第16話 放課後①

「やべぇ……めっちゃ疲れた」


 放課後になる頃には、俺はぐったりするほど疲れていた。

 もちろん、肉体的には何の疲れもない。電池残量はまだ七十八パーセントも残っているし、体には何の異常もないからな! 疲れは精神的なものだ。


「お疲れ、ほまれ。人気者はつらいよなぁ~」

「人気かどうか知らないけど、ホントだよ……」


 佐田が俺の隣の空席に腰掛ける。この苦労をわかってくれるのはお前だけだよ。


 どこからか噂が漏れたのか、休み時間になるごとに俺が美少女アンドロイドになったのを聞きつけた野次馬に群がられたのだ。しかも、時間が経つごとにその数はどんどん増えていった。俺は見世物じゃないっつーの!


 今こそ落ち着ているが、昼休みなんかは特に大変だった。野次馬が廊下を塞いで通行の邪魔になるくらいだったのだ。それを避けるために、俺は昼休み中、構内でかくれんぼをする羽目になった。もし俺が人間だったら、昼飯を食う暇がなくて困っただろうな……食事のいらないこの体に感謝だ。


「ラムネいるか?」

「いや、大丈夫。というかそもそも俺、食べ物食べられないから」

「あ、そうだった。ごめん」


 それはそれでおいしいものを味わえなくなるから嫌なんだけどね。

 佐田はよく俺にお菓子を振舞ってくれたけど、それすらもう食べられないのだ。


 ラムネを一つ口に放り込むと、佐田は俺に尋ねてくる。


「それよりお前、授業大丈夫そうか? しばらく休んでいただろ?」

「それがなぁ……ぜんっぜんわからん!」


 今日は六時間みっちり授業があった。だが、しばらく休んでいた影響は決して軽いものではなかった。むしろ、今の俺にとっては重すぎた。


 世界史はいつの間にか古代ギリシャから古代ローマに入っていたし、化学は理論化学から有機化学に入っていたし、数学だって三角関数がなんか、合成? されているし、英語も新しいセクションに入っているし……唯一、そんなに進んでいない国語だけが救いだ。


 けど、俺は理系だから、結局大変なことには変わりがないんだよな……。特に、数学は前回の小テストが赤点ギリギリだったから本当に苦しい。


 俺が今日の授業を思い出して苦い顔をしていると、それを見かねたのか佐田が提案してきた。


「後でノート送ろっか?」

「マジで⁉ ありがとう~」


 俺は感極まって思わず佐田を抱き寄せた。やっぱり持つべきものはよき友だ。


「ちょっ! 近いって! ほまれ! くっつくなー!」

「ご、ごめん……!」


 すると、慌てた様子で佐田が抵抗してきた。

 はっ! 無意識の行動とはいえ、男子が男子を抱き寄せるのはちょっとマズい。俺も慌てて佐田から身を引く。


「ほまれ……あまりむやみに男子に抱きつかない方がいいぞ……」

「え?」

「考えてみろ……お前は普通に男子どうしの何気ない触れ合いだと思っているかもしれないが、俺からしてみればめっちゃ可愛い女子に抱きつかれているんだぞ」

「た、確かに……」


 その言葉で俺は思い出す。いくら気持ちが男だからと言って、外見は美少女そのものなのだ、と。

 自分がはたから見たら女の子だと、それを鑑みて改めて考えると……とんでもないことをやらかしてんな、俺! 今更ながら恥ずかしくなって顔が熱くなっていく……気がする。


「そ、そのな……なんかいろんな部分が当たるんだよ……」

「ふえっ⁉」

「だが大丈夫だ! 俺はこんなことでは動じんぞ! だから別に抱きついてきても大丈夫だー!」

「ちょっ、佐田! 鼻血出てる!」


 全然大丈夫じゃねぇじゃん! 鼻血を出すほど興奮してんじゃねぇか! 俺は慌ててポケットティッシュを取り出して、佐田に手渡す。


 とにかく、これからは自分の挙動に気をつけよう。もうちょっと節度ある行動をしなければ、大変なことになってしまう。学校で過ごそうにも、気にしなければならないことが多くてなかなか大変だ。


 こうして俺たちが教室で大騒ぎしていると、不意に教室の後方のドアが勢いよく開いた。その音の大きさに、一瞬教室中がしんと静まり返って、皆がそちらへ目を向ける。


 そこに立っていたのは、一人の男子生徒。彼と面識はない。

 皆の注目を一身に浴びるが、それを意にも介さない様子で、彼は俺の方へ真っすぐツカツカと近づいてくる。


「天野ほまれだな?」

「そ、そうですけど……」


 謎の迫力に、俺は思わずビビる。な、なんだ? これから俺、コイツによって警察にでも連行されてしまうのか? めちゃくちゃ怖いんだけど。


「今から都合はつくか?」

「は、はぁ……大丈夫ですけど」

「それなら、ぜひ一緒に来てもらいたい。珠算部へ」

「しゅ、しゅざんぶ……?」


 『しゅざん』という言葉が『珠算』という漢字に変換されるのに、数秒かかった。珠算って、要するにそろばんをする、っていうことだよな? そんな部活、ウチの高校にあったんだな。

 それで、その珠算部とやらは俺にいったい何の用なのだろう。


「あの、部活なら間に合ってますけど……」


 これでも、俺は男子バスケットボール部に所属している。今この体で活動できるのかどうかは知らないけど。


「問題ない。今日は手伝ってもらいたいことがあるだけだ」

「はあ……」


 手伝ってもらいたいこと……? ますますわからなくなってきた。

 俺はどうしていいかわからず、思わず隣に座っている佐田を見る。視線を向けられた彼は、すぐに反応する。


「別にいいんじゃないか? 部活の勧誘とかじゃないんだし。手伝うだけだろ?」

「うーん……まあいっか」


 佐田の後押しもあり、俺はこの人についていき、珠算部に向かうことに決めた。


「わかりました、行きます」

「ありがとう」


 俺は席を立つと、その男子生徒の後ろについて、廊下を歩いていく。

 それにしても、先輩なのか後輩なのか同級生なのかわからないから、どう接すればいいのかわからないな……。俺の学校は上履きの色が全学年白で統一されているので、学年を見分ける術がないのだ。


 教室のある建物から渡り廊下を通ると、部活動のために用意された部室棟に到着する。放課後になって活動している部活が多いので、人通りはかなり多かった。当然、噂の張本人である俺は、周りの生徒から注目を集めることになる。ジロジロ見られてめっちゃ恥ずかしいんだけど!


「ここが珠算部だ」

「お、おじゃまします……」


 珠算部は部室棟の一階の奥の方の部屋を占有していた。俺は少し小さくなりながら中に入る。


 まず目に入るのは、部屋のど真ん中にある大きな机。そこに向かって、何人かの生徒が粛々とそろばんをいじっている。壁際の棚には、かなりの数のトロフィーが飾ってあり、同じくらいの数の賞状も額縁に飾ってあった。


 この学校の珠算部って、結構スゴいんだな……。


「こっちに来てほしい」


 賞状とトロフィーに見とれていると、例の男子生徒が手招きをしてくる。俺は彼が示すとおりに、部屋の端っこにある机の前に向かって座る。目の前にあるのはパソコンのモニター。彼は、モニター越しに俺の向かい側に座った。


「今からいったい何を……?」


 結局用事とはいったい何なんだ。いい加減教えてほしい。


「今からフラッシュ暗算をしてもらいたい」

「ふらっしゅあんざん?」


 その言葉を聞いてからコンマ数秒経って、俺は意味を理解する。そして、背筋が凍るような思いをした。


 も、もしかしてこの人……俺がアンドロイドになったから、計算能力が上がっていると思っているのか⁉


 フラッシュ暗算とは、画面上に短い時間で次々と現れる数字を使う暗算だ。当然、超のつくほど暗算が速い人にしかこなせない、極めて難易度の高いタスクだ。


 そんなの、俺ができるわけないじゃん!


 確かに、俺の体の中には超高性能のコンピューターが入っているかもしれない。現に、俺がこの体になる前と同じようにこんな複雑な思考をこなせているのだから、それはほぼ確実だろう。

 だけど、今日の授業を受けてわかったことだが、俺の計算能力は人間の頃のまま、大して変わっていない。もし上がっていたとしても、みやびによって制限をかけられている状態だと思う。だから、アンドロイドになった俺の計算能力を試すことは、実はまったく意味のないことなのだ。


 たぶん、俺は彼に相当期待されている。だが、実際はほぼ確実に、この人の予想を下回る結果を出すことになるだろう。


 とにかく、事情を説明しなければ!


「それでは始めるぞ」

「は、はひ!」


 しまった! ついうっかり反射的に返事をしてしまった!


 俺の返事を受け、ディスプレイ上では無情にも『START』の文字が表示された。もう取り返しのつかないところまで来てしまった。


 ……もうなにがなんでもやるしかない。全力で、当たって砕けろだ。

 そして、『START』の文字が消え、数字が表示されるまでの、画面が一瞬暗転した、その瞬間だった。


「見つけた!」


 ガラッ、バンッ! と、とてつもなく大きな音が部屋中に響き渡った。

 おやおや、誰かに見つけられたぞ! 思わず視線をそちらに向ける。


 そこにいたのは一人の女子生徒。ちょくちょく見かけることがあるから、たぶん同級生だ。だけど名前は知らない。彼女はドアを開けるなり、俺の方へと一直線に向かってくる。


「あなたが天野ほまれね! 噂は聞いているよ! スゴいAIを搭載しているんだってね!」

「そんなの搭載していないよ!」


 どんだけ話が肥大化しているんだよ! なんだよAIって! 積んでねぇよそんなの!


 この闖入ちんにゅう者に、向かいに座っていた珠算部の彼が慌てて立ち上がる。


「おい、山内。今は僕が用がある……」

「あ、野山君。ちょっとこの子借りてくね~」

「え? え! えええ⁉」


 俺は強い力で、その山内と呼ばれた女子生徒に引っ張られる。

 そのまま椅子から立ち上がらせられると、あっけにとられる珠算部の面々を前に、フラッシュ暗算をすることなく、俺は珠算部の部室から連れ出されるのだった。

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