第7話 疑惑の火種

 鬱蒼うっそうと茂る木々に遮られ、木漏れ日もほとんど届かず、真昼でも薄暗い場所。

 灯された松明たいまつの火に浮かび上がったその姿に誰もが動きを止め、大きく目を見開いた。

 ゆっくりと振り返ったその姿に思わず「ひぃっ」と短い悲鳴を上げる者もいた。


 血溜まりに沈んでいるのは盗賊と思しき者達。

 いずれも一撃で倒されている。

 そこに佇む青年にコン将軍は一瞬ひるんだ。


 あの盗賊達を一掃したのか、と。


 だが、すぐにコン将軍はあることに気づいた。

 盗賊達は殺されてはいない。

 それは単純に殺すよりもさらに至難のわざだ。

 そしてその事実はここにいる者全員に伏せなければならない。

 そう判断した。


「赤は白を先導して撤収しろ」

 コンはそう言って近くにいた部下に声を掛け、馬上から降りた。

 赤や白というのは官服の刺繍の色だ。

 玄庁げんちょうは黒い衣を着用する。

 そしてそこに施される刺繍の色が赤なら軍部、白は近衛部を意味する。

 衣以外の甲冑や旗なども同じように色分けされている。


 命令された部下は何か言いたそうな表情ではあったが、「日が暮れるぞ」とコン将軍が急かすと黙って他の兵を誘導し始めた。

 そこに仮面の青年シンも加わろうとするのをコン将軍が制止する。


「お前は残れ」

 そう言って近づき、小声で「全員生きているな」と確認した。

 仮面のせいで表情は分からないが、シンは落ち着いた声音で「はい」と頷いた。

 ちらと背後を振り返って兵が去って行く姿を確認し、「なぜ殺さなかった?」と問うとシンは「討伐命令は出てなかったので」と返した。

 その返答にコン将軍は唖然とした。


「ではなぜ血を撒いた?」

「撒いた訳ではありません。彼らが持っていた袋が散らばっただけです」

 シンの返答にコン将軍は眉をひそめた。

 コン将軍は知略や戦略といったものには疎い。

 そういったものは副将軍の方が向いている。

 だが、それでもシンの返答には違和感があった。


 盗賊が血を持ち歩く理由は何だ?

 この臭いは人間の血ではない。家畜のものだ。

 しかもこんなに大量に?

 その袋はどこにある?

 それに戦闘によって散らばったなら周囲の木々にも飛び散ったはずだ。

 盗賊の上にだけ血があるのはやはり後から撒いたとしか思えない。

 なぜ殺した振りをしている?

 我々が到着すればすぐにバレるのに。


 いや、バレても構わないのか。

 死んだ振りをして油断したところを襲うつもりならば。


 コン将軍は次々に浮かんだ疑問にそう結論づけ、気を引き締めた。

 そしてその結論はシンへの警戒を高めた。

 そこで一つ、コン将軍はその結論を確かめるべくシンを試すことにした。


「討伐命令なら今出す。お前には簡単なことだろう?」

 この場で殺すか否かで盗賊が使い捨てかどうかが分かる。

 彼らを使って何かを成そうとしているのか、それとも単なる陽動作戦の一つか。

 だが、目論見がバレたと知れれば全員で一気に襲って来る可能性もある。

 そうなれば幾ら腕に自信のあるコン将軍とはいえ、一人では太刀打ちできないかもしれない。

 部隊を全員早々に帰らせたのは失敗だったか。

 コン将軍に副将軍のようなあらゆる最悪の状況を見通すような頭はない。

 シンと二人で話をしたいがために作った状況が自身を窮地に追い込んでいる。

 無意識に腰に手が行き、緊張が走る。


「将軍はなぜこの場に来られたのですか? 軍部に出動命令は出ていないはずですが。命令が出ていないならば例え将軍といえど、この場であなたに従う理由はありません」

 仮面から覗くシンの目が鋭く将軍を見上げる。

 コン将軍はそれを僅かに目を細めて不快そうに見下ろす。


 盗賊達は本当に気を失っているのか、動く気配どころか殺気も感じられない。

 シンには僅かに警戒の色が見えるが、その目的も真意も分からず、コン将軍は苛立ちを感じた。


めいがなくとも将軍の一存で動けることもある。元々この森の討伐は予定されていたことだ。そんなことを気にかけるよりもそんな仮面で素性を隠す理由は何だ? 軍人にとって傷痕は例えどんな醜いものであろうと隠すようなものではない。玄試げんしでの異常な身のこなしと言い、俺よりも先に森に入り、その上さらに曲者くせもの揃いの盗賊を一人で倒したことと言い。暗司部あんしぶの者か? でなければ一介の近衛兵如きに怪しまれる筋合いなどない」

 暗司部とは玄庁所属の機関の一つではあるものの、王の側近で構成される央司部おうしぶの一部の者の命によってのみ動く。

 諜報活動を主とし、その構成員から活動内容は全て機密扱いとされている。

 それは将軍であろうと知らされることはないが戦などの情報収集に協力を求めることはできる。


「そうですね。自分でも怪しすぎるとは思っています。暗司部の者ではありませんが私は人探しのために玄試を受けました」

 凄みの利いたコン将軍の言葉に全く動じることもなく、シンは真っ直ぐにコン将軍を見上げて答えた。

 その意外な答えにコン将軍は鸚鵡オウム返しに「人探し?」と眉間に皺を寄せる。


「はい。私のことを話す前に将軍の人と成りが知りたくて少し話をしたかっただけです。噂通り清廉潔白で真っ直ぐな方だとお見受け致しましたが簡単に人を信じるなと教えられておりまして……その……」

 試すようなことをして申し訳ありません、と頭を下げるシンにコン将軍は益々困惑した。


「なぜ仮面を付けているのか話す気になったのか?」

「私の素性についてはいずれ。今は彼らから情報を引き出すことが先決です。殺さず生かしたのも討伐命令云々もですがそれが一番の理由です」

「全員を生かす理由はない。かしらだけ生かしておけばいいだろ」

「彼らは真に仲間ではありません。利害が一致している間だけつるんでいるだけです。金でどうとでも動く連中ですし、頭も一番強い者をそう呼んでいるだけですから全ての情報を握っているとは限らないのです」

「やけに詳しいな。こいつらのことはまだ都では噂にさえなっていないのに」

「行商人の用心棒をしていたので。彼らの情報網は自分達の生死に係わりますから迅速で正確なのです」

 シンの話に矛盾はない。

 玄試の後、玄庁げんちょうに登録するのに書かせた身上書にも用心棒のことは書かれていた。

 だが、コン将軍はそれが嘘だと感じた。

 論理的な裏付けがある訳ではない。なんとなくの勘に過ぎない。

 けれどその直感に自信がある。


「都に点在する近衛部このえぶの詰所は十二箇所。一つの詰所に十人が交代で勤務しているので総勢百二十名。それを動かすのは軍部です」

 唐突に周知のことを口走るシンにコン将軍は眉間に皺を寄せ、怪訝な表情になる。

吏司部りしぶからの命令も軍部を通して行われると最初に説明を受けました。それが軍部を通さず、ただ西の森へ行けとだけ伝達がありました。火急の事案ならばよくあることですか?」

「いや。火急ならばそもそも軍部に直接命が下る。吏司部は人事を司る処でただの命令を仲介するだけに過ぎない。それに先程も言ったがこの討伐は軍部が予定していたことだ。そもそも吏司部が近衛部に出す命令ではないし、危険な者相手と分かっていながら近衛部に行かせることはしない。後方支援という形で演習の予定は組んでいたが」

「近衛部から吏司部を通じて軍部に出動要請をすることはあっても吏司部から近衛部にという流れはいささか奇妙に感じました。しかも危険な任務を近衛部に任せるとは全滅を狙っているようにしか思えません。その上、都の全ての近衛兵に、となると……」

「罠だと言いたいのか。都で何か良からぬことを企てている者の仕業だと?」

 それはこの森へ出立する前に副将軍とも話したことだった。

 ただ西へ向かえという命令が出されたと知った時、コン将軍もシンと同様、何者かが都の近衛兵を全滅させるつもりでいるのだと感じた。

 副将軍にそのことを伝えると、彼は都から近衛兵を排除し、町で何か事を起こそうとくわだてる者がいるのではないかと推論を述べた。

 そのためコンは副将軍に全権を預け、少数精鋭で西の森へ馬を走らせた。

 自身が残ることも考えたが、知略に優れた副将軍が都に残る方が適任だと考えたからだ。


「私達が今すべきはお互い疑心暗鬼になってここで腹を探り合うことではなく、盗賊から情報を得ることです」

 その言葉でコン将軍はふと周囲の異変に気付いた。

 血溜まりに沈んでいた盗賊の姿が明らかに減っている。

 周囲を見回すが逃げた様子はない。

 目前のシンを警戒していたが、それでも周囲にも気を配っていた。

 狭い道の途中の少し開けた場所。

 鬱蒼うっそうと生い茂る木々のせいで薄暗いとはいえ、視界はそう悪くはない。

 何かが動けば気付いたはずだ。


 周囲を見回すコン将軍にシンは「一つ訂正しなければならないことがあります」と落ち着いた声音で言った。

「たった一人で彼らを倒した訳ではありません。この場にはもう一人います」

 驚いた様子で見下ろすコン将軍にシンはさらに続ける。

「幾ら気絶させているとはいえ、危険な盗賊の傍で悠長に話をしていたのは彼がいたからです」

「彼、とは? どこにいる?」

 気配が全くなかった。

「どこかその辺の茂みに。賊を縛り上げて移送の準備をしてくれているはずです」

 コン将軍は険しい表情で周囲の茂みに目を凝らす。

 人の姿は確認できなかったが、確かに何者かの気配は感じ取れた。


「お前を信用できないのにはその仮面もだが、今回のことで言うならだ。他の近衛部の者は俺より後だった。命を受けたのは皆同じはずなのに俺よりも早く来ただけでなく、例え二人だったとしても倒す時間もあったのはなぜだ?」

「運良く早馬を借りることができたので」

 俺の馬も名馬なんだがな、とコン将軍は言おうとして止めた。

 正直に話す気がないのだと察したからだ。


 いずれ素性を話す、とは言っていた。


 これが罠ならば一刻も早く都に戻るべきだ。

 だが、このままシンを連れて戻る気にもなれなかった。

 都には副将軍がいる。

 おまけに精鋭部隊も近衛部も帰した。

 都の心配をするよりもまず、目の前の仮面の青年が何者か見極めねばならない。

 この青年を都に帰すか否か。


 そんなコン将軍の胸の内を見透かすようにシンは「嘘は言ってませんよ」と口を開いた。

「伝令を受けてそのまま真っ直ぐここまで来ました。事前に知っていた訳ではありません。馬のお蔭もありますが、他の近衛兵達はそれなりに準備を整える時間が必要だったはずです。都の全近衛兵が動くのですから詰所を封鎖したり、馬の数にも限りがありますからその手配もあったでしょう。私達は西の森が危険だと知っていましたので、彼らよりも先に着かなければとそれをせずに来ましたので」


 ああ、とコン将軍は納得した。

 確かに近衛兵の普段の任務は都の治安維持であり、都を離れることはない。

 離れる場合にはそれなりの手順や手続きが必要となる。


 信用しても良いのか。

 コン将軍は揺らいだ。


「おい、まだ喋ってるのかよ」

 そこに茂みの奥から一人の青年が姿を現し、苛立った様子で仁王立ちになった。

 反射的にコン将軍は腰の剣に手を掛け、身構える。


 そして、気付く。

 他にも茂みの中にまだ気配がある、と。

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