第22話 ニューヨーク対決

 ニューヨークに戻ってシカゴとの試合が一戦終わり、五月が終了する。

 翌日も普通にシカゴとの試合ではあるのだが、一区切りではある。

 メトロズはこの一ヶ月、18勝10敗で終わった。

 四月が14勝13敗であったことを考えると、かなり勝率は良くなっている。

 チームの調子は良くなったのだが、それと反して大介は悪くなった。

 五月の大介の打撃成績は、打率0.412 出塁率0.643 長打率0.976 OPS1.619

 ……悪くなったのだ。

 なにせ今シーズン通算では打率0.482 出塁率0.682 長打率1.176 OPS1.859なのだから。

 ……何かおかしい気はする。

 四月が良すぎたと言うべきなのかもしれないが、五月も四割、そして12本を打っている。

 七試合連続でホームランが出なかった時には、ようやくスランプが訪れたかとも言われた。

 ただその時期はステベンソンが離脱していた時期と重なっていたのだ。

 一番打者としての役割を考えて、出塁を重視した。

 それがかえって打撃成績を悪くしたのだと言える。


 とにかくなんでも数値化したがるアメリカは、ようやく大介の打順について、適正な場所を見つけたとも言える。

 ただ四月の圧倒的な打撃成績を見て、さすがに他のチームのピッチャーが、勝負を避けだしたとも言えるのだ。

 基本的に大介は、シーズンの序盤の調子がいい。

 単純に他のチームのピッチャーが、手を探ろうと勝負をしてきてくれるからでもあるが。

 前のシーズンに何をしても、まず調子の悪いまま開幕を迎えるということがない。

 今年で31歳のシーズン。

 だいたいのレジェンドクラスのバッターは、30歳を少し過ぎたあたりが、全盛期であることが多い。

 もし大介にもそれが当てはまるなら、全盛期はこれから訪れる。


 反射神経や瞬発力など、素材型の天才だと思われていた。

 だから割と早いうちに、衰え始めるのではないかと言われていた。

 去年、出塁率以外の数字がおおよそ下がったことも、衰えのわずかな兆候かと思った者もいたものだ。

 実際のところは単に、年毎の微妙な差異に過ぎなかった。

 あるいはもっと高く飛び上がるために、一度しゃがみこんだような。

 チーム事情からそういう数字が出るのだと、よく考えれば分かったであろうに。


 ただ今年はインターリーグで当たるのが、層の厚い東地区であるので、少し落ちる可能性はあると思われていた。

 事実はこれだ。現実はこれだ。

 去年の直史との対決は、お互いがお互いの限界を、さらに突き破るような勝負であった。

 単純な動体視力や反射神経、そして当て勘といったものに加えて、ゾーンにたやすく入る集中力。

 まともに勝負をすれば、普通に五割は打たれるのだろう。

 完全にボール球を見逃していくなら、五割に達するのかもしれない。


 それでも大介に求められているのはホームランだ。長打だ。

 OPSを上げるためには、打率を上げるのでは限界がある。

 OPSが1.6を平気で記録する大介は、打たないとチームが勝てない。

 それこそ極端な話、去年のワールドシリーズは、大介が一人で決めたのだ。

 勝てそうだと思った直史から、大介はホームランを打ったのだ。

 やがて衰えて、ほどほどの打率をキープして、ほどほどの長打を狙う選手になるのかもしれない。

 だが今の大介は、極端な話、全ての打席でホームランを狙っている。

 スタンドに運んでしまえば、どんな野手であっても守備の機会はないのだから。


 ホームランは31本で、55試合でこの本数。

 割合的に言えば、まだ90本に届く可能性はある。

 ただそれは、四月が19本も打っていたという背景がある。

 この調子で行けば、おそらく今年は70本台の半ばまでだろう。

 それでも現時点で、両リーグ通じて打者三冠は圧倒的なトップを走っている。

 ホームランなら二番手のブリアンも、20本を打っていないのだ。


 MLB初年の四月度は、29試合もあったとはいえ22本の本塁打を打っていた。

 大介が打撃成績で戦うとしたら、それは自分自身であろう。

 一年目、イリヤの事件がなく、そのまま全試合に出場できていたら、どこまで伸びていたか。

 おそらく割合からして、82本ほどは打っていたのではないか。

 ただそれも、たらればの話。

 大介の前には、まだ107試合のレギュラーシーズンが残っているのだ。

 二試合に一本打てば、自己記録を達成する勢いである。




 六月には、ラッキーズとの対決がある。

 今年はア・リーグ東地区とインターリーグで対戦するため、普通に対戦するのだ。

 六試合あって、そのうちの三試合が六月上旬に。

 ちなみにラッキーズとの試合であると、雨天中止などになっても、どこかのタイミングで一日詰め込む場合が多い。

 なぜなら互いが互いのホームゲームをしていれば、対戦が可能だからである。


 ただそれは今は関係のない話で、まずはシカゴとの残りの試合だ。

 六月は初日に投げるのが武史で、メトロズ首脳陣は当然ながら、ここは勝てると計算している。

 武史は圧倒的に、ホームゲームで強い。

 フランチャイズの応援が、と言うよりは家族の応援が、その力になるのだ。

 今年の負け試合も、アウェイでのゲームであった。

 今日は移動などの影響もないため、安定したピッチングが出来る。


 初めての敗北が記録された後も、全く調子を崩さなかった武史。

 記録が途切れたとしても、それを気にする様子はない。

 そもそも敗北の理由が、スライド登板によるコンディション不良と原因がはっきりしている。

 それでも少しだけ、チームメイトは心配したものだが。


 キャッチャー坂本にとって、佐藤兄弟は巨大な謎だ。

 弟は上杉と並び、フィジカルの怪物である。

 だがその兄の方は、一年間バッテリーを組んだから、はっきりと比較が出来る。

 兄の方が上だ。

 成績を見たらはっきりと分かるのではなく、人間的に直史は強いのだ。

 強いだけではなく、恐ろしい。


 おそらく今年、ワールドシリーズでまた対戦することがあれば、今度は四試合に投げて四勝してくる。

 理屈ではなく坂本の直感として、それが分かるのだ。

 ア・リーグは最強打線のミネソタが存在するが、最初のカードでは予想通り直史に封じられていた。

 間もなく二度目のカードがあるが、そこでもおそらく勝てないだろう。

 ブリアンは確かにホームランを打った。

 だが直史は、一度打たれた相手には、執念深く反撃していく。

 メトロズが今年もワールドチャンピオンになるためには、リリーフ陣を整備するとか、自前の戦力補強では足りない。

 ポストシーズンにアナハイムが進出出来ないか、直史の故障を祈るかぐらいしか出来ない。

 坂本の直感としては他に、樋口あたりが負傷したら、一気に守備も攻撃も衰えると思える。

 実際に樋口の離脱期間は、アナハイムの勝率は悪かった。


 去年のワールドシリーズは、武史を直史に当てて両者の得点が増えないようにし、ぎりぎり大介が打って終わった。

 アナハイムは別のリーグであるので、直接対決で勝率を落とすことは出来ない。

 ターナーが抜けている間は、そうアナハイムも安定して得点は出来ないだろう。

 目が原因というのは治癒しても、しばらくはタイミングが取れないはずだ。

 ほぼ五割の勝率では、さすがにポストシーズンは難しいだろう。

 ア・リーグのチームに頑張ってもらえるよう、他力本願にはなる。

 ただアナハイムは今年、インターリーグでトローリーズの他に、サンフランシスコとサンディエゴとも対決しなければいけない。

 サンディエゴとの対決は終わったが、他の2チームとはこれから。

 もっともメトロズも、今年は地獄のア・リーグ東地区との対戦があるのだが。




 そして武史の投げる試合が終わった。

 九回完封で、15奪三振。

 球数が110球を超えてしまったのが、微妙なところである。

 ただ武史は、150球までならほぼ問題なく、体力切れを心配せずに投げられる。

 重要なのは体力以外の、肉体自体の消耗と回復力だ。

 これも武史は、充分に超人の域にある。


 メトロズが中五日ではなく中四日であれば、苦しかったであろう。

 しかしメトロズは投手陣が苦しくても、中五日の体制は守った。

 そのためジュニアも復帰してから、かなり調子を取り戻している。

 武史の投げた翌日、ジュニアは六回一失点と好投。

 メトロズはこれでシカゴ相手に三連勝。

 そして最終戦も、オットーが六回二失点と好投。

 打線の援護がしっかりあれば勝てる内容であるが、ここは打線が爆発せず。

 オットーには負け星はつかなかったものの、リリーフが勝ち越し点を取られて一点差で敗北。

 アトランタ戦から続く連勝は五で止まった。


 ここからメトロズは、少し余裕のある試合日程となる。

 一日の休日の後、ボルチモアとの二試合。

 そしてまた一日の休みがあって、ラッキーズとのニューヨーク決戦が行われる。

 今年はあちらとこちらで六試合。

 なんとも豪勢なものである。

 ラッキーズは今年も、地区二位のポジションを確保している。

 ボストンはだんだんと強くなっているのは確かだ。


 完全な休みということで、大介は家族と一緒に公園などにやってきた。

 ニューヨークのど真ん中にある公園は、これまでも大介は何度も利用している。

 そしてその中で、大介の長男である昇馬も、父親とキャッチボールなどをしたりする。

 シーズン中はなかなか、子供と遊べない大介である。

 育児に関してはかなり、母親ズに任せきりのところはある。

 ただこうやって遊ぶのは、やはり父親の方がいいのか。 

 ツインズの場合、椿にはやはり、足の障害が残っているというのはある。


 ゴムボールでのキャッチボールだが、大介はそのグラブがちょっとおかしなことに気づいた。

 やけに大きく、そして形が歪だ。

 昇馬の右腕から投げられるボールは、体全体を連動させたもの。

 小学校に入る前の子供の投げるボールではない。

(将来はピッチャーでもするのか?)

 大介も最初、野球を始めた時は、ピッチャーに憧れたものであった。

 実際に今も、その肩は150km/hのボールを投げることが出来たりする。

 今から思えば、二刀流という選択もあったのかな、と考えたりする。

 しかしそれをするなら、高校時代にまで時間を巻き戻さないといけない。


 昇馬のボールは、なんとか大介がキャッチ出来る範囲内に投げられる。

 ただピッチャーをやるとなると、コントロールに問題がある。

「相手の胸元に投げるのが、キャッチボールの基本だぞ」

 言われた昇馬は、グラブを外す。

 そしてそれを右手にはめたのだった。


 両手利き用のグラブ。

 しかも子供向けともなれば、見かけたことがないのも当たり前だし、普通のグラブよりは歪なものになる。

 そして左で投げると、コントロールはしっかりとしたボールが投げられてくる。

 なるほど、と笑っているツインズの方を見る。

 お弁当を食べながら、軽く詰問してみる。

「両利きにするつもりなのか?」

「そういうつもりじゃないよ」

「昇馬が私たちの真似をしてるだけ」

 言われてみればツインズは、完全な左右両対応である。


 スイッチバッターは少ないながら、MLBにもいないではない。

 だがスイッチピッチャーは、MLBにおいてもマイナーに登録されたぐらいだ。

 一応両利きと登録されたピッチャーも、試合ではどちらで投げるかは決まっている。

 今のところ昇馬のコントロールを見れば、左に専念すべきだとは思う。


 ただ、大介は憶えている。

 直史は左でも投げる練習をしていた。

 マウンドに1000万円を埋めているピッチャーのように、左で140km/hが投げられるわけではない。

 だが高校時代も、左対策のためにバッティングピッチャーをすることはあった。

 体の軸をしっかりと作り、左右対称に使うことは、スポーツでは重要なことである。

 野球のピッチングにしても、投げる方とは逆の手をどう使うかで、体の開きなどが抑えられたりする。

「打つほうも両方で打つのか?」

「左打ちが基本だけど、右もほとんど変わらないんじゃないかな?」

「両手で投げられるスイッチバッターって、夢があるよね」

 こいつらは息子で遊びすぎである。


 実際に右利きであっても、野球に関することだけは、左にしているという選手は多く存在する。

 左投手は5km/h増し、などという言葉もあるのだ。

 ただツインズは、自分たちの経験から、左右対称で体を使うように教えているらしい。

 二人は幼少時、バレエをしていたのであるから。

 この二人の習っていたバレエの経験を取り込んだのが、直史である。

 また武史も、守備の時には右用のグラブを使うというのが、高校時代までのポジションであった。

 だいたい自分の投げない時は、サードなどに入っていることが多かったので。


 大介は別に、息子に野球をやってほしいとは思っていない。

 キャッチボールぐらいは、付き合ってほしいなとは思っているが。

 親が自分の好みを、子供に課すのはエゴである。

 無理に野球をやらせるつもりはないし、英才教育をするつもりもない。

 ただアメリカの社会では、子供が最初に触れる球技は、野球である場合が多い。


 他のスポーツを見れば、世界的に大人気のサッカーは、アメリカではあまり盛んではない。

 バスケットボールは単純に、まだ子供には重過ぎる。

 アメフトは小学生がやるには一式を揃えるのが無茶であるし、ホッケーなども危険すぎる。

 なるほどキャッチボールは、全ての野球の基本である。

 そして子供でも出来る遊びだ。


 父親として大介は、とりあえず稼いでいる。 

 またオフシーズンになれば、あちこちを一緒に連れ歩いてもいる。

 こういった公園の中ではなく、大自然の中へ踏み込んだりもする。

 ちなみに東京育ちの大介より、千葉の田舎育ちのツインズの方が、サバイバル技術は高い。

 何も道具のないところから火を熾すというのは、大介の目から見ても感心したものだ。

 父性力高すぎの母親である。さすがは二人いるだけのことはある。




 そんな休日を過ごし、大介は戦場に戻る。

 ボルチモアとの試合は、ここでは二連戦となる。

 インターリーグの試合で、四試合を行うのだが、これが二連戦二つに分かれている。

 ただ数年単位で見れば、どこかのチームが極端に得をしているというわけではないらしい。


 二連戦が終われば、また一日の休養日。

 しかも移動日なわけではない。

 体を休めることが、ゆっくりと出来る日であるのだ。

 それがわずかに、選手たちの精神を弛緩させてしまったのかもしれない。


 今季もあまり強くないボルチモア。

 はっきり言えばア・リーグ東地区では、一人で貧乏くじを引いている。

 そこを相手に、上手く打線がつながらなかった。

 スタントンなどはクオリティスタートであったのに、それでも負けがついてしまった。

 MLBの連戦と移動続きの体が、逆に休みによって緩みすぎたりもするのか。

 大介は両方の試合で、ホームランを打っているが。


 さて、ここでまた一日の休養日となる。

 その次からが、いよいよラッキーズとの三連戦。

 サブウェイシリーズという形ではなく、今年は普通に三連戦のカードが二回。

 次の対戦はオールスター明けの七月となる。


 メトロズはこの三連戦、最初の試合に武史を持ってきている。

 休養日があるので、上手く調整が可能であったのだ。

 ボルチモア相手に連敗したのは、むしろ選手たちを引き締めることにつながった。

 休養日であったのに、自主的に練習している者が大勢いたりもした。


 大介としてはこの二試合で、ホームランの数が34本に達した。

 60試合が経過で、34本である。

 四月は19本を打って、年間100本ペースなどと言われた。

 だが五月は12本で、大介的な平均に収まっていた。

 一ヶ月に12本を打っていれば、半年で72本となる。

 去年の大介は71本を打っていたのだから、あながち間違いではない。

 三年連続で70本以上という、この偉大な記録。

 四年連続で達成すれば、もう他のバッターが更新することは不可能だろうと思える。


 MLBは打撃成績に関しては、ドーピング時代の記録が飛びぬけてしまっている。

 だから多くの人間が、これは除外すべきでは、と言っていたのは確かだ。

 大介がその記録を塗り替えてくれたので、あまり問題にはならないようになった。

 それでも通算ホームラン記録などは、まだドーピング時代のものが残っている。


 大介はドーピングもなく、それでいて体格も小さいのに、どうしてホームランが打てるのか。

 同じぐらいの体格で、ホームランを30本ぐらいは打つバッターはいたが、大介の場合は体重もそれに対して軽いのだ。

 フィジカル全盛の時代に、現実を見せて喧嘩を打っている存在。

 それがバッターでは大介で、ピッチャーでは直史だ。

 真の技術があれば、薬物などに頼る必要はない。

 もっともこの二人は、自前の脳内麻薬で、ゾーンに入ったりトランス状態になったりしているが。

 時間の流れを引き伸ばして感じさせる物質も、現実には存在する。

 それを己自身で同じ状態に、脳をもっていくかどうかが、二人の人間離れした部分なのだ。




 ラッキーズとの三連戦。

 どちらのスタジアムで行っても、ホーム感があるのは当たり前のことである。 

 同じニューヨークでありながら、二つのチームのファン同士は、健全な程度に仲が悪い。

 別に試合のたびに、スタンドで乱闘が起こったり、死者が出るわけではない。

 南米のサッカーの試合だと、普通に死者が出る。

 そもそも中南米は、治安のいい国などはないと、実際に住んでいる人間が言ってしまったりするのだが。


 メトロズのユニフォームはホームなので、白地に青の縦線。

 ラッキーズはネイビーブルーである。

 同じ都市に二つのチームなのだから、もっとはっきり色分けをしてもよかろうに、などと大介は思ったりする。

 ちなみに大介の場合は、ホーム側のユニフォームの方が好きだ。

 アウェイのカラーリングも、実はラッキーズの方が好みである。

 なぜなら日本代表の色に近いので。


 ホームゲームは気合の入り方が違うな、と大介は感じる。

 特にワールドシリーズなどは、スタジアムの盛り上がりが違うのだ。

 ポストシーズンを除けば、やはりサブウェイシリーズが一番盛り上がるだろうか。

 トローリーズが相手の時も、かなりの盛り上がりを見せるが。


 ホームゲームであるので、まずはラッキーズの攻撃から。

 今日も井口は、三番に入っている。

 そしてそれに対して、武史は本気を出す要素が揃っていた。

 ホームゲームで相手がラッキーズともなれば、家族がスタジアムに見に来ている。

 珍しくも初回から、連続で三振を奪っていった。


 そして三番の井口。

 NPB時代は強打者として知られていたが、MLB基準では好打者だ。

 ホームランもそこそこ打てるが、それよりはケースバッティングを得意としている。

 現在のラッキーズの打線の構成では、三番はつなげるバッターを置くことが多い。

 元々NPB時代から、井口は確かに長打を打っていたが、ボール球には手を出さないタイプであった。

 大介とは違うのだ。


 井口に対しても、武史のストレートは通用する。

 だがここで井口は、完全にストレートだけにボールを絞っていた。

 インハイのボールを、ほとんど反射で叩いた。

 ボールはスタンドに届いて、ラッキーズが先制する。

「いかん」

 大変に遺憾な感情で、武史は次を打ち取った。

 気合を入れれば空回りする、よく見る武史の初回であった。




 ラッキーズもまた、このカードは重要だと思っている。

 昨年ほどの圧倒的な力はないが、メトロズはどうにかポストシーズンを狙えるぐらいには、勝率を好転させてきた。

 もしもワールドシリーズがニューヨーク同士の対戦で行われるとしたら、それは東海岸を大いに盛り上げることになるだろう。

 ア・リーグはミネソタが勝率では飛びぬけているが、まだ若いチームと言っていい。

 特に打線が20代前半ばかりなので、ポストシーズンでは勝ち進むのは難しいのだ。

 実際に去年は、アナハイムによってスウィープされている。


 ニューヨークの2チームによるワールドシリーズは、過去に一回だけ行われている。

 だが大介たちが生まれる前の話だ。

 メトロズとラッキーズが勝ち進んで対戦というのは、今もあまり現実的ではない。

 ア・リーグもそうであるが、ナ・リーグもメトロズを倒せるチームが今年はある。

 チームの戦力のバランス的にも、かなりの奇跡を期待しなければ、それはありえないだろう。

 どちらもまだポストシーズン進出が決まったわけではなく、戦力的に上回るチームがある。

 ただメトロズは、打線の方は好調なのだ。


 一点を先制されてしまった。

 完全に井口は、コースを絞った上でのホームランであった。

 確かNPB時代に、井口に打たれたホームランは一本だけであったろうか。

 武史はパワーピッチャーでスピンが多いので、そこそこ一発病は持っている。


 記録を見るだけならば、直史も武史も、失点はホームランによる場合が多い。

 ただこの二人は、そうそう一発病と言われることはない。

 そもそも失点することが少ないというのが、簡単なその理由だ。

 連打で一点を取るというのが、とてつもなく難しい二人。

 すると出会い頭であったり、一点絞りの一発が、まだしも狙えるということになる。


 この一点は、武史の失点と言うよりは、坂本の失点であろう。

 武史はほとんどの場合、キャッチャーのサインに首を振らないので。

 一回の裏、メトロズは先制されたことなど意に介さず、ステベンソンは冷静にボール球を選んでいった。

 ノーアウト一塁で、大介という場面。

 確率的に考えるなら、たとえ大介が相手でも、勝負した方がいいのだ。

 もっとも数字の偏りを考えるなら、ここでの勝負は危険であるが。

 ただメトロズ相手の三連戦、初戦にいきなり大介を敬遠するのか。

 それはMLBの野球ではない。


 このカードに合わせて、ラッキーズもエースを先発に持ってくるローテを組んでいた。

 ただしエース扱いされているスレイダーとしては、はっきり言って自信がない。

 セントルイスにいた頃から、FAでラッキーズにやってきた。

 そして確かにエースとしての成績を残しているが、大介にはほとんど打たれた記憶しかない。

 実際のところは、ちゃんと抑えている場面も多いのだが。


 大介は、チャンスに強いバッターと言える。

 また、ここで打てなければ終わる、という場面でも打てるバッターだ。

 スレイダーとしてはここで、ストレートだけは絶対に禁止である。

 スピードボールはゾーンから外し、ファールでカウントを稼ぐことを考える。

 そして最後には、タイミングを外すカーブでしとめる。


 そのはずが、大介はゾーンを外れた球を打ってきた。

 ボール二個外れた外の球を、体軸を傾けながら打ってきたのだ。

 腰の回転で、スイングスピードを稼いで。

 打球は見事、レフトスタンドに突き刺さった。

「こうなるよな」

 ベンチで見ていた武史は、これで勝てるんじゃないかな、と油断ではなく予感していた。

 そんな予感をしている者は、武史だけではなく他にもたくさんいるのであった。


 二回の表から、武史のピッチングはいつもより早く、打てないボールに変化していた。

 武史は鈍い人間であるが、それでもホームランを打たれればスイッチが入るぐらいの神経はしている。

 一回の表にしても、アウトは全て三振で取っていた。

 ノーヒットノーランも完封も消えてしまったから、お客さんに楽しんでもらうために、武史が出来ることは三振を奪うだけだ。

 それならたやすいことである。


 一回に続いて、二回もアウトは全て三振。

 スレイダーも二回は、無失点に抑える。

 武史の投げる試合は、スミイチと言われる初回の一点で、勝負が決まることが多かった。

 今日の場合は2-1なので、それには当てはまらないが。

 それにラッキーズはともかく、メトロズはまだあの打線が回ってくるのだ。

 得点能力は、明らかにメトロズの方がラッキーズよりも高い。

 中盤以降は、試合の勝敗を考えない試合になるかもしれない。

 キャッチャーの坂本は、そう思いながら三振が増えるのを見ていた。

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