第8話 夜の太陽

「私が見たのはそこまでです」

 ヨンが数時間前の出来事を話し終えるとチュンユは不満そうな表情でアルを見た。


「迂闊にも背後を取られ、気が付くと茶屋にいたのです」

 悔しそうにするアルにチュンユは驚く。

「仮面の男とその子猿みたいなの以外にまだ仲間がいたってこと?」

「はい」

「しかもあなたが背後を取られるなんてかなりの腕ね」

「はい」

 俯くアルにチュンユは深刻そうにヨンを見た。


「それにしても彼らの目的は何なのかしら? 盗賊を殺さずに生かしたってことは仲間と考えるべきかしら? でもそうなるとお粗末よね。血を撒いて殺したように偽装したみたいだけど将軍相手にそんな子供騙しが通用しないって分かりそうじゃない? 実際すぐにバレたのでしょう? 将軍が来るとは想定外だったとしても近衛兵が来るのは分かってたことでしょう? 血を撒いたぐらいで死体を装えるとは思えないわ」

 矢継ぎ早に疑問を投げるチュンユにヨンは目を輝かせた。

「そこだよ、そこっ。茶屋からここに戻るまでの道中考えてみたんだが、松明の灯りに浮かんだ血まみれの仮面の男の姿は異様だった。足元の血溜まりに沈む盗賊の数は一人二人じゃない。森の薄暗さによる不気味さもあって、あたかも地獄の鬼のように見えた。実際、鬼だと気味悪がる者もいた。その光景を見せることこそが血を撒いた理由だと思う」

「血を撒くより殺した方が確実じゃない? 殺さなかった理由は?」

「気絶したせいであの後盗賊達をどうしたか分からないから確実なことは言えないが……考えられることは二つ。生け捕って何か聞き出したいことがあるか釣りをしたいか、だ」

「でも死体を運ぶとなった時に殺してないのがバレちゃうじゃない」

 チュンユの疑問にアルが「盗賊の死体は野ざらしが基本です」と答えた。


「でも森といっても商道でしょう? 民が行き来する場所に野ざらしなんて……」

「商人の中には死体を売る者もいるそうです。そういった者達が噂を聞きつけて片付けてくれるので、軍部も彼らの行いを知っていて目を瞑っています」

「死体を……?」

「人もいわば動物ですからね。骨や皮、臓器がまじないや薬の材料として闇取引されているんですよ」

 アルの言葉にチュンユが嫌悪感で顔を歪めるとヨンは「そうだよな」と何かに気づいたようにチュンユを見た。


「普通は死体は埋葬するものだと思う。例え盗賊であっても、だ。野ざらしだと知っているのは玄庁以外では商人くらいだ」

「じゃあ仮面の男はどこかの商団出身かもしれないってこと? でも確か向こう側の人間だと言わなかった?」

「言った。向こう側の人間だからって貴族だとは限らない。仮面の男の狙いは将軍の座だと思う。今回の件も全てその為に計画されたことじゃないか? 玄庁げんちょうは他の庁と違って出自を問わない。玄試にも不正はあるが軍部内での地位は実力主義だ。手柄を立てれば即将軍になることも不可能じゃない」

「盗賊討伐の手柄で将軍になろうとしてるってこと? でもそれだけじゃ近衛兵から軍部へ異動になる程度じゃない?」

 今度はチュンユが疑問を口にすると今度はアルが「そうか」と何かに気づいたようにヨンを見た。


「軍部を通さずめいが下ったのも計画の内ならばそれができるのは向こう側の人間、つまり仮面の男は向こう側と繋がっていることになります」

「だから仮面の男は向こう側の人間と言ったのね?」

 アルとチュンユの言葉にヨンは頷いた。

「その可能性が高い。あの身のこなし、剣の太刀筋も見たことがないものだった。死神の子供だという噂も単なる噂ではないかもしれない」

「だとしたら子供は仮面の男を含めて少なくとも三人いるってことね? 仮面の男と一緒に盗賊を倒した青年とあなた達を気絶させた者」

 チュンユの言葉にヨンは頷いて険しい表情になる。

「向こう側に死神のような暗殺者がいるなら……しかも複数いるとしたらこちらに剣での勝ち目はない。だからなんとしても軍部まで向こう側に取られてはならない」

「でも既に玄庁に入られてしまってる訳でしょう?」

「仮面の男をこちらの味方につける」

「味方ってどうやって……?」

「将軍になることが最終目的では勿論ないだろうし、将軍になって何をするつもりなのか、まずは目的を探る必要がある。盗賊達があの後どうなったのか、それを調べればその糸口が掴めるはずだ」

 ヨンがそう答えるとアルが頷いた。


「じゃあ将軍の様子も含めて軍部の方はそちらに任せるわ。私は商人の方を探ってみます」

「では我々はそろそろ戻らねば……」

 アルが立ち上がるとチュンユがヨンに向かって片手を差し出した。

「途中から言葉遣いが戻っていたわよ、?」

 その言葉にヨンは眉間に皺を寄せ、視線で促すとアルが懐から小袋を取り出してチュンユの手に載せた。

 それをチュンユは楽しそうに笑んで受け取り、立ち上がって一礼して二人を見送った。



 再び数時間前、森の中。

 ヨンとアルが昏倒した後。

 コン将軍もまた同じ者の手によって昏倒させられていた。


 茂みから姿を現したのは二人。

 コン将軍の眼前にレン、背後からライが手刀で昏倒させた。

 地面に伏した将軍の背後、その脇に見えた光景にシンは険しい表情になる。


 茂みから上半身を投げ出して倒れている人影を見つけたからだ。

 シンの視線の先に気づいてライが「見物人が二人いた。気づいていたか?」と問うた。

 シンが俯いて「いいえ。何者ですか?」と問うと今度はライは険しい表情になる。


「さあな。カイに調べさせる。こいつらの正体よりもお前はまず殺気以外の気配も覚えろ。第六感で感じるものじゃない。五感全てで感じられるものだ」

 ライの言葉に項垂れるシンの肩を軽く叩き、「盗賊と見物客はレンと二人でカイのところへ連れて行く。お前は将軍を連れて王宮へ戻れ」と言って倒れたコン将軍を馬に乗せ始めた。


 現在。


 夕闇が降り始めた王宮の門前まで戻ったシンは門衛に気を失ったままの将軍の事情を話そうと馬を降りた。

 が、その姿を見た門衛は怯えた様子で急いで門を開け、早く中に入れと促した。

 シンは門衛に馬の手綱を預けようとしたが受け取りを拒否されたため、そのまま手綱を引いて中に入ることにした。


 王宮に入るのは玄試の時以来だった。

 改めて中を見渡すとその広大さに圧倒される。

 玄庁は王宮の北に位置する。

 西門から入ったため、入って左に折れ、北へ向かう。

 が、途中でその足が止まる。


 森での近衛兵達の顔を思い出す。

 化け物を見るような怯えた目。

 先程の門衛達も同じ目をしていた。

 既に森での出来事が噂として広まっていることは明白だった。


 シンは手綱から手を離し、自分の両手を見つめた。

 貴族の女性の手ではない。

 肉刺まめが幾つもある剣士の手だ。

 スウォルではなくシンと名乗るようになってからあらゆる武術の稽古に励んで来た。

 そのことを後悔はしていない。

 でもそのせいで周囲からあんな目で見られるとは想像していなかった。


 シンは人を殺したことはない。

 レンを介してライから伝えられたのは人を殺さず将軍になるための策。

 その為に盗賊を利用し、獣の血を撒いて殺したように見せかけた。

 将軍の座は強い者が就く。

 とても単純だが簡単ではない。

 それでもシンには少しでも早くその座に就いて入りたい場所がある。

 王宮のとある場所。

 そこには女官としては入れない。

 他の官職は出自が問われる。

 だから将軍になるしか道はなかった。


 そう思って来た。

 本当にこれで良かったのかと突如として不安になった。


 気を失った将軍を兵舎に連れ帰った時、軍部の者達はシンをどう思うだろうか。

 どんな目でシンを見るのだろうか。

 想像すると足が竦んだ。


 その背後に何者かの気配が。

 先程のライの言葉が脳裏をよぎる。


「殺気以外の気配も覚えろ」


 あの言葉が身に染みる。

 ゆっくりと振り返ろうとしたが首筋に短刀を当てられ、身動きができなくなった。

 こういう場合の切り抜け方をライから習ってはいる。

 だが、相手に殺気が無いのが妙だった。


「玄試の条件を知らないのか? 女は入れない」

 低い声。

 その声にシンは凍り付いた。

「仮面を付けている理由は女だからか? 他にも理由があるのか?」

 立て続けに質問され、シンは拳を握り締めた。


「……何者だ?」

「それはこっちの台詞だ。その名はお前のものじゃない。持ち主を知っている」

 その言葉にシンは鼓動が速くなるのを感じた。


はまだ続いているぞ」


 その瞬間、シンは相手の短刀を持つ手首を両手で掴み、下に押し下げると同時に身を捻り、相手の脇からすり抜けて片手で手を捻り上げた。

 その手からもう片方の手で短刀を奪ったところで、その者が軍部の衣を着ているのに気づいた。

 その瞬間、捻り上げた手が緩む。

 と同時に相手は力尽くでその手を振り解き、シンと対峙した。

 その顔にはシンと似たような仮面が付けられている。


「もう一度訊く。何者だ?」

「だからそれはこっちの台詞だって。よくある名だが都では珍しい名だ。からその名は避けられている。都で名乗ると死を呼ぶってね。誰も我が子に名付けない。既にその名だった者は金を積んで改名するほどだ。ま、噂通り死神の子なら死など恐れないか。それとも……の復讐に来たか」

 男の話は初めて聞くものだった。

 シンという名が禁忌になっているとは知らなかった。

 だから俄かに男の話を信じられなかった。

 だが。


「その仮面の下に、その衣の下に火傷はあるか?」


 その言葉でシンは男に飛び掛かった。

 仮面を剥いで何者か確かめたかった。

 もしかしたらシンを殺した者かもしれない。

 いや、もしかしたらシンが生きていたのかもしれない。


 いずれにせよ、顔を見たところで判別はできない。

 殺した者の顔も成長したシンの顔も知らない。

 そうと解っていてもその衝動を抑えることはできなかった。


 しかし、男を押し倒した瞬間。

 何かが首筋にチクリと刺さり、シンは男に覆い被さったまま倒れ込んだ。


「残念。答えはまた今度訊きに来る」

 男はそう言ってシンを押し退けて起き上がり、走り去ってしまった。


 その軽快な足音を耳にシンは気を失った。

 そして次に目を覚ました時には牢にいた。

 傍らにはレンの姿もあり、何があったのか問う。


 気を失った将軍と倒れていたシンを見つけた者が軍部に報告し、副将軍の判断でシンは牢屋に繋がれた。

 その後、白庁びゃくちょうの医官に自室で手当てを受け、目を覚ました将軍の元にレンもシンを手助けしたと密告があったそうだ。

「多分、カイが手を回したんだ。お前一人を牢に入れとけば俺が外から出してやれるのに何を考えてンだか。それより倒れてたって聞いたけど? そっちこそ何があったんだよ?」

 問われてシンは答えるのを一瞬躊躇ためらった。

 話した内容を伏せ、無言で襲われたと話し、相手の特徴を言うとレンは腕を組んで首を捻った。


「『夜の太陽』かもな」

 その名にシンは「えっ?」と眉間に皺を寄せる。


『夜の太陽』という通り名は民衆がそう呼んでいるだけであの男が自ら名乗ったことはない。

 夜の闇に紛れて不正を働く官吏や私腹を肥やす貴族等から金品を奪い、それを被害を受けた民にばら撒く。


 太陽とは王を指す隠語だ。

 昼の空に輝く太陽は王宮の上のみ照らし、夜に現れる太陽は民の上を照らすと揶揄やゆされている。


 英雄視されているがただの盗人だ。

 それがなぜ宮廷に現れ、しかもシンの前に姿を見せたのか。


 シンのことを本物のシンのことを知っている。

 そしてのことも知っている。

 知っていてシンを、スウォルを脅した。


「……なんてね。幾ら夜の太陽でも王宮にまで入り込めないさ」

 レンはそう言って組んでいた腕を解き、立ち上がった。

 何事かとシンが牢の外へ視線を向けると何者かが近づく足音が聞こえた。

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