第102話 両親
SHRが終わり、正午を少し過ぎた頃に俺は下校する。
今日はまだ本格的な授業はなかったが、明日からは通常どおりの時間割になる。それに、文化祭の準備もあるし、それが終わった後には修学旅行も控えている。一学期に比べたらさらに忙しくなること間違いなしだ。夏休みロスが起こりそうだ。
「ただいまー」
ガラガラの電車に乗って帰宅し、家のドアを開ける。みやびは今日から中学校が始まり、さらにそのまま研究所に行くと言っていたので家にいない。だから、玄関には外出用のスリッパしかない。
……はずだったのだが。
ふと三和土に目を落とすと、そのスリッパの他にも、二足靴が並んでいた。俺のものでもみやびのものでもない。そして、俺はその靴に見覚えがあった。
まさか……⁉︎ 帰ってきたというのか?
俺は靴を脱ぎ捨てるようにして家の中に上がると、鞄を置いて廊下を駆ける。
そして、リビングに続くドアを勢いよく開いた。
「父さん、母さん⁉︎」
俺の呼びかけに、リビングにいた二人の人間がこちらを見る。
四十代後半くらいの中年の男性と、それより少し若い女性。
間違いない。俺の父さんと母さんだった。
二人の姿を見た瞬間、俺の頭の中に、言いたいことが無限に湧いて出てくる。それらがまとまらなくて、何から言えばいいかわからず、俺はソファーに掴まって床にへたり込んだ。
数秒経って、俺はやっと一言。
「か、帰ってくるなら、言ってくれよ……」
その言葉に、二人は顔を見合わせると、異口同音に俺に問いかけてきた。
「「どちら様ですか?」」
※
「なーんだ、ほまれだったのかー!」
「焦ったわぁ……帰ってくる家を間違えたと思ったわぁ……」
父さんはガハハと笑い、母さんはのんびりとつぶやいた。
あれから、俺は二人に自分が天野ほまれであることを説明した。最初、何言ってんだコイツ? みたいな目で見ていた二人は、俺が事故に遭ってアンドロイドになったという事情を思い出したらしく、すぐに俺だと受け入れたようだった。
向こうからすればよく知らない女の子が家に来て、自分のことを父さん、母さんと呼んできたのだ。困惑するのも無理はない。
一応、みやびから報告を受けて、写真で俺の姿は知っていたようだが、すっかり忘れてしまっていたようだ。
「それにしても、本当にアンドロイドなのか……」
「スゴいわねぇ、最近の技術は。本当に人間そっくりねぇ」
「皆、俺の体が人間じゃないなんて、言わないと気づかないよ」
「そうか……みやびが開発したんだよな?」
「うん」
「あの子が……将来ビッグになるわぁ……」
「すでにビッグだよ」
義務教育を放ったらかして研究に没頭して研究所に入り浸っている中学生がビッグでないはずがない。それに、すでにこんな人間そっくりの実用的なアンドロイドを作り出してしまっているのだ。その実用性はこの俺が今現在も身をもって保証している。
不意に、父さんは真剣な顔をして俺に向き合う。そして、謝ってきた。
「ほまれ、まずはお前に謝らなきゃならん。四月に事故に遭った時、目を覚ますまでお前に付き添ってやれなくて本当にすまなかった。本当なら、そこまで一緒にいるべきだったんだ」
「私たち、親として、失格ね」
母さんも気まずそうに俯く。
四月、俺がトラック事故に遭って意識不明の状態に陥った時、当初父さんと母さんは病院で付き添ってくれたらしい。当然、俺はそのことをまったく覚えていない。
本当なら、先ほど父さんが言ったとおり、俺が目覚めるまで病院にいるつもりだったのだろう。しかし、仕事は二人を待ってくれなかった。
結局、両親は俺のことをみやびに任せ、海外に飛び立ってしまった。それが、俺がアンドロイドの体になって目覚めてから、リハビリ中にみやびから聞いた話だった。
俺は、事故に遭ってこの体になり、不安に押しつぶされそうになった時、二人にそばにいてほしかった自分の気持ちに嘘をつくことはできない。
しかし、二人には二人の事情がある。大人の世界では、時にはこうした理不尽で仕方のない状況が起こってしまう。
俺は自分の気持ちを主張するだけの子供ではない。相手の事情を汲んで理解できる年齢に達している。
それでも、あの時の自分の気持ちを無碍にすることはできず、俺はただ目を伏せるだけで、何も言うことができなかった。
「許してくれとは言わん。たが、父さんたちの仕事の特性上、家を空けることはどうしても多くなってしまう。ただ、これだけは言っておきたい。このことは、お前のことを心配していない、という意味ではないからな」
「何か起こったら、いつでも連絡してきていいのよ? どんな些細なことでも……ねぇ」
俺と両親が一緒にいるのはとても難しいことは重々承知している。もし一緒にいたいのならば、俺が高校を辞めて父さんたちに合わせるか、父さんたちが自宅で過ごすか、その二択だ。ただ、現実的にはどちらもできそうにない。
でも、二人は俺のことを完全にほったらかしにしたいわけではない。少なくとも、さっきの父さんと母さんの発言は本物だ。
……それが確認できただけでも、今の俺にはありがたかった。
「……わかった」
俺は押し寄せてくる感情の波を抑えて、それだけ言った。
しばらく沈黙の時間が続く。最初にそれを破ったのは、母さんだった。
「ところで、みやびちゃんは今、何をしてるの? 研究所?」
「たぶんね。中学校から直接行っているみたい」
「なにー⁉︎」
すると、父さんが突然ガタンと立ち上がった。俺は反射的にビクッとなる。
「あのみやびが……学校⁉︎ それは本当か⁉︎」
「え、うん。一学期の途中くらいから行き始めたけど」
「まぁ……! みやびちゃん、ついに中学に行き始めたのね……!」
「え……、え……?」
まさか、みやびがただ学校に通い始めたと知っただけで、両親がこんなに喜ぶなんて思わなかった。確かに、ずっと不登校で、引きこもったり研究所にばかり行ったりしていたけど……。
「どうやって行かせたんだ⁉︎」
「え、なんか学校に行ったら、って言ったら普通に行き始めたけど……」
「そ、そうなのか……」
父さんは、席に座る。あまり納得がいっていない様子だ。
実際のところ、みやびにどういう心情の変化があって、中学校へ再び行き始めたのかは、俺にもよくわかっていない。ぶっちゃけ、なんとなく流れで再開したんじゃないか? みやびはかなり気分屋なところがあるからな。
それからも、俺は久しぶりに両親といろんな話をした。学校のこと、バイトのこと、あとはみなとのこと……。うまくやっていることを伝えると、二人は驚きつつもちょっと安心したみたいだった。
「さて、実は今日家に着いたばかりだが、お前に伝えなきゃならんことが二つある」
それを聞いて、俺はそのうちの一つの予想がだいたいついた。
「また海外旅行……じゃないの?」
「……そうだ。今回は南米の方に旅行というよりも仕事として行く。とても急なんだが、今日の夜に出発する。母さんもついていく」
「そうなのよぉ」
まあそうだよな……。絶対どこかしらに行くと思っていた。ここは予想どおりだった。
ただ、今日の夜というのはこれはまた急な話だ。一日くらい、いや、一日とは言わず一週間くらい、家でゆっくりしていけばいいのに。
「それで、二つ目っていうのは?」
「……実はな、前回の旅行で仲良くなったロシアの人から、日本に留学する娘のホームステイ先を探しているって言われたんだ」
「……まさか、了承したの?」
「そうなのよぉ、この人、了承しちゃったのよぉ」
「えぇ……」
「すまん……どうにも断れなかった……」
「まあ父さんがお人好しなのは知っているけどさ、せめて俺たちに一言言ってよ!」
「面目ない……」
しょんぼりする父さん。今更、断ることなんてできそうにないよなぁ……。
俺ははぁ、とため息をつくと、みやびはこのことを知っているのだろうか、なんて思いながら聞く。
「で、いつからこっちに来るの?」
「明日だ」
「明日⁉︎」
急に明日からロシアンガールが我が家に来ると言われ、俺は思わず天を仰いだ。
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