第14話 登校再開②
俺たちは家の最寄り駅に着くと、学校へ通うために使っていた、いつもの電車に乗り込む。
やはり、電車の中は通勤通学の人でいっぱいで、乗車率は百パーセントを余裕で超えている。
これまでの俺だったら、つり革に掴まってただ揺られるだけだったけど、今は身長が低いのでそれすらも難しい。仕方がないので、俺はスタンションポールに掴まるみやびに、しっかりと掴まっていた。
「おに……ほまれちゃん、こんな満員電車の中で通学してたの?」
「そうだよ」
「毎朝よくこんな電車に乗っていられるね……。ホント、尊敬するよ」
電車が停まり、人がどんどん乗り込んでくる。さらに車内が混雑し始めた。ドア付近に立っている俺は、その影響をもろに受ける。人の圧力でみやびの方にグイグイ押しやられていく。
「ちょっ……きついってほまれちゃん!」
「ご、ごめん。でも、こっちも押されてて……」
中途半端な姿勢でみやびに掴まっていたせいで、そのままみやびの方へ押しやられる。体勢をきちんと立て直すこともできず、みやびの体にピッタリ密着するような格好になった。具体的には、みやびの胸のあたりに顔を押し付けるような感じ。
あ、みやびのいい匂いが……って何考えているんだ俺! これじゃただの変態兄貴じゃないか!
だからといって姿勢を直そうにも、人に押されているので動くこともままならない。俺はそのままの格好でしばらく過ごさなければならなかった。
電車に乗って三駅目。学校に行くには、ここで降りて乗り換える必要がある。電車が停車すると、俺たちは人の波に半ば強制的に押し流されるようにして、混雑した車内からやっと脱出した。
「ふぇ~苦しかった……」
「大丈夫、みやび?」
みやびはさっきの満員電車で体力をかなり使ったのか、もうヘロヘロだ。
電車は下車した人よりもさらに多くの人を乗せて、さらにぎゅうぎゅう詰めになって、都心の方へと発車していった。
本当に学校がこの辺でよかった。あのまま乗っていたら、確実に耐えられなかっただろう。
俺たちはエスカレーターを使い、別のホームへ移動する。あとはここから一駅乗れば、俺の学校の最寄り駅に到着だ。
みやびはキョロキョロと周りを見渡すと呟く。
「……ほまれちゃんと同じ制服の人がいっぱいいるね」
「そうだね」
俺と同じ制服を着た人が、ホームの至るところにいる。その中には、顔を知っている人が何人かいるし、なんならクラスメイトもいる。
今ここで俺が話しかけに行っても、絶対に俺とはわからないだろう。逆にこの見た目でわかったらスゴいと思う。尊敬する。
ヤバい、なんか緊張してきた。こんな姿になった俺を見て、クラスメイトはどう思うだろうか。笑って受け入れてくれるだろうか。馬鹿にしてくるだろうか。気持ち悪がられて、近づいてこなくなってしまうだろうか……。いじめられてしまう可能性だってある。
「どうしたの? 手が震えているけど」
「えっ?」
手元に視線を落とすと、無意識のうちに左手がブルブルと震えていた。俺は慌てて右手で震える左手を押さえつける。たとえ体が鉄になったとしても、心まで鉄にはなれないようだ。
「ははぁ……さては緊張しているな、ほまれちゃん」
「な、そんなわけないし……!」
「その反応は図星だね。ほまれちゃん、わかりやすいから」
みやびはズバリ俺の心境を言い当てる。みやびは勘が鋭い。
あまり認めたくはないけれど、みやびの言っていることは事実だ。
俺たちの間に静かな時間が流れる。遠くでアナウンスが流れ始め、ガタゴトと、電車がレールの上で揺れながらやってくる。
みやびが俺の肩にポンと手を置いた。
「まあ、気にしすぎるのもよくないよ。クラスメイトはいい人ばかりだ、って前に自分で言ってたじゃん」
「そうだけど、ね……」
みやびの言っていることはもっともだ。気にすることも大事だが、気にしすぎないことも大事だ。それに、今からどうこう言ったって、この体から今すぐ元の体に戻るわけではないし、学校に行かなくて済むわけでもない。
「とりあえず、行ってみないとわからないって」
「うん」
俺たちは、ちょうどやってきた電車に乗り込む。
車内は、俺と同じ制服を着た生徒でいっぱいだった。周りを見渡せば見知った顔が十人は見える。電車でばったり会ったときには、他愛もない話をして登校するくらい仲の奴らだ。しかし、俺にまったく気づかずにいる……。少し不思議な、それでいてちょっと不安な気分になる。
乗り換えてから電車に乗っている時間は短い。電車が一駅先のホームに着くと同時に、学生たちは解放されたように電車からどっと流れ出る。そのまま改札を出ると、俺たちは人の波に乗って学校へ向かう。
それにしても周りからの視線が痛い。駅周辺にある学校は俺の高校だけ。俺を含め、皆が揃って同じ制服を着ている中、一人だけ違う格好をしたみやびがいるのだ。当然ながら、みやびは皆の注目を集めていた。
なんだか俺まで恥ずかしくなってきた……。逆になんでみやびは一人だけ目立っているこの状況で平然としていられるんだ。メンタルめっちゃ強いな。やっぱり、大勢の人の注目を集めるのに慣れているからだろうか。
そして、たくさんの生徒に交じって、俺たちは校門をくぐり、昇降口の前まで来た。みやびとはここでお別れだ。
「それじゃ、私は担任の先生と校長先生と話してくるから。あとは頑張ってね」
「う、うん」
そう言うと、みやびは職員用の玄関へ向かって行った。その背中が校舎の角を曲がって見えなくなるまで、俺は見送る。
俺はため息をついた。そして、足を昇降口の方へ向ける。
「行くか……」
少し不安だけど、大丈夫だと信じて、今は先に進むしかない。
俺は自分の下駄箱から上履きを出すと、それに履き替える。足のサイズまで小さくなったので、かなりぶかぶかだ。かかとが浮いてずいぶん歩きづらい。これも、みやびに言って替えてもらわなければ。
そして、身長が低くなったせいで、見慣れてるはずの学校の中の景色が少し違って見える。身長が百七十五センチあった時には気づかなかったところに掲示物が貼ってあったり、落書きがされていたりする。
そんなことを考えていたのだが、やはりそれはただの不安からの逃避にしかすぎなかった。自分の教室に向かうにつれ、抑えられていた不安が再び大きくなる。
先生は俺のことをちゃんとクラスメイトに周知してくれているのか? 皆は、こんな姿になった俺を受け入れてくれるのか?
そんなことを考えれば考えるほど深みにはまっていく。歩くスピードが自然に遅くなる。いっそこのまま止まって回れ右をして家に帰ってしまいたい。まだ教室にすら着いていないけど。
俺はそんな気持ちを無理やり押さえつけると、足をどうにか回転させて歩き続ける。
そして、自分の教室へ到着した。懐かしいような、けれどついに日常に帰ってきた感じがする。
でも、やっぱり今の俺にとって、教室に入るハードルは高い。ついこの前までは、何も考えることなく堂々と入れたのだが……。教室のドアを前にして、どうしても足が竦んでしまう。
そんな風にドアの前で逡巡していると、俺に気づいたクラスメイトの女子が一人、こちらに近づいてきて声をかけてきた。確か名前は……飯山、だったか。
「誰かに用があるの? 名前を教えてくれれば呼ぶよ?」
「え? えっと……」
なんか勘違いされてる! 誰かを呼びたいんじゃなくて、ここのクラスに在籍しているんですけど!
俺が慌てていると、どうやら飯山は、その挙動から何かを察したようだった。
「大丈夫だよ、どの先輩をお呼びかな〜?」
「あ、う……」
なんか後輩と勘違いされてるー! 違う違う、俺は君と同じ高校二年生! クラスメイトだよ! しかし、俺は飯山の勘違いをうまく否定することができない。ここで正体をバラしてしまうことへの抵抗感が拭えないからだ。いつもなら普通に話せるはずなのに、急にコミュ障になってしまった気分だ。
しかも、なんか飯山が待ってくれているんだけど。もしかして、俺が喋るまでずっと待ってくれているのか⁉ 後輩に優しいな! でも、今のこの状況においては俺に優しくしなくていいよ! しかも、教室にいるクラスメイトたちから地味に注目を受けているんだけど! 視線がグサグサ刺さって痛い!
マジでどうしよう、この状況。このままだと埒が明かない……!
だったら、俺がとるべき手段は一つだ。これを実行するしかない。
正体をバラす。
あーもう、どう思われようがどうでもいい! いずれバレることなのだ。ええい、ままよ!
こうして、口を開きかけた瞬間だった。
「そこで何をやってんだ、お前ら」
突然、後ろから声がかけられる。その声に聞き覚えがありすぎて、思わず俺は振り返る。
そこに立っていたのは、我らが担任、斎藤先生だった。サバサバしている性格の女の英語の先生だ。なぜか男女問わず熱烈なファンが多い。
「あ、先生! おはようございますっ!」
飯山が挨拶をする。俺もつられて頭をペコリと下げる。
「おはよう」
先生は飯山を一瞥すると、今度は俺の方へと視線を向ける。そして、本当に何気なく、サラッと言った。
「おう、天野か。よく来たな。話には聞いていたが、本当に美少女になっているとは……」
「ど、どうも……」
俺の口よりも先に、先生の口から、俺の正体がバラされた。
どうやら先生にはきちんと俺だと認識されているようだった。
「……先生、この子知っているんですか?」
飯山が俺を挟んで先生に尋ねる。対して、先生は、何を言っているんだ? みたいな表情で、当然と言わんばかりに返事をする。
「知っているも何も、お前らのクラスメイトの天野ほまれだぞ。今日から復帰だ」
一瞬の静寂。
「……ええええええええ⁉」
その直後、飯山含め、一連のやり取りを見ていたクラスメイトたちの驚きの声が、教室にこだましたのだった。
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