第3話 残夜の決意
が、病室の前で
町の噂が病床のリレンの耳にも入ったのだ。
ただでさえ心臓が弱いのに夫と息子を失った衝撃で悪化してしまったのだろう。
一年前、ライが使用人として雇われた時から既に長くはないと言われていた。
戸には立入禁止の札が下がっており、中の様子は分からなかった。
ライは何と声を掛けるべきか分からず、ただスウォルの隣に腰を下ろして、腕の中の骨壺を見つめた。
「ライ……母様が……」
ライの気配に泣き腫らした顔を上げたスウォルは不安そうな声を出した。
そしてその視線がライの腕の中で止まる。
反射的にライは隠すように壺を抱きしめる。
「それはなぁに?」
震える声にライは言葉に詰まった。
まだ六歳の子供だが、その表情から腕の中の物が何か察しがついているのは分かった。
それでも問うのは自分の推測が間違っていると否定して貰いたいからだ。
目の前で母を失いかけている状況で既に父と兄が死んでいるとは伝えられない。
あまりにも残酷過ぎる事実にライは押し黙った。
だが、伝えない訳にもいかない。
それを伝えたくなった。
少しでも希望を与えたかったからだ。
だが、ライは開きかけた口を一度閉ざし、そして腕の中にあるのが父と兄の骨壺であることを伝えた。
ただ、どう亡くなったかは言わなかった。
いずれ耳に入ることだが、今はそれだけで充分だった。
スウォルもそれ以上は聞こうとせず、ただ声を押し殺して泣き始めた。
貴族の令嬢として生まれたスウォルは幼い頃から礼儀作法を厳しく
人前で泣き喚いたり口を開けて笑うことは恥ずべきことだと教えられて来た。
小さな子供がこんな時でさえ声を上げて泣けない姿にライは胸を締め付けられた。
それはどんな
まだ六歳の幼い少女の身に起きた悲劇は即日王の耳にまで届き、翌日執り行われた両親と兄の葬儀は異例の盛大なものとなった。
スウォルを不憫に思ってのことではない。
一人残されたスウォルは父親の上官が引き取ると申し出たが、それを断って使用人のライと共に山寺で静かに暮らすことを希望した。
屋敷は全て焼失し、残ったのは僅かな荷物のみだったので、片付ける荷物も持って行く荷物もほとんど無く、葬儀の翌日にはすぐに山寺へ向かう旅路に就いた。
大人の足でも半月かかる険しい山道を行く道程だ。
それをスウォルに合わせて
貴族の娘として生まれ、しかもまだ六歳という子供にとって、馬にも乗らずに歩き続ける長旅も野宿も初めての経験だった。
故に昼間は駄々を捏ねることも泣き言も言わずに黙々と歩いていたスウォルも夜になるとあの夜のことが思い出されて不安になるようで、突然泣き出すこともあった。
「ライ……自殺って父様が自ら死を選んだってこと?」
雨に降られ、見つけた岩穴で一夜を過ごすことになった夜。
夜半に目を覚ましたスウォルがライにそう訊いた。
立て続けに家族を失ったスウォルは泣いてばかりいたが、その耳には周囲の大人達の噂話がちゃんと聞こえていた。
なぜ自分の家族が死んだのか。
ライはきちんとスウォルに説明していなかった。
相手が子供だからと上手く説明できない自分への言い訳にしていた。
スウォルはまだ六歳の子供だが、それでも自分の身に何が起こっているのか、必死で理解しようとしているのだ。
悲しむばかりではなく、一人残された者として生きていく為に必死に前を向こうとしているのだ。
その為に知らない大人の噂話ではなく、一番身近にいる大人のライに真実を求めている。
涙を拭って向けられた真っ直ぐな瞳にライはスウォルを子供としてではなく、一人の人間として扱うことにした。
「スウォル様、ジン様はどんなに辛いことがあろうと愛するご家族を置いて死を選ぶような方ではありません」
「じゃあなぜ父様は死んでしまったの?」
「ジン様は……正しいことをしようとしてそれを良しとしない者に殺されたのです」
「じゃあなぜ皆は自殺だって言ってるの?」
「殺したことがバレないように自殺だと偽装したのです」
「ギソウって何?」
「自殺に見せかけて殺された、と言えば解りますか?」
「なんとなく……殺した人が嘘を吐いたってことでしょ?」
「そうです」
「なんでライは嘘だって分かったの?」
聡明な鋭い問いにライはやはり子供扱いしては駄目だと改めて思った。
「……殺されたところを見たからです」
「見たのになんで嘘だって言わないの?」
「私は一介の使用人です。私の言葉は信じて貰えません」
「なら私が代わりに言うわ」
「スウォル様もまだ子供ですから信じて貰えません」
「でも、信じて貰えなくても言わなきゃ。信じてくれる人に、信じて貰える人に」
「そうですね。私のような者でも信じて貰う方法が一つだけあります」
「どんな方法?」
「誰が見ても嘘だと分かる証拠を突き付けることです。そうすれば皆に信じて貰えます。証拠を集める為にはまずは誰が殺したのか調べなくてはなりません。私が見た人物は嘘を吐いている者に雇われただけの者です。誰が殺せと命じたのか、なぜそんな命令を出したのか……」
「じゃあ私も調べる。何をしたらいいの?」
「今は山寺に無事辿り着くことだけをお考え下さい。ある者に調べて貰っていますから」
「ある者って?」
「雨もそろそろ上がるはずです。足止めされた分、今日はたくさん歩きますから、あともう少し、夜が完全に明けるまで体を休めて備えてください」
ライがそう言って寝かしつけようとすると、スウォルはそれまでの不安そうな瞳ではなく、揺るぎない真っ直ぐな瞳を向けた。
「ライ。私、強くなりたい」
「ここまで私の手をほとんど借りることなく歩いて来られたのですから、充分御強くなられたと思いますが?」
「違う。そうじゃなくて、父様や兄様のように武術を習いたいの。ライは父様にも教えていたでしょう? だからもう少し傍にいて私にも教えて欲しいの」
突然の申し出にライは困惑して眉を
「なぜ武術を習いたいのですか?」
「これからは一人きりだもの。父様が殺されたのなら兄様もただの火事じゃないのでしょう? だから強くなりたいの」
その言葉にライはハッとさせられた。
ジンの死の話しかしていなかったが、そこからシンの死も結び付けて考えている。
スウォルのその聡明さにジンは息を飲んだ。
その上、使用人のライはジンに雇われた身だ。
ジン亡き今、スウォルに仕えることはない。
故に山寺までの道中が最後の仕事だとスウォルは理解しているのだ。
そして、まだ六歳の子供が一人で生きていく覚悟を既にしていたのだ、と。
一体いつそんな覚悟をしたのか。
この道中、ずっとそんなことを小さな体で一人考えながら歩いていたのかと思うと胸が痛んだ。
そして、そんなスウォルにジンの面影を見つけ、ライもまた改めて決心した。
「スウォル様。あなたに武術を教えることはできません」
「ライッ」
「身を守る方法は何も戦うだけではありません。逃げること、身を隠すこともまた身を守る方法の一つです。その為の方法ならお教え致します。代わりに今後も私がスウォル様をお守り致します」
「父様のお金は全て山寺に預けてしまって私のお金は全くないの」
「承知しております。私も行く当てがございません。ですからお守りするというのを口実に一緒にいてもよろしいですか?」
ライのその言葉でスウォルの顔が安堵するように綻び、そしてその目が潤み始めた。
「さ、少しでも眠って体を休めてください」
そう言いながら頭を撫でるとスウォルは泣きながらも頷いて横になった。
そんなスウォルの寝顔を見ながら、一人で生きていく決意をしながらも、やはりまだ幼い子供なのだとライは思った。
そして、行先を山寺から別の場所へと変えることにした。
その数カ月後。
都にスウォルの訃報が届くことになり、さらなる悲劇として国中に噂が広まることとなる。
が、やがてその噂も忘れられ、十年の歳月が流れた頃。
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