第23話 相談
「佐田君、まだいる⁉」
「お、おう……! なんだ、古川さんか……それとほまれも。どうしたんだ?」
C組に到着すると、佐田君はちょうどスクールバッグを持って、教室から出て行こうとしているところだった。
私は、ほまれを掃除用具入れのロッカーに寄りかからせると、佐田君のところへ真っすぐ歩いていく。そして、がっしりと肩を掴んだ。
「あのね、助けてほしいの」
「お、おう……」
私は、さっき起こった事故について、一から十まですべてを話した。
話し終わった直後、佐田君は整理する時間が欲しい、と私にウェイトをかけた。私たちの間に沈黙が流れること十数秒。その間、佐田君は腕組みをしたまま上を向いていた。
「なるほどなぁ……つまり、ロッカーの上から地球儀が落ちてきた衝撃で、ほまれが真っすぐ歩けなくなったり、日本語を話せなくなったりしたのか……」
「そういうことよ」
「えぇ……そりゃまた、変なことが起きたな……」
佐田君は、つかつかとほまれの前まで歩いていくと、ほまれの顔の前に手を翳して振る。
「おーい、ほまれー」
「ආයුබෝවන්」
「ヤバい……本当に何言ってんのかわからん……」
「नमस्कार」
「今、『ナマステ―』って言ったよな? だよな⁉」
相変わらずの謎言語っぷりだ。でも、話しかければ反応は返してくれる。
本当に、元に戻ってもらうにはどうすればいいのかしら……。
佐田君は、しばらくほまれと会話を試みていたが、ついに諦めた様子で少し離れた私のもとまで戻ってきた。
「全然わからん……コミュニケーションが図れないな」
「そうよね……どうすればいいと思う?」
「うーん、ここは一つ、ショック療法を試してみるのは?」
「ショック療法?」
ネガティブな響きの言葉だ。いったいほまれをどうするのかしら……?
「今までの感じだと、ほまれは話しかける……つまり、外部からの刺激には反応しているっぽいんだよ」
「そうね。話しかけたら一応言葉らしきものを返すわよね」
「だとしたら、もっと強い刺激を与えてみるのはどうだろう?」
「もっと強い刺激……」
「そうしたら、もしかしたらショックでほまれの自我が戻ってくるかもな」
『もっと強い刺激』。私はその言葉を反芻する。
今のところ、これ以外に方法が思いつかない。とりあえずやってみるしかない。
問題は、何が『強い刺激』にあたるのか。暴力は言わずもがな、『強い刺激』だが、まともに立っていられなくなっているほまれにそれをやるのはリスクが高すぎる。余計に壊れてしまうかもしれない。
だから、暴力以外の方法でなるべくほまれに効くような、効果の強いものを考えなければならない。
だとしたら……。
「とりあえず、私、やってみるわね」
「おう」
私は決心すると、ほまれの真正面に立つ。そして、真っすぐほまれを見つめる。
ほまれの瞳がこちらを向く。
「ごめん、ほまれ」
私は一言謝ると、両手を伸ばしてほまれの胸を鷲掴みにした。
そのまま指を動かして、その大きな胸を揉みしだく。
「ちょっ……古川さん⁉」
佐田君の驚いた声が聞こえるけど、私はそれをあえて無視する。
そうでもしないと、背徳感と羞恥心でどうにかなってしまいそうだから。
「Bobbingar……」
数秒間続けたものの、ほまれが自我を取り戻す様子はない。よくわからない外国語を呟いたのみで、様子はまったく変わらなかった。
「はぁ……ダメみたいね……」
こうなったら……アレしかない。アレしか思いつかない。
さっきできなかったことの、続き。これが、一番ほまれには刺激が強いはずだ。
私はほまれの方に体を寄せていく。私との隙間が狭まり、ほまれは掃除用具入れのロッカーに押し付けられる格好になる。私の方が身長が高いので、こちらからはほまれが上目遣いをしているように見える。
私は自分の胸が高鳴っていくのを感じた。顔が火照っていく。唾を一回飲み込む。
「いくわよ……」
そして、私は目を瞑ってほまれと唇を触れ合わせた。
柔らかい。人間の唇のようだ。本当に人間ではないのか、と疑ってしまうくらい、自然な感触だ。
私はおそるおそる目を開ける。
ほまれの目がすぐ目の前にあった。澄んだ明るい瞳。この至近距離で、ようやくその瞳が本物ではなく、カメラのような何かであることが、微かにわかる。それくらい精巧にできていた。
そんな瞳が、気のせいか、少し大きく見開いているように感じた。
そろそろいいかな、と、十数秒の後に、私はようやく唇を離す。
「っ……はぁ……」
まだ唇に生々しい感触が残っている。今更ながら、自分がとんでもないことをしでかした、という実感が湧いてきた。もう取り返しはつかない。
「古川さん……」
振り返ると、佐田君がポカンと口を開けてこちらを見ていた。その後ろにいる、教室に残っていた生徒たちも、皆一様にこちらを見て唖然としている。
「う、うるさいわね……別にいいでしょ、恋人なんだし……」
ああああああ、恥ずかしい! 今すぐ穴を掘って埋まりたい……!
ほまれのためとはいえ、なんでこんなことをしたんだろう……!
「と、とにかく、ほまれの様子は……⁉」
私は気を逸らすように、ほまれの方を向く。
ほまれはボヤっとしたような目で、私の方を見つめていた。そして、一言。
「Ich liebe dich」
「「直ってない!」」
全然直っていなかった。『イッヒリーベディッヒ』っていったい何よ……。
これじゃまるで、私が皆に見せつけるためにわざわざキスしたみたいな感じになっちゃったじゃないの……。おとぎ話の白雪姫みたいには、なかなかうまくいかないものね。
こうなるのなら、ほまれの意識がしっかりあるところで、ちゃんとキスしたかった……。
「キスでもダメなのかよ……。こりゃ重症だな!」
「はぁ……」
私は頭を抱える。
キス、って十分な威力だと思ったんだけど……。これでも、私の恋人は目覚めなかった。おとぎ話は、所詮おとぎ話なのだ。ほまれは目覚めない。
「どうしたらいいのかしら……」
「ロボ研に行ってみるのは?」
「それは……なんとなく嫌な予感がするの」
佐田君の提案を、私は個人的な偏見で難色を示す。
だからと言って、それ以外の案が私の中にあるわけではない。実は佐田君の言うとおり、選り好みなんかしていないで、大人しくロボ研に行ってみるのがいいのかもしれない。
そんなことを考えている最中に、同じく何かを考えていた佐田君が、それだったら、と切り出した。
「ほまれをこの体に移した本人に聞くしかないんじゃないか?」
「移した本人?」
「確か、ほまれの妹の……みやびちゃんだったっけ?」
「ああ……なるほど!」
確かに、移した本人ならこの状況をなんとかできるかもしれない。ほまれの妹のみやびちゃんは、中学生だけどロボット工学の分野においては最先端をいくスゴい子だ。私たちだけで解決できないのなら、みやびちゃんに頼むのが最善だ。
みやびちゃんはほまれの二つ下だから、今は中学三年生のはず。確か部活には入っていないと聞いているから、この時間帯なら、もう家に帰っているだろう。
「それなら、ほまれを家に連れていくしかないわね」
「俺も手伝おうか?」
「いえ、大丈夫よ。私一人でできるわ」
私はほまれの腕を私の肩に回すと、体重を私の方に預けさせる。
相変わらずかなり重いが、歩けないわけではない。
「確か、ほまれの家は電車で四駅だったかしら……」
ほまれの家には、今まで一度しかお邪魔したことがない。だから、最寄り駅までは行けるけど、そこから家に辿り着けるかは怪しい。
それなら、みやびちゃんに連絡して駅まで迎えに来てもらうのがいいだろう。幸い、私はみやびちゃんの連絡先を持っている。
「行くわよ、ほまれ」
「хорошо」
こうして、私はほまれの家に向かうことにしたのだった。
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