第108話 ひとり

 俺は廊下を走っていく。先生に見つかったら注意されそうだが、注意されたとしても走るのはやめられない。

 今は、一刻も早くみなとを見つけなければならない。そして、きちんと説明しなければならない。


 みなとがどこに行ってしまったのかはわからない。しかし、彼女がいるかもしれない場所の心当たりはある。


 俺は階段を二段飛ばしで急いで上る。階が上がるにつれ、どんどん人が少なくなっていく。それゆえ、俺たちはいつも昼休みにそこにいる。そこにみなとがいる可能性は、俺が考えられる場所の中では一番高い。


 階段を上り終わり、俺はその場所に辿り着いた。そして、俺の予想どおり、そこにみなとはいた。


 昼休み、人気のないオープンスペース。そこで、彼女は黙々と昼ご飯を食べていた。


「みなと……!」

「……」


 みなとは俯いていて、こちらからはその表情は窺えない。俺は呼びかけるが、彼女は肩を少し震わせただけで、ただ昼ご飯を食べるだけだった。


 俺は彼女に近づきながら説明する。


「ごめん、言いそびれていたんだけど、サーシャは俺の家にホームステイしているんだ。それで、今朝も俺と一緒に登校してきた。さっきはサーシャがあんな言い方をしていたけど、本当にただホームステイしているだけで、別にやましいことは何もないよ!」

「……なんで、最初から言ってくれなかったのよ」

「……え?」

「留学生が来ているって、なんで最初から言わなかったのよ」

「それは……」


 俺が黙っていると、みなとは小さな声で言った。


「帰って」

「え?」

「今日はもう、帰って……」

「……」

「ちょっと……ひとりにしてほしいの……」


 俺の目は、机の上に雫が垂れているのをしっかりと捉えていた。


 これ以上、俺は何も言えず、その場を立ち去るしかなかった。




 ※




「はぁ……」


 翌日の昼休み。俺はため息をついて、机に突っ伏していた。

 窓の外からは、教室のざわめきとともに雨の音が聞こえてくる。


 あれから、みなととは一度も会っていない。避けられているのか、それとも偶然なのかは知らないが、彼女の姿はまったく見かけなかった。


 俺はスマホを取り出して、SNSを開く。昨日の夜からメッセージをいくつか送っているが、まったく反応はない。既読すらついていない。もしかしたらブロックされているのかもしれない。


「はぁ……」


 そう考えるとますます鬱な気分になってくる。

 さっきから聞こえてくる雨の音が、よりいっそう大きくなっているような気がした。


 ちなみにサーシャは、俺に対して悪いことをしたと思っているのか、昨日から俺にはあまり話しかけてこなかった。どうやら、自分の一言でみなとの機嫌を損ねた、と思っているようだった。

 今は仲良くなった他のクラスメイトたちと、学食に行っていて教室にはいない。


 俺はアンドロイドなので、お昼ご飯を食べる必要はない。充電はまだたくさん残っている。


 いつもならみなとがお昼ご飯を食べるのに付き合っていたから、昼休みの時間を潰せていたが、今は時間を持て余していた。もしかしたら、みなとはいつものオープンスペースでご飯を食べているかもしれないが、昨日の『ひとりにしてほしい』という発言がフラッシュバックしてしまって、どうしてもそこにいくことを躊躇ってしまう。


 説明して誤解を解きたいのだが、行くことでさらに彼女の態度が悪くなってしまったら、元も子もない。そんな恐れが俺の中にはあった。


 かと言って他に特にやることもなく、今日の昼休みは完全に暇な時間と化していたのだった。


「天野、なんか元気ないね」


 すると、突っ伏していた俺の上の方から声がかかる。その姿勢のまま視線を向けると、そこには檜山がいた。


「ああ、うん……まあね」


 後ろには飯山もいる。どうやら彼女たちはすでに菓子パンで昼食を食べ終わったらしい。飯山はそのゴミを、教室の後ろに設置されているゴミ箱に捨てていた。


「みなっちゃんとは……まだ仲直りできていないんだ?」

「……うん」

「そっか〜……ほまれちゃんは、みなとちゃんとはもう一度、仲良くなりたいんだよね?」

「それは、そうだけど……」

「……あたしたちでよかったら、相談に乗るよ。話しているうちに、解決の糸口が見つかるかも」

「ありがとう……」


 二人とも、どうやら俺たちの仲を心配してくれているようだった。

 本当なら、二人にとっては別に心配する必要のないことだ。それでも気にかけてくれて、さらに話を聞いてくれるのは、とてもありがたいことだった。


 もう知っているかもしれなかったが、俺は二人に事の次第を説明した。


「なるほどねぇー……ま、確かにみなっちゃんは天野にぞっこんだから、他の女子とつるんでいると何か言いそうだよねぇー」

「うんうん、ほまれちゃんへの愛、大きいよね〜」

「そうだな、𝑩𝑰𝑮 𝑳𝑶𝑽𝑬だもんな」


 二人からすると、みなとは俺にラブラブに見えたらしい……。


「だからなのかな……」

「うーん、まあ、みなっちゃんが嫉妬しているという線はありそう」

「でもでも、だったら『ひとりにしてほしい』とは言わないんじゃないかな? だって、嫉妬していたら、他の女の子を遠ざけたいから、ピッタリ離れずにいて牽制すると思うんだけど……」

「確かに……飯山の言うとおりかも」

「だとしたら、みなっちゃんは天野に『頭の中を整理する時間が欲しい』という意味でそう言ったんじゃない?」

「そうかもね〜、その前に『サーシャちゃんのこと、どうして最初から言ってくれなかったの?』って言っているから、本当は疑いたくないんだけど、ほまれちゃんを疑っちゃって、気持ちの収拾がつかなくなっちゃったんじゃないかな?」

「うっ……」


 これに関しては全面的に俺が悪い。そもそも、俺が変にごまかさなければ、ここまで拗れることはなかったはずだ。


「結局、俺はどうしたらいいんだろう……」

「まあ、とりあえず待ってみれば? 日にち薬って言うし」

「うん、わたしもそう思う。今はみなとちゃんをそっとしてあげる方がいいと思うな。気持ちの整理ができたら、みなとちゃんからほまれちゃんに連絡してくるんじゃないかな」

「……うん」


 正直、そうすることには迷いもある。このままみなとのことを放っておいたら、喧嘩別れのような形でこの関係が消滅してしまうのではないか、と。


 しかし、今の俺には、そもそも何が正解なのかわからない。迷っているからといって、みなとに接触しようとするのも違うような気がする。


 二人ともみなとのことをよく知っている。だから、このアドバイスが的外れで間違っている、という可能性は低い。


 ここは、ひとまずそれに従ってみよう。俺はそう思った。


 すると、檜山が突然ニヤニヤしながら俺に尋ねてきた。


「ところでさ〜、みなっちゃんとはなんで付き合ってるの?」

「なんでって……どういうこと?」

「馴れ初めだよ、な・れ・そ・め! みなっちゃんとの出会いは何だったの?」

「あっ、それわたしも聞きたい! ずっと気になってたんだ〜」

「確か、あたしが把握した頃には、すでに付き合っていたよね」

「あー、うん。ちょうど高校に入学した頃から付き合い始めたから」

「え〜、そうなの〜⁉︎」

「聞かせてよ、あんたとみなっちゃんが付き合うようになった経緯!」

「聞きたい!」


 二人がキラキラした目で俺に迫ってくる。なんで女子はこんな恋愛話に食いついてくるんだ……。


 まあ、別に隠すようなことではないし、話しても問題はないと思う。


「……わかったよ」

「「やった!」」


 俺はみなとと出会った頃を思い出しながら、どうして付き合うことになったのか、二人にその経緯を話し始めた。

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