第124話 文化祭⑩

「ふぅ……疲れた」


 正午を少し回った頃、シフトを終えた俺は食堂を出ていく。

 今日もお客さんはたくさん並んでいる。忙しい時間帯に俺が入らなくても大丈夫だろうか、と少し心配だ。抜ける前にたこ焼きのストックを大量に作っておいたから、抜けてすぐの時間帯は大丈夫だとは思うが。


 昨晩、バンド演奏を無事成功させた後、俺は電池切れで倒れてしまった。

 全力を出したためか、ちょうどステージから下りたところで電池が切れてしまったのだ。

 その後、三人がかりで俺の体は運ばれ、みなとが持っていたケーブルを使って俺は充電され、無事に目覚めた。あと少しでも充電が少なかったら、演奏中に倒れていたかもしれないと考えると、とても冷や汗ものだった。


 昨晩、こうしたヒヤリハットが起きたわけだが、今はまた別の意味でヒヤリハットが起きそうだ。


 校内は熱気に包まれている。しかも、さっきまでAIをずっと起動しっぱなしだったので、俺の体温はかなり上昇していた。したがって、俺は早急な水分補給と、すっかり温まっていた体内の水分の排出をしなければならなかった。


 俺は急いで一番近いトイレに向かう。しかし、生徒だけではなく一般の来場者もいるので、トイレはとても混んでいた。かなり長い列ができているのを確認したので、仕方なく諦め、急いで別の場所へ向かう。


 文化祭のために校舎内が一般公開されているので、混雑しているところはとても混雑している。

 校内の入り口正面にある食堂なんかは、ほとんどの一般客がそこから校内に入っていくので混雑しがちだ。


 とはいえ、すべての場所が混雑している、というわけではない。一般客はおろか、主催する生徒すら足を運ばない場所もある。


 その一つが、部室棟だ。文化祭に出展するような主な部活は、この部室棟の部屋だけではスペースが足りず、普通教室や特別教室を借りている。もちろん、この棟で出展している部活もあるが、小規模なものがところどころでやっているだけ。当然、人通りはとても少なかった。


 俺は、部室棟の一階に入ると、階段を使って部室棟の二階に上がる。部室棟の一階は男子トイレしかない。だから、逆に女子トイレしかない二階に行く必要があった。


 二階の廊下も、一階と同様、全然人がいなかった。

 文化祭の人の賑わいを遠くに聞きながら、俺は無人の廊下に響く足音を伴って、女子トイレに向かう。喧騒のすぐそばに静寂があって、俺はとても奇妙な感覚に陥っていた。


 俺はトイレでさっさと用を済ませると、今度はウォーターサーバーへ急いで向かう。

 このままだと熱がうまく排出できずに、また熱が溜まって動けなくなってしまう。


 幸いにも、トイレのすぐ近くにウォーターサーバーが設置されていた。俺は急いでそこに近づくと、水をがぶ飲みし始める。


 …………ふぅ。


 みるみる体温が下がっていくのがわかる。なんとか間に合ったようだ。

 これ以降は特にAIを起動する予定はないし、激しく運動するなど、体温を上げるような行動をとる予定もない。危機一髪だった。


 そう思って、俺はその場を歩いて立ち去ろうとする。

 しかし、この時、俺は久しく忘れていた。この場所が、の本拠地であるということを。


 突然、背後で、ガラッと扉が開く音がする。こんなところに人がいたんだ、と俺は呑気に振り返るが、そこから出てきた人物を見て、俺は一瞬固まった。


「あっ……」

「あっ……!」


 俺とは対照的に、扉から出てきた、ロボット研究会会長の鳴門は嬉しそうに声を出した。そして、俺の方へ駆け寄ってくる。

 俺は逃走を始めた。


「ま、待ってくださ〜い! 天野ほまれさ〜ん!」

「誰が待つか!」


 俺を分解しようとしてくる危険人物。ロボット狂の奴に捕まったら最後、バラバラにされてもおかしくはない!


 しかし、鳴門は足が遅い。一方俺は、最初こそこの体に慣れていなかったために足が遅かったが、時間が経つにつれて走るスピードは速くなってきていた。


 だから、追いかけられても油断しなければ追いつかれない、と思っていた。

 『油断しなければ』。


 ……この時の俺は、鳴門との距離を測るために、振り向きながら走っていた。前方はただの廊下、障害物など何もない、と油断していた。

 その油断が、仇となった。


 突然、右足が引っ張られる感覚。前にもっていこうとしたつま先に何かが引っかかり、思うように足が前に出なかったのだ。

 あっ、と思った時にはすでに時遅し。バランスを崩した俺は、前のめりに倒れていた。


 ゴチン!


「あ`%¢3«@¡⁉︎」


 額を思いっきり床に打ち付け、頭の中に火花が散る。慣性力でそのままズザーと廊下を滑った俺は、倒れたまましばらく立ち上がることができなかった。


 何かエラーが起きているのか、体がうまく動かせない。これは地球儀事件の再来か⁉︎


 そう覚悟したが、幸いにも体の調子はすぐに元に戻り、俺はなんとか立ち上がることができた。

 しかし、そのロスタイムの間に、鳴門にはしっかり追いつかれてしまっていた。


 足を掴まれてロボ研に引きずられてしまうのか、といまだ思考がはっきりしない頭で覚悟するが、意外なことに鳴門は俺のそばでしゃがむと様子を尋ねてきた。


「ほまれさん! 大丈夫ですか……? 今スゴい音がしましたよ……?」

「あ……うん……大丈夫……」

「よろけているじゃないですか! つかまってください」


 俺が立ちあがろうとすると、鳴門が俺の体を支えてくれる。

 お前……実はいい奴だったのか……?


「あ、ありがとう……」

「気分は平気ですか?」

「ん、まあ……」

「ですが、ここは心配です。今の衝撃でほまれさんの体に何か異常が起きているかもしれません。このまま放っていたら重大なアクシデントに繋がる可能性も……」


 なんだかきな臭い方向に向かい始めた。俺は嫌な予感がして、鳴門から離れようとするが、彼女が俺の肩をがっしり掴んで離さない。


「な、鳴門……?」

「そうです! ここは一回詳細に分解して確認した方がいいです。ささ、こちらへ!」


 そう言って、鳴門は俺を部室の方へ引っ張っていく。

 コイツ、やっぱり俺を分解したいんじゃねーか!


「た、助けてくれー!」


 たまらず俺は声をあげる。だが、ここは基本的にほとんど人通りがない。誰かが来てくれる可能性は、限りなく低い──


「……お兄ちゃん?」


 その時、みやびの声がした。空耳か? 俺は信じられずに、声のした方を振り向く。

 そこには、確かに俺の妹、みやびの姿があった。


 みやびに目撃されてはマズいからなのか、鳴門は俺の体から手を離した。みやびがスッと目を細めながらこちらに近づいてくる。


「お兄ちゃんに何をしているんですか?」

「いや、別に怪しいことはしていないんです! ただ、ほまれさんが転んでしまって、どこか壊れてしまっていないのか心配だったので、ロボ研の方へとお連れしようと……」

「ロボケン?」

「申し遅れました、私、ロボット研究会の会長をやっております鳴門ひびきと申します」

「え、この学校ロボ研なんてあるの⁉︎」


 途端に、みやびが目を輝かせる。なんだか話が本題から逸れつつあるぞ……。ロボット関連の話題になると、途端に他のことを忘れてのめり込んでしまうのは、みやびの癖だ。

 そして、みやびがロボットに興味があると見るやいなや、鳴門も目を輝かせ始める。まるで、同志を見つけた! と言わんばかりだ。オタクの性、というやつなのだろうか。


「そうなんですよ! もしかして、ロボットに興味がおありですか?」

「大アリです! 私、この人の妹で、この体を作ったんですよ」

「なんと! それはスゴい! ならば、ぜひ部室にいらしてください!」

「行きます行きます!」


 そして、あっという間に話がまとまり、二人はポカーンとする俺を置いていって、仲良くロボ研の部室に消えていった。


 ……まあ、鳴門から逃れられたから、結果オーライとしよう。

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