第164話 猫耳④
「猫カフェ?」
「そう、猫カフェ! 一緒に行かない?」
数日後、放課後になるなり俺は飯山に話しかけられた。
『猫カフェ』というジャンルの店があることは知っている。たくさんいる猫に、まったり癒されるカフェのことだろう? しかし、俺は今まで一度も行ったことがなかった。ましてや、猫カフェに行こう、と誘われるのも。
「……急にそんなこと言い出して、いったいどうしたの?」
「今度、ウチの店で『キャットフェア』やるでしょ? だけど、よくよく考えてみたら、わたし、猫のことあんまり知らないな〜って。だから、実際の猫の様子を観察して、参考にしよう! って思ったの」
「なるほどね」
つまり、『キャットフェア』の予習ということか。確かに、猫耳と猫の尻尾をつけて猫っぽく接客するのだから、元ネタである猫について深く理解しておくのは重要だろう。
「それで、ほまれちゃんも一緒に行かない?」
「わかった。行くよ」
「ホント⁉︎ やったー!」
詳しいことはメッセージアプリで、ということで、この日は解散した。
猫カフェに行かなくても、俺の家にはあずさというサンプルがいる。しかし、俺はこの体のせいか、あずさにはずっと避けられ続けているのだ。どのくらい避けられているかというと、俺の視界にいっさい映らないくらいには避けられている。だから、サンプルを参考にしたくてもできない状態なのだ。
その点、猫カフェならある程度のスペースにたくさんの猫が放たれている。しかも、猫たちは十分人間慣れしている個体ばかりだ。だから、俺が入っても、あずさのように避けられる可能性というのは低いのではないだろうか。あるいは、避ける個体がいるかもしれないが、友好的な態度を示す猫もいるかもしれない。だから、俺は飯山と猫カフェに行くことを承諾したのだ。
もちろん、不安もある。やっぱり、猫には避けられるんじゃないか、と思ってしまう。しかし、もしかしたら俺を嫌わない猫がいるかもしれない。そんな一縷の望みが、俺を猫カフェへと駆り立てていた。
メッセージアプリでやり取りをして、俺たちは土曜日に秋葉原の猫カフェに行くことが決まった。
当日、俺は朝の支度を済ませるとそのまま朝の時間帯に家を出る。そして、昨日と同じように都心行きの電車に乗り込んだ。
学校へ向かうための乗り換えに使う駅を通過し、しばらく乗っていると途中の駅で飯山が乗ってきた。
「ほまれちゃ〜ん」
「飯山!」
彼女は俺の隣の席に腰掛けた。
「ところで、飯山は猫は飼ってないんだよね?」
「そうだよ〜、だから猫カフェに行くんだ〜。ほまれちゃんは?」
「いるよ。黒猫の雄で、名前はあずさっていうんだ」
「え、いるの⁉︎ じゃあ、今日はわざわざ付き合ってくれたんだ、ありがとう〜」
「いやいや、大したことじゃないって。それに、俺、家ではあずさに嫌われてるっぽいんだ」
「どういうこと?」
「ほら、前とは違ってこんな見た目になっちゃったからか、避けられるようになっちゃったんだよ」
「そっか……。それは大変だね……」
まったくだ。愛猫を可愛がれないのはかなりつらい!
そうこうしているうちに、俺たちは都心の終着駅に到着した。いつもならバイトに向かうためにこの駅で降りるのだが、今日はここで乗り換えてさらに都心へ向かう。
「飯山は、秋葉原に来たことはあるの?」
「あるよ〜。メイドカフェのメッカだからね、ビラ配りとかしたなぁ」
「なるほど」
そういえば、どうしてウチの店は秋葉原ではないのだろうか……。不思議だ。
「ほまれちゃんは来たことはあるの?」
「……いや、初めてかな」
よくサブカルの聖地と持て囃されているのは知っているが、実は来たことがない。俺はアニメも漫画も人より親しんでいる方だとは思うが、それに関する用事は自宅や学校近辺の店ですべて済ませられるので、わざわざここまで出てくる必要性を感じなかったからだ。
総武線の秋葉原駅に到着すると、俺たちは秋葉原電気街口から外に出る。
「ここが秋葉原か……」
休日だから、かなり人が多い。それに、予想以上に外国人の姿も目立つ。OTAKUが国際化していることの証左だろう。
なんだか、あーきはーばらー! と叫びたくなる衝動をグッとこらえて、俺は飯山の後ろをついていく。
「お願いしまーす!」
「クーポンでーす!」
中央通りに出ると、想像以上の人でごった返していた。そして、道の脇ではメイド服姿の可愛いお姉さんたちが、ティッシュやクーポンを配っていた。
こ、これがメイド喫茶の本場か……! レベルが高い!
「もらっていこーっと」
ちなみに、飯山はメイドさんたち一人一人からティッシュやクーポンを一枚ずつもれなく貰っていっていた。同業者のよしみというやつなのだろうか? 本場メイドの研究でもするのだろうか? それとも、店長さんに頼まれたのだろうか? いずれにせよ、飯山は俺よりもメイドカフェに真剣なようだ。
しばらく歩くと、飯山がある一つの細長いビルに入った。ビルの側面についている袖看板を見ると、確かに『猫カフェ 5F』の文字があった。
俺たちはエレベーターに乗り込む。ウオーンと低いモーター音が狭い箱の中に響く。
俺はなんだか少しネガティブな気持ちになってしまい、心の中の陰鬱な気持ちが口から漏れてしまった。
「大丈夫かな……」
「と、突然どうしたの?」
「いや……その、あずさに嫌われているから、猫カフェでも猫に避けられないか心配で……」
「だーいじょーぶだよ! 猫にもいろんな子がいるって! あずさちゃんは、たまたま昔のほまれちゃんを知ってるから、今のほまれちゃんを避けちゃっているだけだよ! それに、猫カフェには猫が喜ぶようなものがいろいろ用意されているんだよ」
「そ、そうなんだ」
「ほまれちゃんと触れ合ってくれる猫ちゃんも、きっといるよ!」
チーンと音が鳴り、エレベーターのドアが開く。すると、もう目の前には猫カフェのドアがあった。
「いらっしゃいませ、二名様ですか?」
「はい!」
受付の人から俺たちは説明を受ける。
そして、料金とともに猫のお菓子を購入して、ついに猫カフェの中に入った。
「おお……!」
「わぁ……猫ちゃんがいっぱい!」
猫カフェの中は、主に二つのスペースに分かれていた。板張りの、ソファーがあちこちに置いてあるリビングのような部屋と、和室のような、漫画などが置いてあるスリッパを脱いで楽しむような部屋の二つだ。その両方にたくさんの猫がいた。
三毛猫、シャム、ペルシャ……ぱっと見て、様々な種類の猫がいるし、色も様々だ。ゴロゴロとくつろいでいる猫もいれば、毛繕いをしている猫もいるし、丸くなって眠っている猫もいれば、こちらにじっと視線を向けたまま動かない猫もいる。他のお客さんの遊び道具に反応して遊んでいる猫もいた。
「ま、とりあえずこれをつけよっと」
飯山が入り口付近の箱の中から取り出したのは、白い猫耳付きカチューシャだった。そして飯山はそれを頭につける。
「どうかな?」
「それ、前後逆じゃないか?」
「あれ、うっかりしてた」
今度こそ飯山は正しい向きにつける。
「似合ってるよ!」
「えへへ、ありがとう〜。ほまれちゃんも、これつけなよ!」
飯山が差し出してきたのは猫の白い尻尾。紐の部分を腰に巻き付けてセットするようだ。
俺たちは揃って尻尾をつける。そして、隣の箱に入っていた猫じゃらしを手に取ると、近くのソファに腰掛けた。
すると、早速猫たちが飯山の方に寄ってくる。その多くは興味津々な目で彼女を見ていた。
一匹のヘーゼル色の猫が、ふにゃ〜と鳴きながら飯山の膝の上に乗っかる。
「おー、よしよし……」
彼女はゆっくりその猫の背中を撫でる。猫はゴロゴロと気持ちよさそうに鳴くと、リラックスした様子でまとまった。
すると、次は別の白い猫が飯山に近づいてきた。彼女は先ほど買ったお菓子をゆっくり差し出すと、猫はそれを食べ始める。
「それそれ〜」
今度は三毛猫が彼女に近づいてきた。飯山は手に持った猫じゃらしを猫の前で揺らすと、途端に猫は戯れだした。ひっくり返って猫パンチを繰り出している。
他にも飯山の周りには続々と猫が集まってきていた。その姿は猫を従える女王のようだった。猫に好かれやすい体質なのだろうか? それとも飯山が纏うほんわかした雰囲気にあてられて猫たちが寄ってきているのだろうか? いずれにせよ、羨ましい限りだ。
「ほまれちゃんもやってみなよ〜」
「そ、そうだね!」
すっかり猫まみれになっている飯山に言われて、俺もチャレンジすることを決意する。飯山がそれだけ集められたのだから、俺だって一匹くらいは寄ってきてくれるはず!
俺は周りを見渡すが、近くの猫はだいたい飯山に取られてしまっていて、一匹もいない。
「ちょっと、向こうの方に行ってるね」
「うん、わかった〜」
俺は飯山から離れて、もう一つの部屋へ移動する。
そこにはどの人とも遊ばず、のんびりとしている猫がたくさんいた。俺がスリッパを脱いで上がると、猫は一斉に俺の方に視線を向ける。そのシンクロした動きに、俺はちょっとドキッとしてしまった。
大半からは、なんだコイツ? みたいな興味と不安の入り混じった視線が向けられる。しかし、少数ながら、さっさと逃げ出すハト派の猫や、ものすごい勢いで威嚇してくるタカ派の猫もいた。
俺は黙って部屋の中央に座ると、猫じゃらしをびょいんびょいんと動かす。
しかし、しばらく動かしても誰も寄ってこない。やっぱり俺は猫に嫌われている……。
その時、にゃーお、という声がした。見ると、一匹の黒猫がこちらに近づいてきていた。
こ、これは期待していいのか……? いいんだな……⁉︎
俺はドキドキしながら見守る。
黒猫はこちらに近づいてくると、俺の目の前で座り込んだ。そして何かを求めるかのようににゃー、と鳴いた。
もしかして、と思って俺は手に持っていた猫のおやつを差し出す。すると、黒猫はそれを食べ始める。
やったぞ! ついに、俺は餌付けに成功した! 一般的にはきっと些細なことだろうが、俺的にはとても大きなことだった。
これなら、次のステップに進めるかもしれない……!
そう思った俺は次のアクションを起こす。すなわち、食べるのに夢中になっている猫の背中を撫でようとそっと手を伸ばす。
そして、その背中に俺の指先が触れた次の瞬間だった。
「フシャー!」
猫はピョーンと飛び跳ねて、脱兎のごとく逃げていった。俺があげた食べ物はしっかりと持っていきながら。
「…………はぁ」
やっぱり、俺は猫に嫌われている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます