第8話 夜の太陽
「以上が私が西の森で見たことです」
コン将軍が数時間前の西の森での出来事を話し終えるとヨンは顎に片手を当てて考え込んだ。
深夜の玄庁の書庫。
そこに集うのはヨン、アル、コン将軍の三人。
ヨンとアルは一介の官吏に扮している。
現在の王宮は宰相のタオが実権を握っており、王の代わりに
王は十年前から体調を崩しがちになり、三年前から起き上がることさえできなくなった。
宰相の提案か王妃の判断かは定かではないが、現在は王妃と共に療養に専念するという名目で都の南西に位置する山深い湖畔の離宮に籠っている。
タオの私兵が護衛と称して張り付いているが、半ば軟禁状態と言っても過言ではない。
第一皇子のヨウも三度に渡る暗殺未遂によって人間不信となり、自室に引き籠ったまま政治から遠ざかって既に三年になる。
第二皇子であるヨンも王がまだ存命で第一皇子も王宮内にいるのを理由にタオによって政治の場からは排除されている。
こうした状況を打開しようとヨンはお忍びで情報と信頼できる仲間を集めて来た。
この三年で得られた仲間はアルを除けばまだ三人程。
香月楼の楼主、チュンユと玄庁のコン将軍、ヴォルド副将軍のみだ。
ヨナとして高官の密談の場となっている妓楼に出入りし、王宮内で唯一貴族が少ない実力主義の玄庁で玄庁出身のアルを通じてコン将軍と繋がり、情報を得ている。
コン将軍もまたタオが王の代わりに政治を意のままにする現状を快く思っておらず、自ら変装してでも行動するヨンを尊敬し協力している。
「捕らえた盗賊達はどうしてる?」
「牢で尋問していますが誰かに雇われている訳ではなさそうです。ただ全員が口を揃えたように仮面の男を恐れています」
「倒すところは見ていないのだったか。倒した後の様子だけで太刀筋なども分かるものなのか?」
「盗賊の傷口である程度は分かります。急所を外し、殺さない程度に出血させ、同じ場所に倒れるように計算して倒したようです。相手が格下でも至難の業です。二人で倒したにしても、です。まして今回の盗賊は他国で戦に明け暮れていたような手練れです。そんな盗賊達が口を揃えて怯えるのですから……」
「それ程の腕なら素性に見当が付きそうなものだが。何か素性に繋がりそうなものは無いのか?」
ヨンに問われてコン将軍は反芻した。
仮面の男、シンが自身で語ったのは暗司部の者ではないこと、人を探すために玄試を受けたこと、素性を隠すために仮面を着けていること。
そして探している相手と素性を隠したい相手は同一人物であること。
その人物は王宮内にいて、復讐したい相手の可能性が高いということ。
ヨンは第二皇子でシンが探す王宮内の人間という条件に当て嵌まる。
だが、ヨンは王宮が正しく在るようにと密かに尽力するような人物だ。
シンの復讐相手とは思えない。
シンの与り知らぬところで勝手に話して良いのか一瞬躊躇ったが、そう判断してコン将軍はシンが語ったことを全てヨンに話した。
「人を探しているのは真実を追い求めるため、か。素性を隠すために仮面を着けているならば王宮内に素顔を知る者がいる、ということか」
「噂されていた火傷痕や傷があるとかでは無さそうです。王族関係者という噂もありましたがお心当たりはおありですか?」
「……いや。あれほど剣の腕が立つ者は私の知る限り王族にはいない。剣術と言えば兄上だが、兄上と手を合わせたことのある将軍なら分かるだろう?」
「はい。剣の腕以前に体格が全然異なります。あの者は小柄で華奢です」
「王族の可能性は低いだろうな。貴族や高官と関係がある可能性の方が高いだろう。今回の討伐に関しては、近衛部の全滅を狙ったのがあからさまだ。そうまでして仮面の男を狙った理由が気になるな。素性は引き続き探るとして、目的が私と同じなら子猿共々、仲間に引き入れたい。が、そのためには目的を明確にさせることが必須だ」
そう言って切り上げようとするヨンを引き留めるようにコン将軍が「あの」と声を掛けた。
「今回近衛部に命令を出した者は調べないのですか?」
「既に調べた。
「ですが危うく全滅するところだったのですよ?」
「今は王が不在で宰相が実権を握っている。皇子と言っても私に何の力もない」
自嘲するように笑んで部屋を後にするヨンにコン将軍は失言だったと片手で顔を覆った。
明るく聡明で次期王として期待の高かった第一皇子のヨウ。
そんなヨウをヨンは慕っており、仲の良い兄弟の姿をコン将軍も度々目にしていた。
が、なぜかヨウの暗殺未遂が起こる度、真っ先にヨンが疑われ、次第にヨウもそれを信じるようになり、人間不信にまでなってしまった。
王が病に倒れたのとヨウの暗殺未遂はほぼ同じ頃で、その隙に実権を握ったのが宰相のタオだ。
一番疑わしいのがタオであるのに誰も謀反を疑いさえしない。
ヨンは孤立無援でタオに立ち向かおうとしているのだ。
そんな状態になるまでコン将軍は気づかなかった。
政というものに関心がなかった。
知将と名高いヴォルド副将軍も当時はまだ一兵卒に過ぎず、国を守るべき玄庁の誰もが命令されなければ自発的に動きもせず、考えもしない風土であった。
ヨンから接触があって初めて国が内側から蝕まれていると知り、考えて動いて良いのだと知ったようなものだ。
コン将軍は何のための軍なのか、自分よりもずっと若いヨンに諭されたようで己を恥じた。
故にもう二度とヨンに自分を無力だと言わせたくない、そう改めて誓った。
数時間前。
西の森から戻ったスウォルは返り血を浴びた衣を着替えるため、人目を避けて空き小屋へ向かいながら森での近衛兵達の顔を思い出していた。
化け物を見るような怯えた目が焼き付いて離れない。
スウォルは自分の両手を見つめた。
貴族の女性の手ではない。
スウォルではなくシンと名乗るようになってからあらゆる武術の稽古に励んで来た。
そのことを後悔はしていない。
でもそのせいで周囲からあんな目で見られるとは想像していなかった。
スウォルは人を殺したことはない。
レンの提案で血溜まりを作った。
初めて浴びた返り血が頬を伝う感触に人を殺したような恐ろしさを感じて震えた。
血を流さずに倒すこともできたが、殺したように見せた方が視覚的効果がある、延いてはそれが功績に繋がるという理由からだった。
将軍の座は強い者が就く。
とても単純だが簡単ではない。
将軍なら王宮のほぼ全ての場所に入れる。
女官としては入れない場所にも。
他の官職は出自が問われる。
だから将軍になるしか道はなかった。
そう思って来た。
本当にこれで良かったのかと突如として不安になった。
軍部の者達はスウォルをどう思うだろうか。
どんな目でスウォルを見るのだろうか。
想像すると足が竦んだ。
その背後に何者かの気配が。
ゆっくりと振り返ろうとしたが首筋に短刀を当てられ、身動きができなくなった。
こういう場合の切り抜け方をライから習ってはいる。
だが、相手に殺気が無いのが妙だった。
「その名はお前のものじゃない。持ち主を知っている」
低い声。
その声にスウォルは凍り付いた。
「その仮面の下に、その衣の下に火傷はあるか?」
その問いにスウォルは拳を握り締めた。
「……何者だ?」
問う声が僅かに震え、スウォルは鼓動が速くなるのを感じた。
「こっちが先に訊いたんだ。あの夜はまだ続いているぞ」
その瞬間、スウォルは相手の短刀を持つ手首を両手で掴み、下に押し下げると同時に身を捻り、相手の脇からすり抜けて片手で手を捻り上げた。
その手からもう片方の手で短刀を奪ったところで、その者が黒装束に身を包んでいることに気づいた。
その瞬間、捻り上げた手が緩む。
と同時に相手は力尽くでその手を振り解き、スウォルと対峙した。
その顔はスウォルの仮面が鼻から上を隠すのとは対照的に鼻から下を隠すような面が付けられている。
「もう一度訊く。何者だ?」
「だからそれはこっちの台詞だって。死人の名を騙って一体誰を探してる?」
その言葉でスウォルは男に飛び掛かった。
仮面を剥いで何者か確かめたかった。
もしかしたらシンを殺した者かもしれない。
いや、シンが生きていて名を取り戻しに来たのかもしれない。
いずれにせよ、顔を見たところで判別はできない。
殺した者の顔も成長したシンの顔も知らない。
そうと解っていてもその衝動を抑えることはできなかった。
しかし、男を地面に押し倒した瞬間。
何かが首筋にチクリと刺さり、スウォルは男に覆い被さるようにして倒れ込んだ。
「安心しろ。毒じゃない。しばらく動けなくなるだけだ。答えはまた訊きに来る」
男はそう言ってシンを押し退けて起き上がり、走り去ってしまった。
遠ざかって行く足音と近づいて来る足音を耳にスウォルは視線を動かす。
近づいて来たのはレンだった。
「シンッ。大丈夫かっ」
心配そうに駆け寄って来たレンに抱き起されるが体が痺れたように動かない。
「何があったんだよっ」
問われてスウォルは答えるのを一瞬
話した内容を伏せ、無言で襲われたと話し、相手の特徴を言うとレンは腕を組んで首を捻った。
「『夜の太陽』かもな」
その名にスウォルは「えっ?」と眉間に皺を寄せる。
『夜の太陽』という通り名は民衆がそう呼んでいるだけであの男が自ら名乗ったことはない。
夜の闇に紛れて不正を働く官吏や私腹を肥やす貴族等から金品を奪い、それを被害を受けた民にばら撒く。
太陽とは王を指す隠語だ。
昼の空に輝く太陽は王宮の上のみ照らし、夜に現れる太陽は民の上を照らすと
英雄視されているがただの盗人だ。
それがなぜ王宮に現れ、しかもスウォルの前に姿を見せたのか。
シンのことを本物のシンのことを知っている。
そしてあの夜のことも知っている。
知っていてシンを、スウォルを脅した。
「黒装束に鼻から下を隠してたんだろ? 刺客なら顔は全部隠して目のとこだけ開いてるのが多いからさ。それに刺客だったら既に死んでるって。でもま、一応カイに相談して来るっ」
レンはそう言ってスウォルをその場に残し、去って行った。
残されたスウォルは痺れの残る体でゆっくりと立ち上がった。
レンは良き仲間だが、スウォルよりカイを慕っている。
スウォルの側にいるのもカイの指示だからだ。
スウォルと出会うよりもずっと前からレンはカイと知り合いだし、レンにとってカイは恩人だと聞いている。
とはいえ、襲われた者を一人残してカイの元へ駆けて行くのはどうかと思いながら、スウォルは小屋へと向かった。
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