第5話 体力テスト③

 気づくと、俺は壁に寄りかかって座っていた。


 意識を取り戻すと同時に、体の至るところに何か冷たいものが当たっている感覚がする。いったい何なんだ……?


 冷たい感覚がする部位の一つである、首に手を当てる。すると、俺の手が何かふにゃっとしたものを掴んだ。そのままそれを目の前に持ってきて、正体を確かめる。


「これは……保冷剤か」


 俺の手には、熱で中身が溶けてふにゃふにゃになった保冷剤。同じような状態の保冷剤は、太ももの関節近くにも当ててあった。


 すると、入り口からみやびが戻ってきた。その手には、五百ミリリットルペットボトルのミネラルウォーター。意識を取り戻した俺の様子を見ると、急いで駆け寄ってくる。


「お兄ちゃん起きた⁉ 大丈夫?」

「うん……なんとか」

「とりあえずお水飲んで」

「ありがと……」


 俺はノロノロと腕を動かして差し出されたペットボトルを受け取ると、蓋を開けて水を口の中に流し込む。冷えた水が、俺の中に染み込んでいく。


 そのおかげか、さっきよりも少し熱が引いた気がする。それに、体もだいぶ動かせるようになった。


「具合はどう?」

「だいぶよくなったよ」

「それならよかった……」


 ほっ、と安心したように、みやびはため息をついた。


 俺はさっき自分の身に起こったことを思い返す。体が異常に熱くなったかと思ったら、突然意識がブラックアウトした。それからどのくらいの時間が経った? その間、いったい俺の身に何が起こった? 俺はみやびに尋ねる。


「みやび、俺が倒れてからどれくらい時間が経ったの?」

「うーん……五分くらい?」

「そうなんだ」


 五分間もずっと意識がブラックアウトしていたのか。意外に時間が経っているな。


「ちょっと頑張りすぎちゃったみたいだね、お兄ちゃん」

「うん……」

「たぶん、軽く熱暴走が起きちゃったんじゃないかな。それで動けなくなったんだと思うよ」

「そうなのか……」


 どうりで、体中に保冷剤が当てられていたわけだ。それが五分で完全に溶けてしまうなんて……ずいぶん俺の体は熱くなっていたようだ。


 それにしても、たったこれだけの運動で動けなくなってしまうなんて。以前の俺ならまだまだ余裕だったはず。この体、実はかなりのポンコツなのでは?


「ま、とにかくお兄ちゃんはこの体に完全に適応できていないみたいだね……。スペック的には、もっとスゴい記録が出るはずなんだよ」

「そうなの?」

「うん。例えば、五十メートル走だったら、四秒台が出せるはずだよ」

「は⁉」


 五十メートル四秒台。あまりにも速すぎて想像ができない。というか、それって自動車並みのスピードが出るっていうことだよな……。


「お兄ちゃんは、まだ効率よく体を動かせていない。体の使い方が下手くそっていうことだよ」

「そんなぁ……」


 ポンコツなのは体ではなく、俺自身だった。


「……もう大丈夫かな?」

「うん」


 体の熱は引いたし、元のようにめいいっぱい動かせるようになった。いつでも体力テストを再開できる。


「ま、残っているのは、あまり動かない種目ばかりだからね~」


 そう言うと、みやびは握力計を手渡してくる。

 確か、前回の体力テストでは握力は五十キロくらいだったと思う。さて、いったいどうなっていることやら。


 俺は腕を真っすぐ伸ばすと、まず左手で握力計を持って、ゆっくりと力を加えていく。

 持ち手部分が皮膚に食い込んでくるが、全然痛みを感じない。そのまま同じ調子で力を加え続ける。


「ストップストップ! お兄ちゃんもういいよ!」

「え?」

「これ以上やると握力計が壊れちゃう!」


 見ると、握力計の針は百を指したまま止まっていた。ギリギリと軋んで壊れそうになっていたので、俺は慌てて力を緩める。


「スゴいな……こんなに力があったのか……」


 全然意識していなかったけど、とんでもない力が出ていたようだ。さっきまで、この体使えねーなー! と思っていたけど、ちょっと見直したぞ。ただ、握力百キロって何に使うんだよ、っていう話だけど。


「握力は理論値辺りまで出ているね」

「おお! やった!」


 ようやく本気を出せた気分だ。あまり動かずにゆっくりと行う種目は、今の俺にとっては本来の体の能力を発揮しやすいのかもしれない。


「それじゃあ、次は長座体前屈ね」

「わかった」


 いつの間にか、壁際には長座体前屈用の段ボールと、メジャーが設置されていた。用意がいいな……。


 俺は壁に沿って座ると、腕を真っすぐ伸ばして段ボールを掴み、ググっと体を折り曲げる。

 以前なら絶対に曲げられなかった角度まで、痛みもなくスムーズに曲がっていく。そのことに俺はちょっと感動していた。


「七十七センチ」

「おおー!」


 自己最高記録だ。こんなに体が柔らかくなる日が来るなんて……! 体操選手になれそうだ。


「こんなに柔らかくなったんだ」

「本当はもうちょっといけるはずだけどね……。でも、お兄ちゃんスゴいよ」

「えへへ」


 だいぶ調子が出てきたようだ。このまま、次の種目もいい感じの記録を出したいものだ……!


「最後は立ち幅跳びだね」

「わかった」


 俺の目の前には、縦長の白いマットが敷かれている。俺は爪先をマットの先に合わせると、腕を振って勢いをつけ始める。同時にタイミングよく膝を曲げながら、どんどんと腕の振りを大きくしていき……。


 俺は両足で地面を突き放し、俺は勢いよく空中に躍り出る。


 その直前、バランスを崩し、勢いよく顔からマットに突っ込んだ。

 衝撃とともに、視界が暗くなる。


「…………」

「…………」

「百センチ」

「な゛ん゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛‼」

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