第107話 留学生②
「サーシャさんって、ロシアのどの辺の出身なの?」
「サーシャでいいデス。モスクワの近くデス!」
「日本語はどこで学んだの?」
「学校デス! 日本語の授業があるデスよ。あとは日本の映画とか漫画とかアニメとかデスね」
「そうなんだ!」
昼休みになった。サーシャの席の周りにはたくさんの生徒が集まっていてとても賑やかだ。よく見ると、その中にはクラスメイトだけではなく、他のクラスの人もいる。
「大人気だな、サーシャさん」
「そうだね」
俺は、自分の席まで来た佐田と、サーシャの方を見ながらそんな会話をする。
休み時間になると、サーシャはクラスメイトたちに囲まれて、質問の嵐に遭っていた。サーシャはそれを嫌がることなく答えていき、本人の明るい性格も相まってか、すぐにクラスの人気者になった。そして、休み時間になるたびに彼女の席を囲む輪はどんどん大きくなっていった。
「ちなみに、サーシャは留学生なんだよね?」
「そうデス」
「誰の家にホームステイしてるの?」
「ほまれデスよ〜、ね〜」
すると、背後からいきなり抱きつかれる。頭の上に何かが乗っかり、特有の匂いがする。
「ちょっ……⁉︎」
いつの間にか、サーシャが自分の席を立って、すぐそこまでやってきていた。
「サーシャ、ちょ、抱きつかないでよ」
「いいじゃないデスか〜」
やっぱりサーシャは俺の話など聞いていなかった。俺の声などお構いなしに密着してくる。
「天野の家にホームステイしているのか……」
「いいなぁ……」
周りからの男子からの『お前羨ましいな!』の視線が痛い。佐田までそんな目で俺を見てくるなよ!
まぁ、ロシアン美少女と一つ屋根の下で暮らしているのを羨ましく思う気持ちは、俺にもよくわかるが……。俺だっていろいろ苦労しているんだぞ! 主にこのスキンシップとか。
「サーシャ、ちょっと近いって、離れてよ」
「なんでデス?」
サーシャは疑問符を浮かべながらより密着してくる。天邪鬼かよ!
あああ、俺の背中にサーシャのでっかい胸が当たっている感覚が……。
しかし、俺はそれに打ち勝って振り解かなければならない。
なぜなら、昼休みに入った今、もうすぐみなとが間違いなく俺のところにやってくるからだ。こんなにサーシャと密着されている様子を見られたら、誤解されるのは必至だろう。しかも、今朝このことを隠すような返答をしてしまったため、余計に反感を買ってしまうかもしれない。
俺は席を立つと、教室の外の方へ歩き始める。しかし、サーシャはそれでもなお、俺についてきていた。
「ちょ、これから用があるから」
「えー、ワタシも行くデス〜」
「それはちょっと……」
「なぜワタシはダメデス? ほまれはいじわるデス!」
「いや、そういうつもりはないんだけどさ……」
そう言って、俺が教室から出ようとした途端、ドアの死角から誰かが教室に入ろうとしてきた。
俺は危うくぶつかりそうになったが、直前でなんとか立ち止まる。
「おわ……ごめ、って、みなと⁉︎」
すると、ぶつかりそうになった相手はみなとだった。マズい、最悪の状況だ。この状況は非常にマズい。
しかし、俺にできることは、もはや何もなかった。
「ほまれ、お昼……」
みなとは、いつものように俺をお昼に誘おうとして、持ってきた弁当を掲げた姿勢のまま固まった。
スッと目が細くなって、俺の横にひっついているサーシャを見つめる。背後からブワッとものすごいオーラが出ているのが見えてきた。
一方のサーシャは、その圧力にはいっさい屈することなく、不思議そうな顔でみなとのことを見ている。無理もないことだ。みなとのことは話していたが、彼女を見るのは初めてなのだ。
「例の留学生ね……」
「ほまれ、この人誰デス?」
「……俺の彼女だよ」
ものすごくバツの悪い状態で、俺は絞り出した。
恐れていたことが本当に起こってしまった。サーシャに抱きつかれたまま、みなとと出会う。みなとからすれば、彼氏が今日やってきた留学生とイチャコラしている、と思うだろう。
早く誤解を解かなければ! 俺は口をひらく。
「み、みなと……これは違うんだ。コイツは留学生のサーシャで、ちょっとスキンシップが過剰でな……」
「今日来た女の子と、早速仲良くなっているのね」
「え、あ、まぁ……」
本当は一昨日から会っているので、厳密には三日間でここまで仲良くなったわけだが、それを言うわけにはいかない。
みなとの凍てつくような視線が降り注ぐ中、どうやってこの状況を打開しようか、と俺は頭をフル回転させる。
しかし、俺の涙ぐましい努力は、直後にあっけなく打ち砕かれた。
「今日じゃないデスよ〜、二日前から一つ屋根の下で暮らしているデスよ〜」
再び場が凍りついた。
よりにもよって、なんでその言い回しをしたのかなぁ⁉︎ 普通に、『二日前からホームステイしています』でいいだろ⁉︎ その方がはるかにマシだった……。
サーシャは俺に抱きついてクネクネしてくる。これは悪い冗談か? もしかしたらサーシャは冗談のつもりなのかもしれないけど、俺にはただの悪夢だった。
みなとは、スッと無表情になった。感情メーターが振り切れてしまったのか……。そして、一言俺に放った。
「そう。私は邪魔だったようね。失礼しました」
「え、あ、待って……!」
みなとはくるりとターンすると、上履きを鳴らして早足で去ってしまった。その迫力で、廊下を行き交う生徒が道を譲っていき、何事かとみなとの方を見る。俺の引き止めも虚しく、彼女の姿はすぐに見えなくなってしまった。
「はぁ……」
俺は顔に手を当てて深いため息をついた。
最悪だ。最悪の状態になってしまった。マジでどうすればいいんだ……。
「あの……ほまれ……」
「なに?」
イライラして、つい強い口調になってしまう。サーシャはビクッとして、少し怯えたような表情でこちらを見た。
どうやら、サーシャも修羅場になったことを理解したようだった。先ほどの能天気さは、すでにどこかに消えてしまっている。
「その……ごめんなさい……ワタシ、悪いことしたデス……」
サーシャは申し訳なさそうに謝った。さすがに彼女も罪の意識を感じていたらしい。
こんな事態になってもなお、能天気な態度でいたら迷わずにぶっとばしているところだったが、一応反省しているようだ。
それでもなお、噴出しそうになる怒りをグッとこらえて、俺はサーシャを振り解いて一言だけ。
「……しばらく俺に構わないでくれ」
ここで俺がやるべきことは、みなとに全部事情を話して誤解を解くことだ。許してもらえるかはわからないが、今はそうするしかない。
俺はすっかり静かになった教室を後にして、みなとのもとへ走って向かうのだった。
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