第2話 常闇の訪れ

 一夜明け、香月楼で青庁の官吏が自殺したという噂とその官吏の屋敷が火事になり、焼け跡から息子の遺体が出たという話で早朝から町は騒がしかった。


 ライは二人の遺体を引き取りに近衛部このえぶの詰所を訪れた。

 けれどそこに遺体は無く、骨壺が二つ用意されていた。


 近衛部は玄庁げんちょう所属の町の警備と治安維持を担う部隊だ。

 町の揉め事の解決から罪人の裁判までも行うが、遺体の扱いは白庁びゃくちょう所属の王立学校、太白院たいはくいんの文学科に引き継がれる。

 検死に関しては文学科の師と学生が、生きている人間に対する医療活動は医司部の官吏が担当する。

 そのはずが近衛部が即日荼毘に付すのは妙だった。


「白庁で調べたりしないのですか?」

「父親は自殺、息子は火事による焼死だろ。殺しの可能性があれば急いで白庁へ送るんだが、どちらも違うだろ。だから手続きも簡略化してすぐに家族の元へ帰そうという話になったらしい」

「自殺に見せかけた殺しの可能性は? 火付けの可能性もあるはずです」

「ま、一度に二人も亡くして信じたくないだろうが、遺書も出たし、火付けの疑いはないと朱庁しゅちょうから報告を受けている」


 火消を担うのは朱庁の築司部つきしぶだ。

 火消の為の道具は町内に点在する共用の井戸端の倉庫に保管されているが、官吏は王宮に交代制で常駐している。

 王宮から屋敷に駆けつけるまでに時間を要した上、道具が一部壊されていたことをライは後で知った。

 何者かが意図的に道具に細工をしていたならば、その者は火事が起こることを知っていて築司部の活動を妨害したことになる。

 つまり、火の不始末などによるものではなく、火付けだったことは明らかだ。

 けれどライはそれを近衛兵に言わなかった。

 代わりに遺書の存在について問うた。


「遺書を見せて戴くことはできませんか?」

「使用人になんぞに見せられるか。ま、でも特別に内容を教えてやるよ。要約すると、妻がいる身で妓女に恋慕して袖にされたせいで自殺したってことと、それを妻に謝る内容だったらしいぞ。真面目そうな男ほどああいうところの女に溺れるんだろうな」

「旦那様はそんな方ではありません。筆跡を見ればその遺書が偽物と分かります。奥様をお連れすれば見せて戴けますか?」

 ライが捲くし立てると近衛兵は渋い表情で口籠った。

 問い詰めると手違いで一緒に荼毘に付してしまったと白状した。


「不思議ですね。遺書も遺体もすぐに燃えて消えるなんて」

 ライが毒づくと近衛兵は憮然とした態度で向き直った。

「確かに遺書が燃えたのはこちらの手落ちだが、息子のこんな惨い遺体を女子供に見せられるか? 奥方様は体が弱いって聞いたし、娘もまだ小さいんだろ? 葬儀が大変だろうからとの上からの心遣いだよ」

『心遣い』という言葉にライは眉をひそめた。

「不幸が重なると信じたくない気持ちも分かるが、受け入れて前に進まないと」

 近衛兵の言葉にライは拳を握り締めた。


 全てが誰かの筋書き通りに進んでいく。


 ジンは自殺ではない。

 何者かに殺された。

 それは確かだ。


 ライは悔しさに両手を握り締めた。

 ライはずっと暗闇の中を生きて来た。

 死ぬまでずっと暗闇を行くのだと思っていた。

 だが、そこに一条の光のように現れたのがジンだった。

 ジンには計り知れない程の恩義がある。

 何があっても何を犠牲にしてでもジンとその家族だけは守ると誓った。


 それなのにライはジンだけでなく、彼の息子までも救えなかった。

 その上、こんな残酷な事実を心臓の弱い奥様とまだ幼い少女に伝えることを思うと辛かった。


 ライは詰所からの帰り、貸本屋に寄った。

 書物が積まれた棚が入り組む狭い店の奥、その壁の一角を押すと回転扉に変わり、さらにその奥には地下へと降りる階段がある。

 地下には小さな薄暗い隠し部屋があり、そこで一人の男が待っていた。


 火が灯る蝋燭が一つ置かれた粗末な机と椅子が二脚あり、男は奥の椅子に腰かけ、ライはその向かいに座った。

 机の上に骨壺を二つ載せると男の表情は曇った。


「妓楼で会えなくて悪かったな」


 昨夜、ライが妓楼で会おうとしていたのはこの男で、名をカイという。

 表向きにはこの国で一番大きな商団の一員に過ぎないが、裏では情報屋として有名だ。

 だが、その顔を知るのはごく一部の限られた者だけだ。

 ライも彼の顔を知る数少ない一人で、ジンを殺した人間とシンを攫った者の行方を尋ねる為にここに来た。

 夜は香月楼かげつろうにいることが多く、日中はこの貸本屋にいることが多い。

 それが昨夜は妓楼にいなかった。

 屋敷が火事になっているのを見、シンの行方を知る為に再度妓楼へ走ったライだったが、会えなかったのだ。


「何処にいた?」

「妓楼の外」

 その返答で答えたくないと知り、ライはカイを睨みつけた。

「……何を知りたいか分かってるだろ。言え」

「見返りは?」

「金以外なら何でもやる」

「何でもって言ったな。その言葉、忘れるなよ?」

「ああ」

「じゃ、ひとまずツケな。お前のご主人様を殺したのは黄庁おうちょう吏司部りしぶが使う刺客だ。が、息子を連れ去ったのは別だ」

「それは分かってる」

「黄庁の奴はお前の他にも狙ってる奴がいる。それが息子を連れ去った奴だ。そいつとは利害関係にある」

 その言葉にライは男を睨みつけた。


「幼い子供を焼き殺すような奴を匿うのか?」

「あの遺体は偽物だ。既に病死した子だ」

「じゃ、ここに入ってるのは別人の骨ってことか?」

「ああ。だから息子は生きてる。だが、表向きには死んでいる方が今はいい。だから家族には知らせるな。そっちに関して言えるのはそこまでだ。ああ、あと無事だし、身の安全は保障できる」

「その言葉を信じろと? 会わせない理由は?」

「無事とは言ったが生きてるって意味だ。頭に怪我しててまだ目を覚ましていない」


 カイの言葉でライは倒れていたシンの様子を思い出す。

 頭から血を流していた。

 暗がりに少し離れた場所から一瞬見ただけだ。

 傷の程度は分からない。


「腕の良い医者に診せたから命に別状はないが、今はまだ動かせる状態でもないし、身の安全の為に少し離れた場所に匿ってる。だから怪我が治るまでは会わせられない」

「黒幕が片付けば安全だろ?」

「事はそう簡単じゃない。そいつを殺す前にいろいろと明かさなきゃならないことがある。そいつは過去にも今回のような事件を起こしてて、息子を攫った奴等はその事件の関係者だ」

「奴等? 複数か」

「奴等は三年かけて組織的なものを作った。黄庁は簡単に調べられないからな。怪しい奴はいるが確証がない」

「連れ去って拷問でもすれば吐くだろ。それ以前にお前に調べられない場所があるのか?」

 ライが皮肉るとカイは笑みを浮かべた。


「僕が持ってる情報網は王宮の外にあるんでね。中はまだ開拓中なんだ。特に黄庁と青庁は攻略が難しくて」

「黄庁に入るには確か紹介と賄賂だったな」

「その前に貴族しか試験を受けられないからな。貴族の戸籍を偽るのは難しいし、偽ったところで紹介して貰うのも無理だ。互いの知り尽くした親族のみで構成されているからな。知らない顔が入ればすぐにバレる。青庁は貴族しか受けられないのは同じだが、最難関の試験と各庁の長官による面接があるからな。潜り込むのもツテを作るのも簡単にはいかなくてね」

 カイの言葉にライはイラついた様子を見せ、席を立った。

「俺は気が短い。長期戦は嫌いだ」

「殺すだけなら短期決戦でいける。だけどな、殺せばそいつの命と一緒に闇に葬られる真実ってものがある」

「真実なんかより生きてる人間の方が大事だろうが」

「生きてる人間の為に真実が必要なんだよ。例えば、お前のご主人様が持ってた書簡の中身、とか」

 カイのその言葉にライは眉をひそめた。


「殺された理由は前回も今回もだよ。何が書かれていたか、お前は知ってるか?」

「……黄庁の不正の告発文だろ」

「不正の内容は? 書簡は今何処にある?」

 カイの問いにライは答えられなかった。

 自害した刺客は持っていなかった。

 遺体と一緒に燃えたと思いたいが、シンを連れ去った男が書簡も持ち去った可能性はある。 

 そもそもなぜジンが妓楼なんかに行ったのか。

 そもそも書簡を持って出たのか。

 屋敷にあったなら燃えている。

 太白院か太白村の何処かに隠した可能性もある。


「お前は書簡の所在と内容を知ってるのか?」

「所在は知ってるが内容は分からない。暗号で書かれていたからな」

 ということはジンは書簡を持って妓楼へ行ったことになる。

 ならば。

「誰に書簡を託すつもりだったか、それも知ってるのか? まさかお前か?」

 ライの問いにカイはニヤリと笑んだ。

「僕は情報屋だよ? これ以上の情報提供はツケを払ってからだな」

「だから金以外でなら何でも払ってやる」

「それなら……僕の死神になってって言ったら?」

 見上げて来るカイの口許には不敵な笑みが浮かんでいた。


「俺の主人は後にも先にも一人だけだ」

 ライは不快な表情で言い放ち、カイに背を向け隠し部屋を出て行った。


「一匹狼もすっかり飼い犬になったなぁ。しかも忠犬……」

 言いかけてカイは何かを思いついたようにニヤリと笑んで宙を仰いだ。

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