第17話 放課後②
「もう、この辺でいいかな」
「はぁっ……はあっ……」
珠算部の部室から無理やり連れ出された俺は、部室棟を二階分駆け上がると、ようやく落ち着いて廊下を歩く。
追っ手は来ないようだ。とりあえず助かった……。あのままでは俺の無能っぷりが珠算部の人に晒されてしまうところだった。
それにしても、この女子生徒……確か山内、といったか。いったい俺に何の用なんだ? わざわざ珠算部に来て、俺を攫っていくなんて、よほどのことがなきゃやらないだろう。実はただの超お人好しなのかもしれないけど。まあ、何にせよ、俺を窮地から脱出させてくれたことに変わりはないので、そこは感謝だ。
「大丈夫? 歩ける?」
「あ……うん」
山内は息が荒い俺を心配して、わざわざ振り返って聞いてくる。今でも体をうまく使えていないからなのか、激しく動くと息が荒くなる。これでも、当初に比べればだいぶマシになった方なのだが。
「それで、俺を連れ出して……いったい何の用ですか?」
「タメでいいよ。同学年なんだし」
そう言うと、山内はすぐそばの部室の扉を開けて入っていく。部室のプレートには『室内遊戯部』の文字。えもいわれぬ謎の悪寒が俺の体に走った。なんだかとても嫌な予感がする……。
ここはそーっと、バレないようにお暇した方がいいな……。
そう思って、できるだけ音を立てずに帰ろうとすると、部室の中に入ったはずの山内がひょこっとこちらへ顔を出した。思わずビクッと反応してしまう。
「どうしたの? さ、中に入って」
「え、あ、いや……ちょっと」
「もしかして逃げようとしているでしょ?」
「う……」
俺は言葉に詰まって、動きが止まる。その隙に山内は素早く動くと、俺の脇の下から腕を通してがっしりと羽交い絞めにした。
「ひゃああぁぁああ!」
「逃がさないぞー」
そのまま踵を引きずりながら、俺はズリズリと部室の中に連れ込まれる。この女子、めっちゃ怪力だな! 俺、全身が機械だから相当重いはずだと思うんだけど。
強制的に室内遊戯部の部室に引きずり込まれた俺は、入ってすぐそばにあった椅子に座らされる。目の前には机が二つくっつけられていて、その上に将棋盤が広げられていた。盤上には駒が散乱している。山内は俺の向かいの席に腰掛けた。
俺はこれから何が起こるのか悟った。
「それじゃ、将棋を始めよう! さて、世界最強のAIを積んだあなたのお手並み拝見といかせてもらうよ!」
「…………」
もはやどこからツッコんでいいかわからず、俺は天を仰いだ。
山内の目的は、おそらく、この将棋で俺と戦って俺の能力を試すこと。珠算部の人とまったく同じ思考回路をしているらしく、体が機械になったことで、俺が人間離れしたスゴい能力を得たと思っているのだ。
ただ、珠算部の人よりも酷いのは、山内の勘違いには余計な尾ひれがついているということだ。さっきからAIを積んでいるとか、それが世界最強のAIだとか……。俺はそんな大層なもん積んでねぇっつーの!
そもそも、この数日間でわかったことだが、変わったことといえば体が機械になっただけで、俺の運動以外の能力は人間のときとほとんど変わっていないのだ。だから、暗算の速度にせよ、ゲームの腕前にせよ、それは俺本人の実力までしか出せないのであって、体自体の能力の限界まで出せるわけではない!
しかし、このことを目の前の山内に話しても、簡単には納得してくれそうにないだろう。そもそも、これを説明するのが非常に面倒くさい。ただでさえ勘違いしているガールなのだから、わかりやすく説明しなければならないだろうが……その説明をするのに時間がかかりそうだ。
それに、タイミング的に話すにはもう遅いようだ。やる気満々なのか、もう将棋盤に駒を並べ終わっているし……。あとはスタートを待つだけの状態だ。
俺は諦めて、対局することにした。
「将棋のルールはわかる?」
「……まあ、それなりには」
それぞれの駒がどの方向に動かせるのかくらいは知っている。だが、その他のルールは大雑把にしか把握していない。そもそも、将棋なんてほとんどしたことがないのだ。
「それじゃ、始めよっか! 最初はそっちからでいいよ」
「わかった」
確か初手は『2六歩』がいいとか聞いたことがある。詳しくわからないのに、これ以上考えても仕方がないので、とりあえず俺はそのとおりに歩を一つ進める。
「結構好戦的だね」
そう言いながら、山内は即座に迷いなく駒を動かす。初心者の俺が見てもわかるほど慣れた手つきだ。謎の迫力さえ感じる。ヤバい、さっきまで一ミリくらいあった、勝てる望みが一瞬で潰えた。
そもそも俺は、将棋に限らず、ゲームの類がめちゃくちゃ弱い。具体的には、将棋、囲碁、オセロなど、じっくり頭脳を使う系のゲームだ。頭を使おうとすると、逆にどんな手を打つべきなのか混乱してしまい、余計に悪手を打ってしまうのだ。
ただテレビゲームの類は例外だ。大乱闘するゲームとか、原生生物を操るゲームとか、とにかく戦車を撃破しまくるゲームは、比較的得意な部類だ。
あー、これがビデオゲーム勝負とかだったら、もう少し希望が持てたかもしれないんだけどなぁ……。
「はい、王手」
「……」
その声で、俺はハッと現実に引き戻される。そして、盤面をもう一度しっかり見る。
いつの間にか自分の玉に相手の駒が迫っている。一手先は詰みだ。玉の周りを見てみるも、逃げ道はない。逃げたとしても、一手先で打ち取られるという状況だ。
……完全に詰んだ。
「負けました」
俺は将棋盤に額をつけて、潔く降参した。
「……十五手だけど」
「はい」
自分でもスゴいと思う。真剣にやってこの手数で負けるのは逆に至難の業じゃないのか? 世界記録を狙えそうだ。
しばらく山内は険しい表情をして黙り込む。俺はいたたまれなくなって俯く。
やっぱりきちんと説明した方がよかったんじゃないか、と今更ながら後悔する。
「わかった」
そして、山内は何かを理解したかのようにパチンと手を打った。
さて、いったい何と言葉をかけられることやら……。スカートをギュッと握りしめてる。
「さては……まだ学習途中だったんだね!」
「へ?」
「ほら、なんだっけ、今話題の、ディープインパクトじゃなくて……ディープラーニング? だっけ? まだあれをやっている最中だったんだよね! ごめんごめん、早とちりしちゃった」
「……へ?」
反応がまったく予想外すぎて、どうリアクションしていいのかわからない。
もちろん、ディープラーニングをしている事実はない。そもそも俺はAIを積んでいないのだから、そんなことするはずがない。
「まあ、これからどんどん強くなっていくんだよね! ディープラーニングとやらで世界最強になるんだよね!」
山内は笑顔のままバシバシと俺の肩を叩いてくる。
なんかどんどん話が複雑化してデカくなっているんですけど! あー、頭が痛くなってきた気がする。いったいどこをどうやったらこんな謎の勘違いが発生するんだ……。
「今度、また対戦しよう!」
「う、うん……」
「じゃあ、またね!」
怒涛の展開の後に、俺はようやく解放された。勘違いを訂正する暇も気力もなく、俺は椅子から立ち上がって部室を後にした。
また対戦する約束をしちゃったけど……ま、いっか。
「早く荷物を取って帰るか……」
そう思って、部室棟から自分の教室へ戻ろうとした。
その瞬間、俺の後ろから俺の名前を呼ぶ声。
「あの、天野ほまれさん、ですよね?」
振り返ると、そこには一人の女子生徒がいた。
メガネをかけた大人しそうな女子だ。確か去年クラスが同じだった覚えがある。名前は確か……鳴門、だったか。とはいえ、話したことはほとんどない。
「はい、そうですけど……」
「あ、あの、今時間ありますか?」
「え、まあ……空いている、けど」
反射的に俺は空いている、と言ってしまった。人によく言われるんだけど、俺ってどうも嘘をつくのが苦手なんだよな……。ついつい正直に言ってしまう。
「そ、それじゃあ、一緒に部室まで来てくれませんか? お時間はそんなに取らせませんので……」
「……わかった。行くよ」
俺はまた何か試されるのか、と少し身構える。だけど、珠算部や室内遊戯部の人よりは物腰が柔らかなので、そんなに悪いことはされないような気がする。
俺は、鳴門の後ろについていく。
「そういえば、何部だっけ?」
「えっと、ロボ研っていうんですけど……」
ロボ研……ロボット研究会の略だろうか。今まで一年ちょっとこの高校で過ごしてきたけど、そんな名前の部活は初耳だ。本当にこの学校には部活が多いんだな。もしかしたら俺が他の部活に関して無関心すぎるだけなのかもしれないけど。
そのロボ研の部室は、同じ階の廊下の突き当たりの近くにあった。騒がしい中心部から離れた、閑静な場所だ。
「中へどうぞ」
鳴門がガラガラとドアを開けるので、俺は中に入る。そして、彼女が部屋の照明をつけると、ロボ研の部室の全容が浮かび上がった。
「おぉ……」
俺は思わず感嘆の声を漏らした。
部屋のそこら中にいろんな機械が鎮座している。真ん中にはデスクがあり、その上にはパソコンが三台ある。そこから様々なケーブルが床を這って部屋中に延びていて、カオスな模様を描いている。
高校にこんな部屋があるなんて……情報の授業で使うパソコン室よりもよっぽど『それっぽい』感じがする。
「ささ、どうぞこちらへ」
「うん」
「では、これを被ってください」
俺は案内されるままに、ポツンと置かれている椅子に座る。そして、ケーブルがたくさんついた丸い帽子みたいな機械を手渡された。
なんだか脳波を測る機械をグレードアップしたような感じだな……。俺の頭の中に脳なんて入っていないのだけど、何を計測するのだろうか?
「それでは、そのまま待っていてください……」
そう言うと、鳴門はパソコンに向かってカチカチと操作をする。
そして、タァン! とエンターキーを押した高らかな音が部屋に響き渡ったその直後。
「うっ……」
突然、視界がぐにゃりと歪んだ。
同時に、絶対に感じるはずのない頭痛、そして耳鳴りまでもがし始める。それらは時間が経つにつれてどんどん酷くなっていった。まるで、すべての感覚が強引に引っ掻き回されていくような、不快極まりない感覚だ。
考えがまとまらない。思考をすることさえつらくなってくる。
「うああぁぁああぁぁああぁぁああ!」
「す、スゴい……! 素晴らしい結果が出ている……!」
どこからか、そんな声が聞こえる。鳴門の興奮した声だ。
間違いない、こんなことになっているのはこの被っている機械のせいだ……。これが俺に対して、何かをしているんだだ……!
物腰が柔らかそうだから、悪いことなんかされなさそうだ、と思った奴誰だよ! 今までで一番ヤバいじゃねぇか! むしろ、一番控えめだからこそ、その裏に隠れている目論見を警戒しなければならなかったのかもしれない。
俺は頭の機械を外そうとする。
「くそ……なんで抜けない……⁉」
しかし、いくら上に動かしてもなぜか抜けない。頭にすっぽりとはまっているせいで、とても取りづらくなっているのだ。
「うぐっ……」
視界が明滅する。周りの音が混ざって奇妙な音が聞こえる。これがアポカリプティックサウンドか。目の前が前後左右に絶え間なく回転している。ダメだ、これ以上何も考えられない……!
壊れる、とついに俺が諦めかけたその時、頭にはまっていた機械がすっぽり抜けた。その瞬間、あれだけ酷かった不調が、見事なまでに消え失せる。
前を見ると、いつの間にかそこには鳴門の姿。手には俺が被っていた機械。彼女が外してくれたのだ。助かった……。
だが、一息つくにはまだ早かった。気づいていないだけで、俺には最大のピンチが迫ってきていたのだ。
「ほまれさん……! あなた、素晴らしいです! まさかこれほどとは思っていませんでした!」
「え、えぇ……」
ズイっと俺に顔を近づけて、鳴門は早口でまくし立ててくる。ギラギラと目は輝き、荒い鼻息が俺の顔にかかる。そして、手に持っていた機械を脇に放ると、尋常じゃない、狂気に満ちた目で、俺を覗き込むとこう言った。
「ほまれさん! ぜひ、ぜひとも、あなたを分解させてください!」
「嫌だよっ!」
俺はダッシュでその場から逃走した。
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