第126話 文化祭⑫

 午後二時、メイド喫茶から出ると、満足したサーシャは足早にシフトへ戻っていった。


 さて、俺は再びフリーになったわけだが……この状態はすぐに終わる。なぜならば。


「お待たせ、ほまれ」


 振り返ると、そこにはみなと。シフトが終わったので、今はメイド服ではなく制服姿だ。


 実は、文化祭の二日目の午後二時から、俺はみなとと一緒に文化祭を回る約束をしていたのだ。お互いのシフトや出演イベントの関係で、この時間しか一緒にいることができない。だからこそ、時間ギリギリまでめいいっぱい楽しみたいところだ。


「それじゃ、行こっか」

「ええ」


 俺たちは歩き始める。

 日曜日の午後、文化祭もあと残り四分の一しかない。それでも、校内は多くの人で賑わっていた。


 俺はみなとに、どこか行きたいところはない? と聞こうとして口を開いた。だが、その瞬間、彼女のお腹からぐ〜、と間抜けな音が鳴る。


 もしかして、お昼を食べていなかったのだろうか? 昼間、ずっとシフトに入っているようだったから、十分ありうる話だ。


 すると、みなとは恥ずかしかったのか、自分のお腹から音が鳴ったのをごまかすかのように、俺に早口で話しかけてくる。


「そ、そうだ。実は二時半から、校庭でこれが行われるのよ」


 そう言って、みなとは俺に一枚のビラを押し付けるように渡してくる。

 そのビラには、『辛い! 赤い! 熱い! 激辛ラーメン完食コンテスト 出場者募集中!』という文言と真っ赤な色をふんだんに使った、いかにも辛そうなイベントの告知が載っていた。どうやら近所のラーメン店の協力で開催されるらしい。優勝賞品は、ラーメン無料券三回分だ。


 ははぁ……。なるほど、わかったぞ。みなとはこれに出たかったから、昼食を抜いたか少なめにしたかで、わざとお腹を空かせていたのか。

 俺はものを食べることはできないが、チャレンジするみなとの姿を見て、お腹を満たすことにしよう。


 時刻を確認すると、二時十分。ビラには二時十五分までエントリー受付と書いてある。時間がない、急がなければ。


「わかった、じゃあ行こっか」

「ありがとう」


 俺たちは急いで校庭へ向かった。


 校庭に到着すると、すでにたくさんの人が集まっていた。臨時で校庭に建てられたテントの下にはパイプ椅子が並べられていて、多くの人が発泡スチロールの白いどんぶりに入ったラーメンを食べていた。


「む、無料で貰えるのかしら……」

「みなと! まずはエントリーしなきゃ!」

「そ、そうよね」


 ラーメンを振る舞っているところへ足を向けかけたみなとの腕を掴んで、俺は受付へ連れて行く。


 どうやらみなとが最後だったらしく、みなとに七番のゼッケンが手渡された後、受付は終了となった。ギリギリセーフ、危なかった。


「と、とりあえずラーメン、貰いに行っていいかしら……」

「ええ……これから食べるから、お腹を空けておいた方がいいんじゃないの?」

「辛さを確かめるためよ。辛さを知らないのにいきなり挑むのはよくないわ」


 それもそうか、と思っている隙に、みなとは我慢できなかったようで、ラーメンを貰いに走り出していた。そして、小さなどんぶりにラーメンを貰ってくると、近くの席に着いて早速食べ始める。


「……どう?」

「まあ、辛いことには辛いけど……これくらいなら平気よ。いくらでも食べられそうね」


 そう言うみなとの額には汗が滲んでいた。やっぱり辛いようだ。


「あれ、みなっちゃんじゃん〜」


 声のした方を見ると、檜山が近づいてきていた。そして、彼女の胸のところには大きく『5』の数字。みなとと同じくゼッケンを着ている。


「もしかして、檜山もコンテストに出るの?」

「あったりまえよぅ。あたしは辛いものが大好きなんだ」

「そうなんだ……」

「みなっちゃんは……どうせ、食欲なんじゃないのー?」

「……うるさいわね」


 図星だと確信した檜山は、ニヤリと笑う。


「へぇー、まあ、悪いけどあたしが優勝するよ。んじゃ、健闘を祈る!」


 去り際にそう言い残して、彼女は手をヒラヒラ振って去っていった。


 みなとは、カップをドンと机に置く。その中は綺麗に空になっていた。

 思いっきり檜山に煽られたからか、彼女の目は闘志の炎で燃えていた。


 ここで、校庭に放送がかかる。


『激辛ラーメン完食コンテストにエントリーされた方は、ステージの前に集合してください。繰り返します……』

「行ってくるわ」

「……うん、行ってらっしゃい」


 みなとは、中央に設営された仮設ステージに向かっていく。俺はその後ろ姿を見送るのだった。






 ※





「ただいまより、激辛ラーメン完食コンテストを開始します!」


 ステージの中央で、鉢巻を頭に巻いた生徒が宣言すると、会場からは大きな歓声があがる。その鉢巻には『ラーメン研』と書いてある。このイベントはこの部活が主催しているのだろう。というか、そんな部活あるんだ……知らなかった。


「ルールは簡単、三十分以内に特製激辛ラーメンを食べてもらいます! 水は一人につき紙コップ一杯分! 三十分後、汁まで完食した時に残った水の量が一番多い人が優勝です! なお、ラーメンは普通サイズなので、慌てずに食べてください! 三十分以内に食べ終われば、食べるのにかかった時間は関係ありません!」


 なるほど、あくまで辛さへの耐性だけを評価する、と。みなとは大食いだが、辛いものが好きだとは聞いたことがない。食べきれるのだろうか、少し心配だ。


「なお、辛さに耐えられなかった場合は、リタイアできます! ただし、その場合は失格となってしまいます! また、三十分以内に食べ終わらなくても、失格となります! ステージの皆さん、よろしいでしょうか⁉︎」


 はい! と気合いに満ちた声が壇上から聞こえる。参加者七人のうち、檜山とみなと以外は全員男だ。彼らの前には、湯気の上がるラーメンと紙コップがそれぞれ置かれている。この紙コップが、彼らの生命線になるのだ。


「間もなく始めます! ……それでは、スタートッ‼︎」


 司会の合図で、ステージの七人が一斉に食べ始める。

 そして、一口食べたところで、皆が思いっきり咳き込んだ。


 まるで仕組まれたコントかのような反応に、聴衆が爆笑する。

 しかし、ステージの上の人たちはそれどころではないようだ。ある人は一気に水を呷って、ある人はティッシュで鼻をかんで、ある人は俯いて顔を手で覆った。


「ああーっと、早速脱落者だーっ! 三番が手を挙げています!」


 開始から一分後、最初の脱落者が出た。三番ゼッケンの男性は、二リットルのミネラルウォーターのペットボトルを受け取ると、それを飲みながらゆっくり食べ続ける。やはり、水コップ一杯という縛りはとても厳しいようだ。


 その後も、次々と脱落者が出る。しかし、七番のみなとは残ってズルズルとラーメンを食べていた。さらに、五番の檜山もしばしば水を口にしながら、リタイアせずに食べ続けている。


 そして、開始から十五分が経過した。


「ここで、最初の完食者が出ました! 一番です!」


 汁まで飲み干したことを証明するため、こちらに空になった器を見せる。会場からは大きな拍手が湧いた。


「ただ、コップの水は残っていません! ゼログラムです! さあ、残り三人、水を少しでも残して完食すれば、優勝の可能性はありますよ!」


 みなとの顔は真っ赤だ。発汗も大量にしているようで、前髪が額にはりついている。だが、リタイアはしていない。水もまだ残っているみたいだ。


「あーっと、ここで六番が脱落! 残るは五番と七番、女性二人です!」


 一方の檜山もだいぶ苦しそうだ。同じく顔を真っ赤にして麺を啜っている。水も残り少ない。


 ここで檜山が追い込みをかける。どんぶりを持つと、一気に汁を飲み干した。


「五番、完食です! コップの水の残りは……三十五グラム! さあ、残るは七番のみです! 完食できるのでしょうか!」

「頑張れー!」


 俺は声援を送る。みなとは反応していないが、きっと聞こえているだろう。


「さあ、残り時間は一分です! 七番、食べきれるのでしょうか!」


 残された時間は少ない。ハラハラしながら見つめていると、みなとがどんぶりを手に持った。そして、一気に汁を飲み干す!

 ドン、とどんぶりを置いた彼女は、汗びっしょりで荒い息を吐いていた。


 次の瞬間、ピピピピ、と時間切れを示すタイマーが鳴った。


「終了です! 七番、ギリギリ間に合いました! さて、コップの水の残りは……」


 司会がみなとのコップをはかりに載せる。三十五グラムより重ければ勝利だが……、はたして……!


「三十八グラム! 僅差、僅差で七番の優勝だーっ!」


 観客からは大歓声があがる。みなとはガッツポーズ。そして、司会の持ってきたミネラルウォーターを一気に飲んだ。

 まさか、みなとが大食いだけではなく、辛いものにも耐性があったとは思わなかった。


 こうして、みなとは『激辛ラーメン完食コンテスト』で見事優勝したのだった。

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