第103話 麦わら帽子の少女①
翌日。朝起きて一階に下り、リビングに入るとそこにはすでに両親の姿はなかった。代わりに、みやびがパジャマ姿のまま、優雅に缶コーヒーを飲んでいた。その様子だと徹夜していたのだろう。
「あ、お兄ちゃんおはよう〜」
「おはよう……父さんと母さんは?」
「昨日の夜中に出発していったよ」
「そっか……」
嵐のように来て、嵐のように去っていった。ホームステイしてくるロシア人を置き土産に。
まったく、あの人たちは……。はぁ、と俺はため息をつく。
「みやびは徹夜したのか?」
「え、うん。まあね」
「……ちゃんと寝ないとダメだぞ」
「へーい」
「わかってないだろ」
「わかってるよー」
やる気のない返事。俺は再度ため息をつくと、朝ご飯を作るために台所へと向かった。
十五分後に朝ご飯を作り終えた俺は、みやびの前に持っていく。
そして、みやびがそれを食べているのを席に着いて見ながら、俺は口を開いた。
「そういえば、ホームステイしにくる人の話は聞いてる?」
「うん、聞いてるよー。ロシアの人でしょー?」
「そうそう。まったく、部屋とかなんも準備していないのに……」
「部屋なら、昨日私が準備しといたから大丈夫だよ。お母さんの部屋を使ってもらうよ」
「そ、そうなのか。それは助かるが……」
もしかしてそれで徹夜していたのだろうか。だったら、俺も手伝うべきだった。
ホームステイしに来るロシアンガールは、両親の話によると、昨日のうちにすでに日本に入っているらしい。そして、家に来るのは、東京を観光してホテルで一泊してからになるそうだ。
「それで、何時頃こっちに到着するかは聞いてる?」
「うーん、昼頃って言ってたけど……」
俺は時刻を確認する。午前九時ちょうどだ。
「今日は何も予定はないんだよな?」
「うん。土曜日だから学校はないし、研究所もいく予定はないよ。だって、留学生を迎えるときにホストファミリーはいた方がいいでしょ?」
「まあ、そうだね」
今日は一日中家にいるらしい。それならちょうどいい。
「だったら、ちょっと買い物に付き合ってくれないか? いろいろ買っておきたいものがあるんだけど」
「うん、わかった」
そうと決まれば、早速出発だ。留学生が家に来るまでに、なんとか済ませておきたいところだ。
俺とみやびは手早く身支度を済ませると、早速外出する。行き先はもちろん、いつものスーパー。まずは最寄り駅へ向かい、そこから電車に乗る。
数駅先のスーパーの最寄りで降りると、俺たちは階段を下りて、改札へ向かう。
その最中、壁際に一際目立つ人物がいて、俺は思わず目を向ける。
まず目を引くのは大きな麦わら帽子。そして、その下から伸びる艶やかな金髪。服は派手なピンク色のアロハシャツだ。そばには巨大なスーツケースを立たせている。背はみやびよりも高い。きっとみなとよりも高いだろう。
そんな彼女は、穴が開くほど手に持っている紙を凝視していた。おそらく地図か何かを見ているのだろう。
たぶん、彼女は外国人観光客だ。しかし、この辺を観光しようとする人はそんなにいない。俺たちが来た方向へさらに電車に乗っていけば、著名な観光地である山があるが、この辺には特に観光資源となるようなものはない。ただの住宅街だ。もしかしたら、それを目当てに来ている物好きなのかもしれないけど……。
俺が彼女に目を向けていたのは数秒間だけだった。しかし、その数秒間に、不意に彼女は視線を上げた。そして、ばっちり俺と目が合ってしまう。
次の瞬間、彼女は何かに気がついたかのように俺の方に走ってきた。その表情は、なぜか知らないがとても嬉しそうだ。
な、なんで? 俺、この人と前に会ったことあったっけ?
俺は脳内画像検索してみるが、この人と会ったことはない。そうこうしているうちに、彼女は俺の目の前まで来ると、紙の一点を指差しながら早口で話しかけてきた。
「Извините! Где эта станция?」
「え……え、と」
ヤバい、何語だ? まったく聞き取れないし意味がわからない。少なくとも英語ではなさそうだ。
もしかして、この人、俺が外国人だと思って尋ねてきているのか? 確かに髪色は薄いし日本人離れしている……ともいえなくはない。
だが、俺は決して外国人ではない。正真正銘日本生まれ日本育ちの日本人だ。基本的には日本語しか話せないし、英語はちょっと話せる程度。それ以外の言語なんて知る由もない。
しかし、ここで何も答えず逃げるというのは、あまりにもかわいそうだ。何か質問しているようだし、なんとかして意図を読み取って答えてあげたい……!
ここはAIの出番だ! おい、何語か分析して返答して差し上げなさい!
俺がそんなふうに頭の中に呼びかけてAIを起動しようとしていると、横からみやびが尋ねてきた。
「どうしたの?」
「Извините! Где эта станция?」
「んー、えーっと……вторая станция」
それから、何言か言葉を交わした後、彼女は満足げに去っていった。
どうやら彼女は知りたかったことがわかったようだ。みやびのおかげで助かった……。
「……何だったの?」
「降りる駅がわからなくて聞いていたみたい」
「そ、そうなんだ……。ちなみに何語だったの?」
「ロシア語だよ。趣味でやっといてよかった〜」
「しゅ、趣味……」
ロボット工学だけではなく、語学もできるとは、本当に我が妹ながら才能の底が見えなくて恐ろしい限りだ。
俺たちは気を取り直して、改札を出るとスーパーへ歩いて行く。
「それじゃあ、あの人はロシア人ってこと?」
「んー、ロシア人とは限らないけど、その可能性が高いんじゃない?」
「そっか……もしかしたら、あの子が今日ウチに来る留学生だったりしてね」
「まさか〜……もしそうだったらスゴい偶然だね」
あはは、と俺たちは笑い合いながら、スーパーの中へ入って行った。
一時間後、買い物を済ませた俺たちは、再び電車に乗り、同じルートを逆方向に辿って、自分の家の最寄り駅で降りた。
俺たちは閑静な住宅街を歩きながらおしゃべりをする。
「今日もたくさん買ったね、お兄ちゃん」
「そうだね〜」
「それにしても、小麦粉とか卵とか、そんなに買う必要はなかったんじゃないの?」
「実は、今回の文化祭で俺のクラスはたこ焼きをやることになったんだ。それで、俺は調理担当になったから、練習のために必要なんだ」
「そうなんだ」
「だから、これからたこ焼きが出てくる回数が増えてくると思うから、よろしk……」
だが、俺は最後まで言葉を発することができなかった。
その様子を不審に思ったみやびが、俺の視線の先を追って、同じく固まった。
赤い屋根に囲まれ、ポツンと存在する青い屋根の一軒家。
そんな我が家の目の前に、一人の女性が立ち尽くしていた。
まず目を引くのは大きな麦わら帽子。そして、その下から伸びる艶やかな金髪。服は派手なピンク色のアロハシャツだ。そばには巨大なスーツケースを立たせている。背はみやびよりも高い。きっとみなとよりも高いだろう。
「こ、こんなことってあるのか……」
「予想、大当たりだね」
間違いなく、一時間前に駅で話しかけてきた、ロシア語を話す麦わらガールだった。
彼女はそんな俺たちに気づいたようで、俺たちに目を向ける。
彼女は一瞬ビックリしたような表情をして、俺たちと同じように固まる。そして、すぐにまた嬉しそうな表情をして、俺たちの方に駆け寄ってきたのだった。
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