第166話 猫耳⑥

 月曜日、俺は猫の尻尾をつけたまま登校する。尻尾はスカートの中にうまくしまったままでいたので、誰にも見つかることも触られることもなく、俺は普段どおりに過ごしていた。


 昼休みになると、俺はみなとと一緒にオープンスペースに行き、一緒にお昼の時間を過ごす。

 みなとの足首の様子はよくなってきたようで、松葉杖はもう持ってきていなかった。ただ、まだギプスで固定しているようで、完治には時間がかかりそうだ。


 周りに人の気配はなく、まるでこの階が丸ごと二人だけのもののようにさえ思えてくる。うーんと伸びをしてくつろいでいた、そんな時だった。


「ほまれ、さっきから気になっていたんだけど……」

「なに、みなと?」

「後ろの茶色いそれは何?」


 パッと振り向くが、背後にみなとの言う茶色いそれは見当たらなかった。特に不審なものもなさそうだし……みなとが指したものがわからなかった。


「どれ?」

「今左に出ているそれよ」


 俺は再度振り返る。しかし、見当たらない。俺は前を向く。


「……?」

「ちょっとそのまま待ってなさい」


 すると、みなとが弁当箱の蓋を閉めて席を立った。そして俺の後ろに回り込む。


 次の瞬間、俺の尻尾がギュッと掴まれた。


「いゃああぁぁぁああぁあああ♡」


 あまりに突然の感覚に、俺は叫んで椅子から転げ落ちた。


「ほ、ほまれ……⁉︎」

「ああぁああ……♡ はーっ、はーっ……び、ビックリした……」

「ご、ごめんなさい」


 俺はみなとが差し出した手を取って立ち上がる。そしてパンパンと埃を払うと、どしんと着席した。


「その……ほまれ、その尻尾は……」

「あぁ……これね」


 俺はみなとに見せつけるように尻尾を振った。きちんとスカートの中に見えないよう収納していたはずだが……気が緩んでいたのか、見えてしまっていたらしい。

 見つかったのがこの場だったのが不幸中の幸いだ。教室の中でバレていたら騒ぎになっていたかもしれない。


 まあ、バレてしまったのなら仕方がない。俺はみなとに説明する。


「見てのとおり、尻尾だよ。一昨日、みやびにつけてもらったんだ」

「コスプレではないのね」

「そうだよ。猫耳と同じで、一応体の一部なんだ」

「どうして尻尾までつけているの? 耳は故障しているから仕方ないけど……」

「実は今日からバイト先で『キャットフェア』っていう、猫耳と猫の尻尾をつけて接客をする期間が始まるんだけど、それをみやびに話したら、『尻尾もつけようよ!』って言われて……」

「なるほどね」


 みなとは俺の向かいの席に戻る。

 そして、ちょっと顔を赤くすると、恥ずかしそうに聞いてきた。


「その、さっき私が尻尾を触ったとき、スゴい声をあげていたけど……やっぱり耳と同じ感じなのかしら……?」

「……耳よりもヤバい。おっぱい揉まれるのと同じ感じ」


 俺は自分の胸を両手で軽く持ち上げる。やはり、この無駄にデカい乳を揉まれるのと、尻尾を触られる感覚はあまり変わらなかった。


「ごめんなさい……」

「……変に触らなければいいよ」

「その……やっぱりダメよね、ほまれだけが嫌な思いをさせてしまうなんて」

「え? もういいよ、次からやめてくれれば」

「でも、現にあなたはセクハラされたのと同じだけの嫌な思いをしたじゃない……だから、私も同じだけの罰を受けるべきだと思うの」

「み、みなとさん……?」


 オイオイオイ、なんか話の雲行きが怪しくなってきたぞー? 普段のみなとならこんなこと言わないと思うのだが、いったいどうしたのだろうか? 熱でもあるのか?


「だから、その……」


 みなとはモジモジしながら言う。


「私の胸、好きに触っていいわよ」


 衝撃の一言。否応なしに俺の視線はみなとの胸に吸い付けられる。

 みなとの胸は俺よりは小さいけれど、それでもまあまあ大きい。それを好きに触っていい……だと?


 いやいや、触っていいわけないじゃないか! いくら本人が触っていいとはいえ、本人が嫌がることなのだからそういうのはよくない!


 みなとが無言で俺の隣に移動してきた。俺に密着するように座ると、体をこちらに寄せてくる。

 そして、俺の腕をとってそっと握る。当然、俺の腕は彼女の胸に当たる。むにゅんとした柔らかい感覚が伝わってきた。


 俺は自分の腕を見つめる。視線を少しでもあげればみなとの表情が視界に入るだろう。しかし、今ここで彼女の表情を確認すると、彼女の術中にはまってしまうような気がして、どうしてもできなかった。


「ほまれ……」


 みなとが俺の名前を呼ぶ。さっきとは違う、色っぽい声だ。

 もし俺が人間ならば、心臓はとうにバクバクと音を立てていただろう。その代わりに、俺の頭部に熱が蓄積していく。


 みなとはいったいどうしてしまったんだ? 彼女は俺にさえ、無闇に自分の体を触らせるような人物ではない。しかし、今はそれと真反対、自ら俺に体を触らせようとしてきている。

 絶対に何か裏があるはずだ。俺にはそうとしか思えなかった。しかし、何のために? どういう気持ちの変化で? 俺は彼女の真意を測りかねていた。


 しかし、俺の男としての野性は、確実に俺の行動に作用していた。やろうと思えば、いつでもできる。ちょっとでももう片方の手を動かしたら、すぐそこにたわわな果実に触れられる。


 静かな時間が流れる。俺はもはや、誰かでもいいからここを通ってくれないか、と願っていた。そうしないと、この行動は止められないような気がしていた。

 理性と野性が葛藤する。だが、時間が経てば経つほど、野性が理性をどんどん押し込んでいった。


 俺の手が伸びる。みなとの胸へ。呼吸が荒くなる。そして、俺の指先がついに触れようとしたそのとき。


 キーンコーンカーンコーンとチャイムが鳴った。


 その音で一気に理性を取り戻した俺は、バッとみなとの手を振り解くと、尻で長椅子を横滑りし、彼女から距離をとった。


「やっぱりダメだって! そんなことはできない!」

「…………そう」


 みなとはちょっと呆気に取られた表情を見せると、元の席に戻った。


 無言の時間が流れる。五分後に昼休みが終わるとはいえ、片付けをして教室に戻るまで無言なのは、なんだかとても気まずかった。


「あ、あのさ、みなと!」

「どうしたの?」

「もしよかったら……来てよ、メイド喫茶」

「いいの?」

「もちろん」

「そうね……予定が合えばいいのだけど」

「今日サーシャも来てくれるみたいだし」

「私も行くわ。今日」


 サーシャの名前を出した途端、みなとは即答した。やっぱり、みなとはサーシャに対抗意識を持っているようだ。


「じゃあ、楽しみに待ってるね」

「ええ。楽しみにしてて」


 みなともメイド喫茶に来てくれることになった。俺は改めて尻尾をスカートの中にしまうと、何事もなく授業を受けるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る