第120話 文化祭⑥
午後三時。この時刻をもって、俺の仕事は終了だ。俺はAIから体を取り戻すと、顔を上げる。
昼間、あれほど混雑していた食堂には、全然人がいなかった。席は半分も埋まっていない。当然、たこ焼き屋に並ぶ人は少数で、二、三人だけだった。
今いる人たちの分は、さっき作ったたこ焼きで十分賄えるだろう。そう判断して、俺は道具を置いて、次の人と交代する。
「お疲れさま、天野」
「助かったよ」
「ありがとう〜」
次々にクラスメイトから俺に労いの言葉がかけられる。
「お疲れ〜」
俺は片手を挙げてそれに応えると、三角巾とエプロンを外して、手を洗って店を出た。
俺はこれからの予定を思い出す。今日、俺が絶対行きたい出し物はあと一つだけ。午後五時から体育館で始まる中夜祭だけだ。
中夜祭は、一日目と二日目の間、つまり一日目の夕方に体育館で行われるイベントだ。主にバンド演奏やアカペラ、ダンスが披露される。この学校の生徒しか参加することはできないが、この文化祭で一番盛り上がるイベントだ。
それまでこの学校にはいなければいけないのだが、とても暇だ。
誰かと一緒に回る約束はしていないし、特に行きたい場所もない。みなとはこの時間、用事があるみたいだし、他の友達もここにはいない。
どうしようかな、と考えながら食堂を出る。すると、飛び出してきた誰かと危うく衝突しそうになった。
「あっ……ごめんなさ……」
「おっと……ってみなと?」
そこにいたのは、みなとだった。メイド服姿ではなく、制服姿だ。急いでいて走っていたのか、息を切らしている。
そして、彼女は俺を見るなり、手をガシッと掴んできた。
「ちょうどいいところに……! ほまれ、助けてほしいの」
「え? え、何を?」
「ほまれにしかできないことなのよ!」
とても切羽詰まった様子の彼女に、俺は『嫌だ』とはとても言えなかった。
「……わかった。でも、何があったのか話してよ」
「わかったわ。歩きながらでいいかしら?」
「うん」
俺は、みなとについていきながら、彼女の話を聞く。
「……私が中夜祭に出るのは言ったわよね?」
「うん。それは聞いてる」
中夜祭とは、文化祭の一日目の一般公開が終了した後に体育館で行われる、在校生のみが参加できるイベントだ。有志によるダンスやバンド演奏などが主に披露される。
みなとがそれに出ることは知っているが、俺が知っているのはそれだけだ。何をやるのかまでは知らされていない。聞いても秘密、とだけしか答えてくれなかったのだ。
「実はね……これは秘密にしたかったんだけど、私、バンドをやることになっていたのよ」
「そうなの⁉︎ 楽器は?」
「……ドラム」
みなとがドラマーだとはまったく知らなかった。これまで彼女からそんな話は聞いたことがない。そもそも楽器が弾けること自体初耳だ。
「ドラム叩けるんだ! スゴいな」
「まあね。って本題はそこじゃないのよ」
みなとは一息つく。
「さっき急に電話がかかってきて、バンドメンバーの一人が急遽熱で休むっていう連絡が来たのよ」
「それは大変だね……」
ここまで聞いて、俺はみなとが何を頼もうとしているのか、だいたい察してしまった。
「だから、ほまれにはそのメンバーの代わりで入ってほしいの」
やはりそう来たか。
できることなら、みなとの力になってあげたい。しかし、その前に重大な問題があった。
「……俺、楽器の経験ないけど」
バンドメンバーの代わりに入ってほしいということは、その人が担当していた楽器を、俺に演奏してほしい、ということを意味している。しかし、俺は音楽歴ゼロ秒。ピアノもギターも何もできない。カスタネットやタンバリンだったら、まだなんとかなる可能性があるが、今からキーボードとかギターに入ってくれ、と言われても、何もできない……と思う。
「……でも、頼りになるのがあなたしかいないのよ」
そうこうしているうちに、俺たちは校舎の端にある、音楽室の前に到着する。みなとはその部屋の中に入っていき、俺はその後ろに続く。
「あ、来た来た! 見つかった?」
「ええ。連れてきたわ」
すると、ドア付近にいた人物がみなとに声をかける。俺はその意外な人物を見てビックリした。
「な……マジか」
「やっほー、久しぶりだね、天野ほまれ!」
「ど、どうも」
そこにいたのは、室内遊戯部部長、山内。まさか彼女がここにいるとは思わなかった。
「連れてきたい人物というのは、天野ほまれだったのか、古川」
「ええ、そのとおりよ」
さらにその後ろにいたのは、なんと珠算部部長、野山だった。
みなとと接点がなさそうな人物が一堂に会するこの場は、俺にとってはなんだかとても奇妙に思えた。
「もしかして、みなとのバンドメンバーって」
「あたしらだよ〜」
「そうだったんだ……」
山内と野山の二人と、みなととの意外な関係に、俺は改めて驚いた。
「いったいどういう繋がりなんだ……」
「それはまことに聞いて」
まことって誰だ? と思ったら、山内が説明を始めた。
「なんか、文化祭でバンドやりたいなーって思ったから、まずピアノできる野山くんを誘って、それからドラムできるって聞いて古川ちゃんを誘ったの!」
「突然声をかけてきたときは驚いたわ……」
行動力お化けかよ……。でも、山内ならそういうことをやりそうな気はする。
「それで、もう一人誘ったんだけど、急に出れなくなっちゃって……だから、古川ちゃんに代役を探してきてもらったら、あなたが来た! ってこと」
「そういうことね……」
山内が持っているのはギターだ。たぶんベースかギターのどちらかだろう。
一方の野山はキーボードの後ろに立っている。彼がキーボードを弾く姿なんて全然想像できないのだが……。
俺は一応確認する。
「ちなみに、君たちは何の楽器を担当してるの?」
「あたしはベース。で、野山くんは」
「キーボードだ」
「それから古川ちゃんはドラムね」
「なるほど……で、俺は何をすれば?」
「ほまれにはギターをやってもらいたいのよ」
振り返ると、みなとはギターを抱えていた。俺はそれを両手で受け取ってまじまじと見る。これを弾いてほしい、ということらしい。
とりあえず、俺に担当してもらいたい楽器はわかった。しかし、俺にはできる気がしない。音の鳴らし方以前に、正しい持ち方すらわからないのだ。
「……俺、音楽歴ゼロ秒だけど。ギター未経験だよ」
「えー、でもあなたならできるでしょ? 高性能AI積んでるんじゃないの?」
「それを見越して、古川は君を連れてきたのではないのか?」
二人にそう言われて、みなとの方を見る。彼女はこくりと頷いた。
「……もう本番まで三時間もないわ。他のバンドにもヘルプを頼もうとしたけど、できないって断られてしまったわ。だから、私たちには、もうあなたしかいないのよ。お願い……!」
「……」
俺はギターを見つめる。
皆が期待していたのは、俺ではなく、『俺』だったようだ。
俺に搭載されているのは、基本的になんでもこなせるAIだ。料理、洗濯、計算……どれにおいても人間よりはるかに優れている。ならば、ギターも人間よりうまく弾けるはず。俺はAIを起動した。
しかし、何も起きない。俺の体が動かない。ギターを弾け、といくら指令を送っても、俺の体は何の反応も返さなかった。
俺はAIを終了させる。
「ごめん……俺には、ギターを弾く機能は搭載されていないみたいだ」
「え、そんな……」
「……AIは万能ではない、ということか」
目に見えて落胆する山内。それっぽいことを呟く野山。
「……そうよね、あまりにも無茶なことはできないわよね。ごめんなさい、ほまれ」
おそらく、三人は中夜祭でのバンド演奏を諦めざるをえないだろう。バンドの花形とも言えるギターが欠けていては、曲は不完全なままだ。
とても残念そうに謝るみなとを見て、俺の心はとても痛んだ。
できれば力になりたいが……どうやら俺の力は及ばないようだった。
俺はみなとにギターを返して、開けっぱなしのドアから音楽室を出ていこうとする。
だが、部屋から一歩踏み出した瞬間、俺の目の前に一人の人物が立ち塞がった。
「まだ、諦めるには早いよ、お兄ちゃん!」
そこに現れたのはみやびだった。
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