第5話 血の海
軍部を主体とし、諜報活動を行う
スウォルが配属されたのは近衛部だった。
しかも近衛部には二種あり、都の治安維持を務める部隊と地方の治安維持を務める部隊だ。
スウォルが配属されたのは都の治安維持を務める部隊で、かろうじて城下に留まれたが基本的に城内への出入りはない。
都の要所に点在する詰所に交代で勤務し、詰所近くに長屋のような仮住まいがある。
将軍の座は約束されたが、上に立つ者としてまずは玄庁、宮廷内、ひいては国が今どのような状況に置かれているかを把握しなければならない。
それ故、ひとまず近衛部に部隊長付として配属されたのだった。
「凄かったんだぜ。大人と子供くらいの体格差があるのによぉ、それが瞬殺。きっとあの場にいた奴等、何が起きたのか分かってなかったぜ。あいつの動きを理解できたのは多分俺だけだったな。将軍も絶対分かってなかったと思う」
得意気にこう語るのは今回の
あの会場でスウォルの勝利を満足そうに見ていた青年である。
この国で一番大きな商団の頭領が住まう屋敷内。
その一室で小さな円卓を囲むのはレン、この屋敷の主の息子であるカイ、そしてライの三人。
レンが玄試の様子を報告する為、内密に集っている。
「確かに将軍は『俺に勝てたら合格と同時に将軍の座もやる』って言ったんだぜ? なのにどうよ? 納得いかねぇだろ?」
レンは不服そうに顔を
「言いたいことは分かるけど、組織としては真っ当な判断だよ」
カイの返答にレンは「どこが?」とさらに不服そうにする。
「だって現状を全く理解してない人が皆の上に立って指揮を執るのはとても危険だろ。幾ら力が強くてもどこに罠が仕掛けられてるか分からない場所に闇雲に突っ込むのと、弱くても罠の位置を正確に知ってる人に着いて行くならどっちを選ぶ?」
カイの言葉にレンは「そりゃあ……」と言って押し黙った。
「むしろ最短で将軍への道が
ライがそう付け加えると「すげぇ前向きですね」とレンが皮肉を言う。
「後ろ向きに歩くのは難しいだろ」
ライがそう切り返すとレンは「ああ言えばこう言う」と小声で呟いて「じゃ、俺はそろそろ戻らないといけないんで」と窓から出て行った。
「また窓から出て行く」
とカイが困った声を出しながら窓を閉めに行くとライは軽く溜息を吐いた。
「あんな子猿しかお前のところにはいないのか」
「確かにお前が不安がるのも仕方ないけど、あれはあれで結構使える奴なんだ」
「動きはいいが、頭の回転も速くないとスウォルの護衛は無理だ」
「護衛? 僕はそんなつもりじゃないけど?」
「何?」
「あの子はお前が仕込んだんだ。護衛がいるような子じゃないだろ。秘密がバレないようにってのもあるけど、一番の理由は内部を探る為だろ?」
「だが、男しかいない場所だぞ?」
「なんだ、父親の心境?」
カイが
そんなライの様子にニヤつきながら、カイは話を続ける。
「レンは確かに馬鹿だが記憶力が異常に優れてるんだ。一度見たものは何でも忘れない。書物の内容は勿論、複雑な模様でも人の動きでもね。レンはお前の動きを見せてやればすぐに同じことをやれる」
「記憶できることと動きを真似ることは別だろ」
「それだけ身体能力も優れてるってことだよ。でもお前の動きを見せることはしないけどね」
「なんで?」
「お前の素性をスウォルに教えないのと同じだ。レンにも教えたくない。動きを見せれば馬鹿なレンでも気づく。だからレンの前で絶対に殺しの技は見せるな。前にもそう約束したろ?」
「ああ。理由は聞いてなかったがな」
「レンが知ればスウォルも知ることになる。レンは嘘が吐けない。馬鹿正直で顔に出やすい。だから気をつけろ」
カイの忠告に「分かった」と答えたライの表情は暗かった。
そんな様子にカイも軽く溜息を吐く。
「なんだよ。娘を送り出す父親の心境にでもなってるのか? それとも初めて離れて暮らすのが寂しいのか? ん?」
「……本人が望んだこととはいえ、本当にこれで良かったのかと思ってな」
てっきり先程のように怒り出すかと思ったのに当てが外れてカイは困惑した。
眉間に皺を寄せて思い悩むライの様子にカイは話題を変えることにした。
「スウォルの初任務は西の森の盗賊狩りだ」
「西の? 奴等はただの盗賊じゃない。殺しを楽しむような連中だ」
「それでもあの子には朝飯前だろ。近々命令が下るはずだけど、レンも同行できると思うし」
「先回りして数を減らしておくか」
「そんなことしたら手柄も減るだろ」
「あの子はまだ白なんだ」
「白? 人を殺したことがないのか?」
「獣すら
「そんなんで将軍はおろか軍人なんかできるかよ。将軍の座はレンが
「あの子には殺意がないんだ。激しい怒りを抱いても殺意がない。普通に生きるなら良いことかもしれないが、剣を握る者としては致命的だ」
「なんで今頃っ……」
カイはライを睨みつける。
「俺達は仲間じゃない。だから信頼もない。お前が俺達を利用して何か企ててるのは知ってる。お互い利用し合ってるだけの関係だろ」
「それでもこっちは仲間の素性も教えた。ただの商団じゃないってのも教えた」
苛立つカイをライは冷静に見据える。
「お前は危険な橋は渡らない。危険を冒しているように見えても危険を排除した上でやってることだ」
ライのその言葉にカイはスッと表情を変え、つまらなさそうにした。
「なぁんだ。意外と賢いんだ」
その言葉でそれまでの態度が芝居だったと気づき、今度はライが不機嫌になった。
その三日後の早朝。
カイの言った通りスウォルに命令が下った。
だが、西の森へ行けというだけで盗賊の話は伏せられていた。
近衛部への指令は
吏司部は主に宮廷の人事を司り、役所のような役割も果たす。
近衛部は詰所に民から直接揉め事を持ち込まれ、解決に当たるのが通常の任務だが、一箇所の詰所だけでは解決できないような案件は書状にして吏司部へ届けられ、軍部に近衛部から人選を行って解決に当たる部隊を組むよう指示が出される。
しかし、今回は軍部を通さず直接吏司部から伝令が来た。
しかも部隊として集まって向かうのではなく、道中で合流せよとのことだった。
何のために西へ向かうのか、何をするのか問い
ただレンはカイから聞いていたのもあるが、玄試を受ける以前は行商人を束ねる商団で働いていたのもあって、西の森で盗賊が
故にその討伐が目的だと察しはついていたが、西から離れた都ではまだ噂として一部の間で囁かれている程度だ。
他の近衛部の役人は何も知らずに西へと向かうことになる。
「西の森に出る盗賊はただの盗人じゃない。殺しを楽しむ人達だってライが言ってた。軍部の人間でも対処が難しい相手だって。そんな人達を相手にしたことがない近衛部の人達じゃ、何人いたって殺される。しかも何も知らされずに向かうんだから、皆殺しにされる可能性だってある。だからレン、私達が先回りしないと」
スウォルはそう言ってすぐに馬に飛び乗り、レンも慌ててその後を追った。
一方、高級妓楼『
「おかしな命令だと思って調べてみたの」
チュンユはそう言いながらヨナに紙片を差し出した。
「シンって言ったかしら? 例の仮面の男。よくある名前だけど顔に傷のある男はいないそうよ。となると顔を隠す理由が気になるわね。
「……ただの官吏が軍部に指令を出せるほど賄賂が横行してるのか」
受け取った紙片を見て、ヨナの顔は歪んだ。
その目前にチュンユが掌を差し出すとヨナは舌打ちをした。
「舌打ちしたから二倍ね」
差し出された掌にギルが黙って金を置く。
「どこにでも目と耳があることを忘れないで」
チュンユは心配そうにヨナを見つめ、次いで傍らに置いていた小箱を差し出した。
「これは?」
「よく効く傷薬よ。それと着替えは隣室に、早馬は裏門に用意させたわ。西の森へ行くのでしょう?」
「流石だ……流石ですわね」
「今のは聞かなかったことにしてあげるわ」
苦笑するチュンユにヨナは礼を言って部屋を出た。
隣室で近衛部の装束に着替え、一緒に用意されていた剣を手にスウォル達から遅れること一時間、彼らもまた西の森へと入って行った。
その数時間後。
後から森に入った近衛部の者達が見たのは血溜まりに沈む盗賊達の姿だった。
そして、その中心には返り血を浴びて佇む仮面の青年の姿に全員が声を失くした。
「お、鬼だ……」
静寂を破ったのは誰かが発した震える声だった。
近衛部の装束は黒衣に蛇を
その白い刺繍が血で
黒地に赤い刺繍は軍部の装束だ。
故に既に軍部の衣装を纏っているかに誰もが錯覚した。
そして将軍の座が内定していることは周知の事実でもある。
「鬼将軍……」
誰かがそう呟いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます