第4話 紫黒の仮面
雲一つない青空が広がり、初夏の陽射しが眩く降り注ぐ中、早朝の清々しい風に重い溜息が混じる。
「あれが例の奴か?」
城内にある
その中で一際目立っていたのが黒い仮面を付けた青年だった。
静かに黙って隅の方で佇む青年に他の男達が好奇な視線を向け、ひそひそと噂し合っている。
「顔に傷があるって話だが、あれは貴族の坊ちゃんが素性を隠す為に付けてるらしいぞ」
「ああ、だからあんなお子様が会場に一番乗りできたのか。安全な道を教えて貰えて楽なこった。どうせ合格も決まってるんだろうよ。こっちは命懸けで辿り着いたってのによぉ」
わざと青年に聞こえるように一際声を大にして言った男に別の男が「違うよ」と声を潜めて話しかけた。
「あいつはあの死神の子供だって聞いたぞ」
「死神っていやぁ、あの?」
「ああ。俺は見たんだ。
怯える男の表情に他の男達も一瞬押し黙って仮面の青年を見やった。
が、すぐに男達は笑い始めた。
「冗談だろ? 背も低いし、ひょろっとしてるぞ。身なりも良いし、貴族の坊ちゃんにしか見えねぇけどなぁ」
これからこの演習場で玄庁の試験、いわゆる
北の大国と戦が続いていた時代は毎年夏と冬の二回行われていたが、泰平の世の今は欠員が出たり災害などが起きて増員が必要な時だけ行われている。
今年は春に水害があり、また西国との国境付近で盗賊が増えたことにより、数年振りに開催されるとあって受験者が殺到した。
玄試は他の庁と異なり、出自も年齢も問われない。
試験を受けるのに必要な条件はただ一つ、健康な男であることのみ。
合格すれば寝食が保障され、給金も高額とあって、男に生まれたなら一度は受ける試験である。
故に毎回受験者が多く、試験を受ける前に
その為、受付会場は危険な場所に設定される上、指定された期間内に辿り着けなければ受験資格が与えられない。
開催日は今も夏と冬と季節は決まってるが、具体的な日付は不定だ。
予告なく城門前に地図と期日が貼り出される。
だが、張り出されてから一週間程度の猶予しかなく、故に遠方に住まう者には不利なことが多い。
その為、玄試の季節には城下町に試験を受けたい者が集まる。
今回は張り出された翌日が期限と極端に短かったが、最初に辿り着いたのがこの仮面の青年だった。
受付会場は都の外れにある広い葦原だった。
ただの葦原とあって多くの者が向かったが、受付と書かれた旗の立つ場所までには多くの伏兵や罠が仕掛けられており、先に入った者の叫び声を聞いて入り口で帰った者も多かった。
そんな中、仮面の青年は自分とほぼ同じ背丈の葦原に入り、ものの五分程で受付まで辿り着いた。
道も無く、葦が生い茂って動きにくい上、視界も悪い場所に張り巡らされた罠と伏兵からの攻撃を全て
故に他はその一時間後に辿り着いた者が数人、あとは半日以上経ってからようやくといった具合だった。
しかも全くの無傷で辿り着けたのは仮面の青年ただ一人だった。
「思ったより少ないな」
前日の受付を終えて玄庁の演習場に入れたのは十一人。
彼らの前に現れたのは試験の合否を判定する将軍のコンだった。
背が高く、軍人らしい引き締まった体格の男は将軍という地位に就いているにしては若く見える。
軍人というより人懐こい大型犬のような風貌で、笑顔で会場に現れた。
これから厳しい試験が始まるというのに緊張感がない。
平服を身に
「試験の内容は剣術、弓術、馬術、柔術の四つ。いつもは一つ一つ披露してもらうんだが、今回は数も少ないので、二人一組で戦って勝った方を軍部に採用する」
将軍の言葉にニヤリと笑みを浮かべる者もいれば、周囲を見渡して困惑する者、考え込む者、反応はそれぞれだった。
組み合わせは将軍の独断で決められたが、集まった人数は奇数だった。
最後に一人残ったのは仮面の青年だった。
「一番乗りしたらしいな」
将軍に見下ろされた青年は見上げることもせず、正面を向いたまま「はい」と答えた。
「お前の相手は俺だ。俺に勝てたら合格と同時に将軍の座もやる」
突然の将軍の言葉にどよめきが起こる。
「おいおい、本当に貴族の坊ちゃんか? 金で将軍の座まで買ったのかよ」
ひそひそと噂し合う声を他所に将軍は試験の説明を始めた。
「勝ちの判定は相手を動けなくすること。気絶させても縛り上げても構わない。ただし、殺しは無しだ。怪我をさせても良いが急所は外せ。今回は数が少ないから負けた方は地方の
「じゃあ全員合格ってことですか?」
将軍の説明に不服そうに問う者がいた。
「ああ。だが、負けた方は土木作業が終われば罷免する」
「何だよ、ずっと働けないのかよ」
ぽつり漏らした声に将軍が笑った。
「負ける前提か。ここは玄庁だぞ? 軍部でなくとも怪我どころか死の危険のある庁だ。いずれにせよ、ずっと働ける者は少ない。その覚悟もなく玄試を受けたのか?」
平和な国になったな、と呆れた声を出し、将軍は一同を見渡した。
受付に辿り着いた以上、皆それなりに体格も良く強そうな者達だが、身分を問わない為、中にはゴロツキや盗賊紛いの者もいた。
強ければ雇わなくてはならない。
それが玄試の合否の基準であり、特徴でもある。
過去には暗殺を専門とする男を入れ、仲間内で殺し合いがあったこともあった。
軍部の人間に復讐の為に志願する者もいた。
故に将軍としては雇いたくないと思う者を落とす役目もしなくてはならない。
なぜなら一番強い者が将軍の座に就くという決まりだからだ。
強さだけが求められる庁故に階級も実力で決められている。
ゴロツキや盗賊紛いの連中も不合格にしたかったが、将軍として一番落としたいと思ったのがこの仮面の青年だった。
受付会場には行かなかったが、そこにいた部下達は動きが尋常ではなかったと報告して来た。
華奢で背も低い子供にしか見えないが、尋常ではない動きとは一体どんなものか。
その上、顔上半分を覆う仮面を付けている理由にも興味がある。
仮面を剥いでやる。
将軍、コンは密かにそう意気込んでいた。
「さっさとお前の試験だけ終わらせるか」
気になることは先延ばしにできない性格のコンは他の者を演習場の隅へ移動させ、仮面の青年と対峙した。
小柄で華奢な青年と大柄な将軍、体格差は歴然で明らかに青年が不利に見える。
悠然と佇む将軍に対し、戦意を失くしたかのように身構えもせず佇む青年に周囲は戦わずして青年が降伏する姿を想像した。
が、その一方で貴族の息子の為にわざと将軍が負ける姿も想像していた。
どちらに転ぶか周囲が固唾を飲んで見守る中、試合開始の銅鑼が鳴った。
先に動いたのは将軍だった。
真っ直ぐに青年に向かって突進して行く。
が、それを青年は片足を軸に反転して躱すと同時に遠心力をつけて将軍の膝裏を蹴った。
将軍が体勢を崩した瞬間、首筋に手刀で強打を加え地面に倒す。
青年にとって強打であっても鍛え上げた筋肉質な将軍にとっては致命傷にはならないように見えた。
が、地面に倒れ伏した将軍が起き上がることはなかった。
一瞬の出来事に演習場は静まり返り、時が止まったかのように誰一人身動きする者はいなかった。
「倒したので将軍交代ってことですよね?」
青年のその言葉で我に返った将軍の部下の一人が「あ、ああ。い、いや……」と動揺を見せると、周囲もざわめき始めた。
「おい、貴族の坊ちゃん」
そんな中、柄の悪い男が不敵な笑みを浮かべて一歩前に出て来た。
「こんな芝居で将軍の座に就かれちゃ誰も納得しねぇぞ」
「貴族の坊ちゃんではありませんが?」
「じゃあ仮面を外せよ。ここにゃ傷を気にする奴は一人もいねぇ」
外してみろよ、と男は再度挑発するように繰り返したが、青年は黙したまま男を見据えた。
そんな様子を見て男は「やっぱりな」と笑った。
「外せねぇってンなら俺と勝負しろ。勝てたら認めてやらぁ。どうする? 外すか俺にやられるか」
笑みを浮かべる男に青年は「どちらも嫌です」と答えた瞬間、男の前まで一瞬で駆け寄り男が反応するよりも速く男を地面に倒していた。
「これで認めて戴けますか?」
青年はそう言って将軍の部下を見据えた。
その場にいた全員がなぜ男が倒れたのか理解できなかった。
移動速度もさることながら男を倒す技も素早すぎて何が起こったのか分からなかったのだ。
ただ一人、片隅からその様子を満足そうに見ていた青年を除いて。
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