第165話 猫耳⑤

「ただいま……」

「お兄ちゃんおかえり〜。猫カフェ、どうだった?」

「……何の成果も、得られませんでした‼︎」


 今の俺をはたから見ると、きっと誰でもしょんぼりしていることがわかるに違いない。そのくらい、俺は落ち込んでいた。

 結局、あれから猫が俺に寄ってくることはなかった。ほとんどの猫は遠巻きに眺めているだけで、俺が近づくと逃げていく。たまに近づいてくる猫もいるが、お菓子を食べるとすぐに逃げていく。触ろうとすると、逃げていく。猫カフェに滞在中、俺はまともに猫に触れ合うことができなかった。


 ここまでやってもダメだということは、やはりこの体がダメなのだろう。俺の体はどんな猫にも嫌われるようだ。なんとなく察してはいたけど、いざ現実を突きつけられると気分が落ち込む。はぁ、早く人間になりたい!


「そっか……それは残念だね」

「うん……みやび、あずさのことはお前に任せた」


 ネガティブな気持ちのまま、俺はソファーに顔から突っ込む。中途半端に腰を突き上げた姿勢のまま、何もやる気が起きず動かないままでいると、そうそう、とみやびが声をかけてきた。


「そういえば、耳の修理の準備ができたよ」

「……ホントに?」

「うん、本当にすぐに修理できるから、今日の午後からでも研究所に行こうよ」


 行く行く! と即答したいところだが……あいにく事情があるのだ。


「うーん……本当は直してもらいたいところなんだけど、ちょっと待ってくれないか?」

「え、どうして?」

「実は……」


 俺はみやびに、バイト先で来週の月曜日から『キャットフェア』が開催されること、その時に猫耳と猫の尻尾をつけて接客することを話した。


「だから、別に耳を直してもいいんだけど、このままでいた方が都合がいいかな、って」

「そうだったんだ。しかもそれ、私にとっても、とっても都合がいいじゃん」

「……どういうこと?」


 みやびが何かを企んでいるような気がして、俺は聞き返した。

 すると、みやびは思いもよらない提案をしてきた。


「お兄ちゃん、猫の尻尾のパーツ、つけてみない?」

「尻尾のパーツ……? そんなものがあるのか?」


 猫耳だけでなく、尻尾まであるとは……。

 ここまで用意周到なみやびに、俺は、自分の中のある疑念が確信に変わっていくのを感じていた。


「さてはみやび、もともと俺に猫のコスプレをさせる気だっただろ」

「正解! 察しがいいね、お兄ちゃん!」

「はぁ……まったく……俺は着せ替え人形じゃないんだぞ」

「えーいいじゃん! お兄ちゃんみたいな美少女が、猫のコスプレをしている姿からしか得られない栄養があるんだよ!」

「どんな栄養だよそれ」


 栄養というよりどちらかというと目の保養な気がするが。


「で、お兄ちゃん、尻尾つけてくれるんだよね? ね?」

「……学校生活に支障は出ないだろうな」


 俺が尻尾で一番懸念しているのは、普段の生活に影響が出てしまうことだ。猫耳とは違って、尻尾は明らかにごまかしが効かない。尻尾が飛び出ている人間がそこら辺をうろうろしていたら、間違いなく奇異の目で見られるだろう。


「大丈夫だいじょーぶ! 扱い方もしっかり教えるから!」

「……服の下とかに隠せる?」

「隠せるよ! それならいいでしょ?」

「……わかったよ」

「よっし! それじゃあ早速研究所へGO!」


 というわけで、俺はみやびに起こされると、ルンルンなみやびに連れられて研究所へ猫の尻尾をつけに向かうのだった。




 ※




「ただいま」

「おかえりデス、遅かったデスね」


 研究所で改造を終えて、家に到着したのはすっかり辺りが暗くなってからだった。玄関のドアを開けると、今日は一日中バレー部の休日練習に参加していたサーシャが出迎えてくれる。


「どこに行ってたデスか?」

「みやびと一緒に研究所だよ」


 俺は靴を脱いで上がり、廊下を歩く。

 そして、洗面所に向かおうとしてサーシャの隣を通り過ぎたとき、ムギュ、と尻尾を掴まれた。


「ひゃあぁぁああぁあああ♡」


 全身が縮こまるような思いがして、俺は小さく飛び上がった。同時に恐ろしくピンク色の声も出る。

 俺がばっと振り向くと、尻尾がサーシャの手から離れた。


「な、何するんだよ、サーシャ⁉︎」

「そこに尻尾があったからデスが……」

「いきなり掴まないでよ! ビックリするでしょ⁉︎」

「ご、ごめんデス……」

「まったく……」


 俺はため息をつく。サーシャはなおも俺の尻尾に興味津々なようで、俺の横でしゃがんで尻尾をじっくり見ている。


「これは猫の尻尾デスか?」

「そうだよ」

「コスプレグッズじゃないデスよね?」

「実際に生えてるよ」


 俺は背中側のシャツをまくり、スカートをちょっと下ろす。サーシャには、俺の腰の下部、お尻の直上あたりから伸びている、俺の髪と同じ色の尻尾が見えていることだろう。


「もしかして、これをみやびにつけてもらいに行ってたデスか?」

「そういうこと」

「ますますほまれが猫になっていくデスね……」


 まったく想定外だ。きっと一週間前の俺はこんなことになるなんて微塵も思っていなかっただろう。


「ちなみに、これ動かせるデスか?」

「うん。こんなふうに」


 俺は尻尾を動かして見せる。そして、サーシャの人差し指に、尻尾の先端をちょんちょんと当てた。さらに、尻尾をくねくねさせたり、ハートの形を作ったりする。


「スゴいデスね!」


 サーシャは感嘆の声をあげた。


「でも、絶対に触らないでね」

「わかったデス」


 尻尾は自由自在に動かせるだけではない。頭の猫耳と同じように感覚も通じている。

 ただ、もともと人間には尻尾は存在していない。そのため、尻尾の感覚は本来人間には存在しない。そんな本来存在しない感覚を、無理やり体と繋げているのだ。どんな感覚になるのだろう、と改造前は少しドキドキしていたのだが……。


 先ほどサーシャに尻尾を握られたことでわかった。

 これ、セクハラをされたときと同じ感覚だ。記憶の中で一番近い感覚が、檜山におっぱいを揉みしだかれるときのそれだった。


 つまり、尻尾は性感帯みたいなものになっていたのだった。


「ほまれは、その尻尾をつけたまま学校に行くデスか? それとも、着脱式デスか?」

「いいや、着脱式じゃないよ。でも、こうやってスカートの中にしまえるから、バレないと思う」


 俺は尻尾をくるくると丸めると、スカートの中に引っ込める。研究所の中でも確かめたが、見た目に不自然なところはない。うまくやればバレずに過ごせるだろう。体育の授業も、半袖短パンではなくもうジャージになっているので長ズボンでうまく隠せるはずだ。


 それに、尻尾は触られるとマズいところなので、無闇に触られないためにも、隠しておく必要がある。


「そういえばほまれ」

「どうしたの?」

「明後日から『キャットフェア』が始まるデスよね?」

「そうだけど……なんで知ってるの?」

「ひなたから聞いたデス。それで、ワタシも行っていいデスか?」

「うん、客としてくる分なら、ご自由にどうぞ」

「了解デス! 放課後、月曜日に行くので首を洗って待つデスよ!」


 微妙に意味のズレている言葉にちょっと笑いながら、俺は明後日のバイトと、そこに彼女が来るのが楽しみになるのだった。

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