第20話 見た目と機能を考える生活

「これは……?」


 見たこともない採れたてのそれは、少し細長く千春の認識としてはキュウリとナスの混ざったようなものに見えた。

 甘いのか辛いのか、固いのか柔らかいのか。千春はフェブから受け取って観察する。


「形はみっともないだろうけど、食ってみな」


 このまま? と言いそうになったが、千春はそれを小さな口でかじってみる。

 口いっぱいに広がる苦み。思わず千春は顔のパーツを中央に寄せる。それでも何とか噛んで飲み込んだ。


「あはははは。苦いだろ? 普段、生で食べることはないけどね」

「独特なお味です……うっぷ……」


 口に残る苦みをなくしたいが、消えてくれない。生で食べないものを食べさせてきたジルバに内心怒りを覚えていたが、忘れられない味を耐え忍ぶことに必死だ。


「ま、ヴィーナではこんなものを作ってるってこと。って、チハルは何を知りたくて来たんだっけ?」

「私はこの世界で暮らす人の生活を知りたくて。そこから衣服につながるヒントがあると思っているんです」

「服? そういや、ニールが瘴気を消す力がどうって言ってたっけな?」

「はい。服だけじゃなくて、カーテンとかヘアバンドとか。私がミシンや手縫いしたものは、瘴気を吸収してくれるようで。それを利用して、瘴気から守れる服を作ることができたらいいんですけど、ガランさんに一蹴されてしまいまして」


 声がどんどん小さくなっていく。ガランに言われた言葉が千春の胸に深く刻まれている。

『デザインどころか、機能性も悪いじゃん。まるで雑巾と一緒だ』

 ガランを蝕む瘴気により、試作段階であったが丹精込めて作ったシャツは塵となった。瘴気は消えずに残り、なんの役にも立たなかった。

 少しでも浮かれた自分を恥じ、悔しい気持ちでいっぱいだった。


 このままでは、ゴミを生み出すだけの存在になり果ててしまう。それに、どうにか耐えているようだが、いつガランが瘴気で命を落とすかわからない。いかに早く、瘴気をなくすことができるものを生み出さなければ。千晴は焦っていた。


「ふーん……でも、それってチハルがやらなきゃいけないことかい?」

「え?」


 一通り聞いたジルバの言葉に、千春は目を丸くする。


「だって、瘴気は消えない。それがこの世界の常識だ。一度瘴気を食らった時点で、遅かれ早かれ死ぬことを覚悟してるんだ。チハルが何もしなくても、理に従うまで」


 ジルバは当たり前のように言う。


「アタシたちは瘴気と共存する。いかに瘴気を退けるかは考えるけど、無くすことはできないしね。だから、チハルが必死になってやる必要はないだろう?」


 ジルバの言葉ひとつひとつが胸に突き刺さっていく。


「ま、そういう考え方もあるってことだよ」


 ジルバは最後に言った。千春はぐっと下唇を嚙み締めた。

 そのすぐあと。遠くから何かが爆発するような音が聞こえた。

 顔を上げ、音のする方へ顔を向ける千春よりも先に、ジルバとフェブはその音の原因を特定していた。

 千春は目を凝らしてやっと、爆発の現場をとらえる。そこには、多数の黒く腐りかけている魔物が一人の人と取り囲んでいる。圧倒的に不利な状況だ。一人に対して相手が多すぎる。そんな危機的状況の中心に立っている人物の名を千春は叫んだ。


「ニールさん!」

「これはやっかいだねェ……さすがに多勢に無勢じゃあねェ。フェブ行くよ! チハルは家の中にいなッ!」

「でもっ」

「戦えない者は足手まといだ。家の中で隠れてなッ!」


 フェブが家の中から剣と大きな斧を持ち出し、先に現場へと向かっていく。続いてジルバも駆けて行ってしまった。

 どんどん小さくなっていく二人の背中を、千春は見送るしかない。


「足手まとい……」


 自分の無力さに打ちのめされる。

 ニールやジルバ、フェブが戦っているというのに、自分は屋内でやり過ごすしかないのだろうか。唯一できる瘴気をなくすことができる裁縫は、人々を助けることはできるけど、できなかったら困るというわけではないのか。このままでいいのか。

 自問自答が繰り返されている間にも、眼下で繰り広げられる戦い。

 自分にできることはないかと考える。


「……縫い物だ」


 ぽつり、と千春はつぶやいた。


「私にできること。私にしかできないこと……」


 裁縫以外に、手助けできるものが何かないか。考えても考えても何も出てこない。考えるよりも行動に移さなければ。

 千春はジルバの家に入り、持参していた小さな裁縫道具と、ここへ来るときに来ていた自分の服を手に取る。


「瘴気を吸うだけじゃダメ。守りじゃなくて、攻めも大事。私にしかできないことを、私はやるだけっ」


 裁縫道具の中からハサミと針と糸を取り出した。

 千春は無我夢中で手を動かした。赤い糸が布と布を縫い合わせていく。指先に針を刺しながらも、手を止めることはなかった。


 やがてできあがったのは、細長い鉢巻のようなものだった。まっすぐ裁ち切ることができなかったので、やや斜めに曲がっていたり、ほつれがあったりと、見た目は決して良くない。千春が最も手をかけたのは、そこではない。端に施した炎の刺繡が今回必要なものだった。鉢巻であれば、包帯や止血帯の代わりに使用できる、ただそれだけのものでしかない。しかし、千春が最後に施した炎の刺繍によって、瘴気を焼き尽くしてほしい・力を与えてほしい、そんな思いが強く込められていて、ほんのりと温かみがある。


「私なりの戦い方があるんだから」


 千春はそれを手に巻き付ける。すると、千春の手をうっすらと赤い炎がともる。

 熱くない不思議な炎。それが一体何なのかは、千春はうすうす気づいていた。


「人を守るための力を、戦いにも生かしてみせる」


 千春は外へ駆け出した。


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