第14話 誘拐された生活


「んん……」


 千春が重たい瞼を開いて見えたのは、薄暗い部屋だった。

 窓はない。明かりは壁際にあるアンティーク調のランプ。オレンジ色の光が優しく灯っている。さらに、自分は綿が見えるようなボロボロのソファーに寝かされていた。


 はて、ここは何処だろう。体を起こして千春は記憶を辿る。

 アトリエに籠もっていて、ニールがやって来た。レクサを探しに来たのだが、いないことを確認すると出ていった。そして、ひとり製作に戻ろうとしたら、急に意識が遠のいた。その時目の前に誰かが――


「やあ。お目覚めかな?」

「!?」


 背後から声がした。振り返ってみれば、顔の整った男がひとり。

 癖のあるブラウンの髪を緩くひとつにまとめている。目の下まで伸びた髪の間から覗く瞳に、千春はピンときた。


「あ、っと……もしかして、レクサさんのお兄さん、ですか?」

「だーいせいかーい。やっぱり分かっちゃう? 似てるとは言われたことあるけどさ」

「はい。瞳がレクサさんと同じなので」


 琥珀色の瞳はレクサと同じ。異なるのは、垂れ目なところ。顔だけの違いはそのくらいだった。

 そんな男は「やれやれ、兄弟だから仕方ないかなぁ」とぼやきながら、千春の正面にある背もたれの上部が破損した木製の椅子に座る。軋む音を気にせずに、男は長い足を組んだ。

 男は鎧を着ていない。剣も持っていない。黒いハイネックの上に白いシャツ、その上から着込んだフードつきのマントには、細かな刺繍が入っている。

 千春はその刺繍を凝視していた。


「気になる? このマント」

「はっ! ごめんなさい! ジロジロ見ちゃって。あまりにも綺麗だったので見とれてしましました」


 男は見やすいようにマントの裾を持ってくれた。

 落ち着いたダークトーンの藍色に施されたゴールドの刺繍。角には同色の金属パーツがつけられ、ほつれることはないだろう。さらにシルバーで細く、鮮やかにそして繊細に模様が刺繍されている。

 丁寧な作りだ。見習おうと、デザインやパターンを頭にすり込む。


「噂通り、君ってこういうのが好きなんだね」

「噂ですか?」

「うん。街で聞いたんだ。堅物レクサの嫁は裁縫上手。しかも作ったものは、瘴気を消し去る……ってね☆」


 そう言ってウインクをする男に、千春は本当にレクサの兄なのかと疑う。


「そんな裁縫上手さんに頼みがあってさ。なぁに、簡単な話だよ。瘴気に対抗できる防護服を作ってくれっていうね」

「はい? それは構いませんけど、ここじゃ出来ないですよ? 材料もないですし。それにわざわざここに私を連れてくる理由はなくないですか? ご兄弟ならお城を歩くのも自由でしょう? どうして私をここに――」

「決まってるじゃん! 弟への嫌がらせだよ!」


 再びウインクすると、千春は「は?」と目を点にする。


「だってさぁ、瘴気の原因追及をしに行って消息不明になったかと思ったら、ふらっと帰ってきて。それで何? どっからともなく女の人を連れてきて。挙げ句の果てに、結婚相手だって? 意味わからないのオンパレード。いくら僕でもムカつくじゃん?」

「それって……嫉妬では?」

「はぁ? ナイナイ! 僕がレクサに嫉妬なんて! 愚弟に嫉妬なんか僕がするわけないでしょ! 僕を何だと思って――あれ? どうかした?」


 千春は男の後ろから静かに近づいて来る人物をジッと見ていた。その目線に気づいて、男は振り返った途端、首元に刃を向けられた。


「兄上……どういうことか、説明してもらいましょうか?」


 男と同じ瞳を持つ、レクサだった。ふざけた様子はなく、少し息切れしながらも剣を男の首に当てている。少しでも動けば、切れてしまいそうだ。


「あははっ。見つけるの上手くなったじゃないか。探索魔法でも使った? お前の苦手分野だろうに」


 首がはねられることに恐れる様子はなく、男は軽い口を開いている。


「切りたければ切ればいいよ。その瞬間に、ここは瘴気で満たされるけどね」

「チッ……そんなこと、わかっています」


 ヘラヘラした態度の男の言葉に、レクサは剣を閉まった……が、強く握った拳が男の頬に突き当たった。

 痛いと言いながら頬をさする男に代わり、レクサが戸惑う千春に説明する。


「この人はガラン。俺の兄上だ。見ての通り、自由気ままというか……剣よりも魔法が得意でな。アトリエにも隠密魔法か何か使って入ったのだろう。チハルを攫う時も魔法で眠らせていたようだ。アトリエに魔法の痕跡が残っていて、痕を追ってきたら時間がかかってしまった」


 レクサは頭を下げた。

 やはり、この男はレクサの兄だった。顔つきは似ているものの、話し方や態度は百八十度違う。兄上と呼ぶ辺り、敬意は持っているようだが、嫌悪の顔もしていることからレクサがガランをどう思っているのかハッキリとは分からない。


「ふぐっ……やだなぁ、暴力は民の信頼を損なわせるよ? もう、ただでさえあちこち痛いんだから勘弁してよね……」

「俺が手を上げるのは貴方だけです。どうせ治癒魔法ですぐ治せるんでしょう? ん? ただでさえあちこちって……?」


 ガランは治癒魔法で殴られた頬を治す。


「レクサさん……レクサさんのお兄さんから、瘴気らしいものが……」


 千春は見えた。

 レクサに殴られた瞬間、マントの中、着込んでいる服がじわりじわりと燃えるように塵になっていき、そこから黒いもやが出ている様子を。

 ガランはマントですぐに隠したものの、レクサの手によってマントと服ごとめくられ、肌が露わにされる。

 見えてしまった瘴気に犯された腹部。マグマが沸き立つように、ふつふつと瘴気が立つ。


「兄上……」

「バレちゃった? 仕方ないでしょ? 僕が倒れる訳にはいかないんだから」

「でも」

「魔法で進行抑制は出来てるよ。内臓はちょっと支障出てるけど、生命活動が維持できる程度には。僕が死んだら、みんな瘴気にやられちゃうもん。死ぬわけにはいかない」

「だからと言って……」


 ガランから手を離せば、レクサの眉間には深い皺を作る。しかし、ガランは相変わらずひょうひょうととしていた。


「こんなんだから、彼女を運んだワケ。噂によれば、瘴気を消せるっていうじゃん? だったらやってもらおーってね☆」

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