだ。




 ニューヨークで井口は、今年最後のチャンスを待っていた。

 いや、本当に最後になるかどうかは、チーム次第であるのだが。

 先日のメトロズとの試合、雨天にて一試合が中止。

 そのためスケジュールに無理やり入れるように、メトロズとの一試合が入っている。


 メトロズは八月に入ってから、一試合も負けていない。

 最後に負けたのが七月最後の試合なので、九連勝となっている。

 大差勝ちと僅差勝ち、どちらも記録している。

 二点差以内の僅差勝ちの、五試合のうち四試合で、直史がセーブを上げていた。


 井口には直史のクローザーというのが、あまり強い印象がない。

 クライマックスシリーズなどで最後にクローザーをすることはあったが、レギュラーシーズンとポストシーズンでは、ピッチャーの調整は違うと思っていたのだ。

 ただ直史の適性はとうかはともかく、次のメトロズとの対戦で、井口は武史と対戦する。

 MLBではピッチャーのローテをいじることは滅多にないので、ほぼ間違いなくそうなるはずだ。


 詳しいことなど知らない井口は、来年に直史がどのチームにいるかを知らない。

 ただ甲子園やWBC、そしてプロの世界と、何度かは直史とも対戦している。

 そしてその中で、勝てたと胸を張って言えるような勝負はない。

 なにしろ最終的に、直史は試合には勝ってしまうのだから。


 直史にクローザーをさせるためには、武史に球数を投げさせなければいけない。

 これもまた大変なことであるのだが、それでも直史との対決は、それを逃せばポストシーズンからワールドシリーズで勝ち上がるしかない。

 ボストンやミネソタに負けるつもりはないが、確実に勝てるとも言えない。

 野球はチームスポーツなのであるから。


 それを思えば今年、最後のメトロズとの対決で、武史と勝負できるのはありがたいことなのだ。

 高卒後一年目から、一軍で試合に出ることの多かった井口。

 しかし武史は大卒で、直史はそこからさらに遠回りしたため、対戦経験が少ない。

 ピッチャーとバッターは、対戦経験が増えるほど、バッターの方が有利になるとも言われる。

 ただそれが本当だとしたら、直史の成績が年々上昇するのはなぜなのか。

 そのあたりの理屈が説明がつかない。


 あるいはもう、天才だから、の一言で済ませるべきものなのかもしれない。

 パーフェクトを何度も達成するピッチャーなど、直史しかいない。

 そしてその直史を打ち、ホームラン記録を更新するのも、大介しかいない。

 メトロズが最強のチームかどうかはともかく、最強のピッチャーとバッターが揃っているのは確かだ。

 井口はそのメトロズと、戦いたいと思っている。


 正直なところ直史はともかく武史は、上手くヤマを張れば打てなくはないと思うのだ。

 実際にNPBではある程度、打ったことがある。

 ただMLBという舞台に来て、武史はさらにレベルが上がった。

 それに対して自分はどうであろうか。


 ほとんどのNPBのプレイヤーは、NPB時代よりもMLBでは、数字を落とす。

 なのでMLBの方がレベルは高いと言われるし、井口もそれは正しいと思っている。

 しかし佐藤兄弟に大介は、明らかにMLBに来てからの方が成績は良くなっている。

 特に大介などは、打率を四割に平気に上げて、ホームランも70本を打ってくる。

 試合数に違いがあるとはいえ、つまりまだまだポテンシャルを秘めていたということか。

 確かにNPB時代は、小手先の技でどうにか抑えていたものである。

 ピッチャーとして対戦することはないが、チームのピッチャーたちが散々に嘆いていたのは確かだ。


 大介と打撃で勝負、などと言っても多くの人は鼻で笑うだろう。

 しかし佐藤兄弟から打てるのであれば、ある程度は大介に追いつけると言えるのではないか。

 同じリーグということで、去年までは直史と対戦できた。

 そして同じニューヨークということで、メトロズとも対戦してきたのが井口のMLBキャリアだ。

 今年のア・リーグチャンピオンは、ミネソタになるのではと多くの人が言っている。

 それどころかウィークポイントを抱えていたメトロズなどより、ワールドチャンピオンの可能性は高いとまで言われていたのだ。


 果たして今、どのチームがワールドチャンピオンになるのか。

 あの二人が揃ってしまったのだから、メトロズだと日本人である井口などは思うのだが。

「主人公じゃなくたって、人生が終わるわけじゃないからな」

 井口は呟いて、練習を再開する。

 MLBというこの世界最高の舞台で、自分は自分の精一杯をするしかない。

 そのための対決が、今度のニューヨーク対決となるのだ。




 左肩を固定された生活は、大変に不便なものである。

 だが樋口は手術が終わってすぐに、リハビリを開始していた。

 日本であれば治癒するまでは安静にし、それからリハビリというのが一般的なのだが、アメリカではすぐさまリハビリが開始される。

 さすがに激しい痛みや手術部が腫れている間は、そんなことも出来なかったが。


 アメリカのリハビリというのは、ハードなものである。

 だがリハビリは痛みがまだ残っている間からやらないと、変に組織が癒着してしまう場合がある。

 樋口の場合は左肩だったので、右肩ほど致命的ではない。

 だがキャッチングはともかくバッティングには、左手の引く力と、右手の押す力が両方必要になるのだ。


 さっさと退院はしたが、リハビリには毎日通う。

 そんな日々を送りながらも、アナハイムやメトロズの試合をある程度はチェックしていた。

 アナハイムは主力を放出しながらも、チーム崩壊と言うほどの連敗街道は歩んでいない。

 若手を試してみたら上手くいったりして、そこそこ勝つ事は出来るのだ。

 もちろん勝率はまるで五割には届かないが、ドラフトの順位を考えるなら、別にここで負けるのは仕方がない。

 もっともそう思うのは樋口がチームの人間だからで、アナハイムのファンはかなり離れてしまっているが。


 たとえポストシーズンに進出しなくても、直史は残しておくのが、ビジネス的には正解だったのだろうな、と樋口は考える。

 ただ中四日で投げる先発で、客を呼ぶのは難しい。

 だからフロントの考えも、間違っているとは言えなかったのだ。

 ここまでの反発を食らうとは、フロントも意外であったろう。


 そして樋口が中継を見て忌々しく思うのは、坂本が上手く直史とバッテリーを組んでいるからだ。

 坂本も樋口も、攻撃的なリードをするという点では、キャッチャーとして似通った部分がある。

 ただ樋口の場合は、そこに冷徹な計算がある。

 坂本は感覚的だな、と試合を見ていても感じるのだ。

 しかしその坂本と組んで、直史はワールドチャンピオンになった。

 樋口と組んだ去年は、メトロズに負けてしまった。

 キャッチャーとしての各種数字も、バッターとしても、樋口は坂本に負けているわけではない。

 だが坂本は二年連続で、ワールドチャンピオンチームのキャッチャーとなっている。

 その厳然たる事実は変わらない。


 ライバル視、などというのとは違うだろう。

 これはもっと単純な、嫉妬というものである。

(来年以降はどうにか……)

 NPB時代はレックスで、日本一を経験している。

 高校時代も大学時代も、日本一を経験している。

 そしてワールドカップやWBCでも優勝を経験しているのが、樋口というキャッチャーだ。

 しかしワールドチャンピオンには届いていない。


 ミネソタが同じア・リーグにいて、それを倒してもナ・リーグにはメトロズ。

 高い壁があるが、それを破壊してきたのが樋口であるのだ。

 ただしあくまでも、補佐役として。

(運が悪かったな)

 その一言で尽きるのだが、それで納得しないのが樋口である。


 そんな樋口の下に、ターナーの復帰の目途が、ようやく立ったという知らせがあった。

 八月中にはマイナーで試して、良ければそのまま戻ってくる、と伝えられたのだ。

 だがここで中途半端に勝っても、ドラフトの指名順位が下がるだけ。

 どうせなら負けておいたほうが、ドラフトの指名順位が高くなる可能性が上がるではないか。


 オフに上手く補強をすれば、来年もまた強いチームを作れる。

 しかしチーム編成は、樋口の及ぶところではない。

 せめてマイナーの若手に、指導をすることが出来たなら。

「いや、それはありか」

 どのみちリハビリも、一日中を使うわけではないのだ。

 樋口はアナハイム傘下のマイナーを、ぐるぐると回る方針を決めたのであった。

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