第19話 昼休み

「この辺でいいかしら?」

「うん」


 昼休み。俺は教室を出てみなとと合流すると、校舎内を移動する。そして、空いているオープンスペースを見つけると、そこに置いてある椅子を机の前に移動して、向かい合って座った。


 俺が人間だった頃は、ほぼ毎日、こうやって一緒に昼休みを過ごしていた。ほとんどの生徒は購買に行くか、教室で弁当を広げてお昼ご飯を食べるので、教室からも購買からも離れたこのスペースは閑散としていて静かなのだ。落ち着いて二人だけの時間を過ごすことができる。


 早速、みなとが鞄から弁当を取り出して広げる。そうか、今日はみなとがお昼ご飯を作って来てくれる日だったっけな。そして、俺の方へと片方差し出してくる。


「これ、ほまれの分の弁当ね」

「ありがとう……って俺、食べ物食べられないんだ」

「え? そうだったの?」


 いつもの癖で、作ってもらったのをつい受け取っちゃったけど、俺の今の体は機械。食べ物を受け付けるはずがない。重要なことを言い忘れちゃったな……。


「じゃあ、ほまれはいったい何で動いているのよ? 食べ物を分解して動いているんじゃないの?」

「俺は充電式だよ」

「へぇ。じゃあ、私のスマホ充電できる? 昨晩充電し忘れちゃって、あと三パーセントしかないのよ」

「俺はモバイルバッテリーじゃないよ!」


 わぁ、デジャブ感満載! 皆は俺のことを歩くモバイルバッテリーだと思っているのかな? 悲しいなぁ……。


「それで、このお弁当、どうしよう……」

「あ、それなら私が食べるから問題ないわよ」

「え? でも……」

「これくらい平気よ」


 そういえば、みなとはかなりの大飯食らいだった。これくらいは余裕なのかな?


 みなとは、俺のために作ってきてくれた弁当を、自分の方に引き寄せると蓋を開ける。中からは、彼女自身の分の弁当と同じくらいおいしそうな料理……というかまったく同じ料理が詰まっていた。いい匂いが漂いだす。


 くっそぉ……。みなとの作る弁当、食べたいなぁ……。そう思うと、余計にお腹が空いてくる、気がする。体的には全然そんなことはないし、そもそもそんな感覚は感じないけど。


「それじゃあ、ほまれはこれから何も食べられないわけ?」

「この体でいる間はね。あ、でも水は飲めるよ」


 あー、何も食べられないからか、代わりに水が飲みたくなってきた。


「ちょっと水飲んでくるね」


 俺はみなとに断って席を立つと、すぐそばにあるウォーターサーバーで水分を補給する。体が熱くなっているわけではないが、飲んでも害になるわけではないはずだ。


 そういえば、これまで何回か水分補給はしているけど、水分が体から出ていったことはない。普通に考えれば、このまま無限に水分が補給できるわけがない。いつかは体から排出しなければ、体内が水でいっぱいになってしまうはずだ。

 その辺の仕組みはどうなっているんだろう? 気になる。


 そんなことを考えながら席に戻ると、みなとはすでに二つの弁当を半分ずつくらい食べ終わっていた。

 食べるの速くね⁉ みなとって、こんなに早食いだったっけ……?


「そういえば、さっきから気になっていたんだけど」

「どうしたの?」

「ほまれ、あなた妖怪アンテナが立っているわよ」

「ようかいあんてな?」


 俺は頭のてっぺんに手をやる。すると、何か細長くて柔らかいものが手のひらに触れる。俺が手のひらを動かすと、それも一緒にゆらゆらと揺れた。


 俺はスマホを取り出して、インカメラにして自分の顔を映す。

 すると、確かに俺の頭のてっぺんの髪が、数本まとまってビヨンと重力に反して跳ねていた。


 これまでまったく気にしていなかったが、一度指摘されると気になってしまう。


 寝癖が直っていないのか? というかそもそもこれは寝癖なのか……?

 何にせよ、俺はとりあえずその跳ねているアホ毛を押さえつける。


 数秒経って手を離すと、アホ毛はまたビヨンと立ち上がった。

 何回も繰り返した。アホ毛はそのたびにしつこく立ち上がった。


「だー! なんで直らないんだー!」


 ビヨンビヨンと、俺をからかうかのように跳ねるアホ毛に、俺はちょっとキレた。


「もしかして、何かの仕様なんじゃない?」

「えぇ……それはないよ」


 だって、アホ毛を立たせるメリットなんかないじゃん。デメリットもないけど。強いて言うなら、アホ毛があるとチャームポイントになる……とか?


「案外、重要な意味があったりして」

「そうなのかな……」


 帰ったらみやびに聞いてみよう……。


 そうこうしているうちに、みなとが食べ終わったようだった。弁当箱は、二つとも綺麗に空っぽになっている。


「ふぅ……ごちそうさまでした」


 スゴいな……。俺だったら絶対にこんな量は食べきれない。


「それで、明日からはほまれの分の弁当は作ってこなくていいのね?」

「うん。……なんかごめん」

「いいわよ別に。こればっかりは仕方がないでしょ」


 彼女は空になった弁当箱を袋に包んで、片付けを済ませる。そして、おもむろに席を立った。


「もう行くの?」


 まだ、昼休みは十五分三十秒残っている。


「ええ。私たちのクラスは次の授業が体育なのよ。授業が始まる前に、いろいろ準備しなくちゃならないから」


 そういえば、今日のA組の五時間目は体育の授業だったな。この前も早めに切り上げて、教室に戻っていたっけ。


「そっか、じゃあ俺も教室に戻ろうかな」


 こんな閑散としたところでぼっちで昼休みを過ごしたいと思えるほど、俺は孤独が好きではない。俺も立ち上がってみなとについていく。


 歩いていると突然、俺の腹部にむず痒いような、くすぐったいような感覚が来た。一瞬、俺の体に何が起きているのかわからず、思考が立ち止まる。だが数秒経って、その感覚が何を表しているのか、俺はようやく察することができた。


 なにせ、久しぶりの感覚なのだ。しかも、さっきそのことについて考えたばかり。狙ったとしか思えない。


 あー、そんなことを考えている間に限界がどんどん迫ってきた。ヤバい。

 そして、俺たちがちょうどトイレの前に差しかかった瞬間、俺はみなとの背中に声をかけて一言。


「ごめん、ちょっとトイレに行ってくる!」

「ええ……ちょっ、待ちなさいほまれ!」


 俺がトイレに駆け込もうとしたその瞬間、みなとが慌てた様子で俺のツインテールの片方を引っ掴んできた。勢いで頭から後ろにひっくり返りそうになったが、なんとか踏ん張る。

 俺は思わず振り返って文句を言う。


「みなと、何をするの⁉ 冗談抜きで今急いでいるんだって!」

「あなたこそ冗談じゃないわよ! 男子トイレに駆け込もうとするなんて!」

「え? あ、男子トイレ⁉」


 一瞬、みなとの言葉の意味がよくわからなかった。しかし、数拍置いて、彼女が言わんとしていることの重大さを、俺はようやく理解できた。


 俺、この見た目で男子トイレに入ろうとしていたんだよな……。もしみなとが引き留めてくれなければモラル的な大惨事が起きていたかもしれない。


 そもそも、この体で男子トイレに入っても……ね。個室に入らないと無理だ。


「焦るのはわかるけど……危なっかしいわねホント」

「ごめん……引き留めてくれてありがとう」

「用の足し方とか、女子トイレの構造とかは知っているわよね?」

「それくらいは知ってるよ!」


 さすがにそこまで無知ではない。女子トイレは個室で区切られているとか、座ってするとか……あとは男子トイレに比べてめちゃめちゃ混みやすいとか……。


 ってか、早くトイレに行かないと。マジでもうヤバい。


 結局、俺は、女子トイレの方に入ることになった。これから、この体でいる時はずっとそうしないといけないから、間違えてしまいそうで怖い。それに、女子トイレに慣れきった頃に体が戻ったら、男子なのに女子トイレの方に入ってしまいそうで怖い。


「とにかく、早く行ってきなさい」

「わかった」


 俺はさっさと用を足すために、急いで女子トイレへ入るのだった。

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