第16話 傷つけた生活


「……レクサ。仕事してもらえますか?」


 崩れそうな壁に囲まれた城の一室で、テーブルを挟んで座るレクサとニール。目の前には書類の山が連なっている。にも関わらず、レクサはテーブルに伏せたまま、ペンを取ろうとしない。そのままの体勢を三十分とり続けていた。

 このままでは、仕事にならない。ニールは手を止めずに言うが、返事は返ってこない。


「いい加減にしてください。うじうじするぐらいなら、すぐに行動すればいいでしょう。貴方の行動力は何処にいったのですか」

「……煩い。お前に何がわかるのだ……何も知らぬお前に」

「詳細は知りませんが、貴方がそこまで駄目人間になるくらいです。過去のことを踏まえれば、家族もしくは女性がらみであることは目に見えていますよ」


 ニールの言葉で、わずかにレクサの指が動く。


「どうやら。今回は家族と女性、両方に関わるようですね」

「……何故そう言いきれる?」

「わかりますよ。何年貴方の傍にいると思っているんですか。貴方のホクロの数まで知ってますよ」


 その言葉にレクサは顔を上げる。ニールが比喩ではなく本当に知っていそうなこともあり、睨んで黙らせようとした。その意図すらも、親しき仲のニールにはお見通しだ。


「お前はどう思う?」

「主語がないとわかりませんけど?」

「だから、その、チ……ハルのことだ」

「変わり者だと思っています」


 レクサはぎろりと睨む。


「異界から迷い込んで、帰りたいと言わず、レクサの冷たい対応に怒らず手を差し伸べる。全く知らない世界の民の助けになろうと、自分に出来ることをがむしゃらにこなしている。これを変わり者と呼ばずになんと呼びましょうか」

「ふん……わかっている。そのようなことは。そして、責任感があり、意志の強い者であることも。だが……俺は。チハルに言い放った兄上の言葉を否定出来なかった」

「兄上? やはり、ガラン殿がいらしていましたか。立ち入った形跡があり探していたというのに、先に会っていたとは」

「会ったさ。兄上はチハルを攫って脅して、それに傷つけた。俺もそれに加わってしまった」


 ここで初めてニールの手が止まる。


「そのような顔をするな。物理的ではない。内面的、心を傷つけたんだ」

「兄弟揃ってたちが悪いですね。何をしたんですか?」


 ニールは眉を寄せて聞く。


「彼女の作るものにセンスがないと……」

「それ、直接本人に言ったのですか?」

「俺は言ってはいない。兄上が直接言ったんだ、俺は黙った」

「はぁ、否定しないのは同調したのと同じですよ。まぁ、彼女のセンスに偏りがあるのも事実。嘘をつくことが苦手な貴方のことですから、それしか出来なかったのでしょう」


 呆れた様子でニールは頭を抱える。

 そもそもチハルが作成したものを販売するにあたって、店頭に並べられるものかどうかを見定めていたのはニールである。彼が没にした作品数は多い。その理由こそ、デザインにあった。


「彼女が作るものは、瘴気に有効であることは間違いありません。今までなかった代物です。ですが、国民は瘴気対策だけの物にお金を出せるほどの余裕はない。普段使えるものでなければならないのですが、彼女は自分の好み意外の分野に疎い。女性向けの作品以外のものは、駄作と呼べるものばかりです」

「それは言い過ぎでは?」

「事実ですよ。彼女が学ばない限り、彼女の手から生まれるものはみな、見た目に難があるものになるでしょうね。物好きなら買うでしょうが、一般人は彼女の意図した使い方で使うことはない」


 それこそ、衣服を雑巾代わりにするようなものです、と付け足して言う。

 わかっていることであったが、ニールの言葉がレクサにとっても胸を締め付けるようなものだった。

 どうにかしたい。せっかく手の込んだ瘴気に太刀打ちできるものを作ることが出来るチハルを。レクサの頭がぐるぐる回転する。そして。


「学べばいいのだな?」


 低い声で問う。


「そうですね。学べば変わるかと思います」


 レクサの問いに、ニールは含んだ笑みを浮かべながら答える。すると、レクサは水を得た魚のように勢いよく立ち上がると、黙って部屋を出て行った。


 静かになった部屋で、ニールは再び手を動かし始める。


「馬鹿な王子だ」


 そう呟きながらも、ニールは嬉しそうだった。




 ☆☆☆☆☆



「チハル。いるか?」


 早朝にアトリエに押し入るレクサの声が響く。それで目が覚めたチハルは、作業台に伏せて寝てしまっていたことを思いだし、慌てて起き上がる。

 覚醒し切れていない頭で、フラフラしながらもアトリエの扉を開ける。するとそこには、レクサが立っていた。


「おはようございます、レクサさん」


 せめてもの笑顔を作り、挨拶をする。だが、チハルの顔はクマができており、乱れた髪からも生活の乱れが浮き彫りになっている。


「お早う。それよりも、部屋に入れてくれ」

「あ、はい……どうぞ」


 何の用事があって来たのかすら分からないまま、レクサを招き入れる。

 アトリエ内は散らかっている。

 製作途中の生地、糸。他道具があちこちに置かれていた。

 食事のためにと開けておいたテーブルの上も、それらで占領されてしまっている。あまりにも散らかったアトリエに、レクサは一瞬固まったがすぐに気を取り直したようだ。


「チハル、兄上に言われたことは覚えているか?」

「急に何を……」


 突拍子もない質問に戸惑うチハル。


「俺はチハルのセンスがないとは思わない。そもそもセンスというのは、磨けば光るもの。原石は誰しもが持っているのだ。だから」


 話の意図が見えぬまま、レクサは抱えていた荷物を散らかったテーブルの上に置いて広げる。

 並んだのは幾つもの情報誌。扱っている内容はファッションに留まらず、魔物や政治まで多種多様だ。唯一共通しているのは、比較的新しいということだけ。

 それが何を意味しているか、チハルにはわからない。


「これらは街で買ってきたものだ。どれも現代の人が写っている。どんな服が好まれるのか、どんな生活なのかまでわかるだろう」

「そ、そうですね。でも、私はこの文字が読めないですけど……」


 表紙に書かれている文字が読めなかった。この世界特有の変わったものだからだ。


「読めなくても、写真なら見える。これらを見て学ぶとよい。そうすれば作るものに変化が生まれるであろう」


 それだけを言うと、レクサはアトリエを出て行ってしまう。

 言いたいことはわかったものの、胸の中に何かがつかえたような気分でチハルは一冊を手に取ってページをめくったのだった。

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