第4話 体力テスト②

 俺の両脇には、二本の真っすぐな白線。それらはずっと伸びて、部屋の端っこに至っているように見える。


「On your mark……」


 俺は手前を真っすぐ横切る白線に、両手を合わせる。

 右足を後ろに下げ、左足はさらにその一歩半後ろへ。スターティングブロックに足を乗せる。


「Get set……」


 お尻を上げて、いつでもスタートできるように力を溜める。

 地面を見つめて、その瞬間が来るのを、ただ待つ。


 そして、空気を割るような号砲が鳴った瞬間、俺は勢いよく地面を蹴って走り出した。

 腕を振って、ひたすら前へ、とにかく速く。

 短いようで長いような五十メートルを、全速力で駆け抜ける。


 数秒後、俺はゴールラインを勢いよく通り過ぎた。そのまま、ゆっくり減速して立ち止まる。


 ……すっごく走りにくい!


 背が低くなって、体が動かしにくくなったのももちろんあるが、体のバランスが前とは全然違うのが一番の原因だ。

 具体的には胸とかおっぱいとか巨乳とか……。走るたびに揺れるし、つんのめりそうになる。まさか、ただ走るのがこんなに大変だったとは……。そもそも、このおっぱいの中にはいったい何が入っているんだ?


 俺が一息ついていると、みやびがゴール地点から歩いてきた。


「……何秒だった?」

「八秒七八」

「おっそ!」


 嘘だろ⁉ 俺、そんなに足遅くなったのか⁉

 この前の体力テストでは、六秒八を叩き出したんだぞ⁉ 二秒近くも遅くなっているじゃん!

 結果が信じられなくて、みやびに思わず文句を言う。


「機材のミスじゃないの?」

「いやいや、一応国際大会でも使用されているような機材を使って計測しているからね」


 みやびは隣にある、三脚に載ったドデカいカメラをポンポンと叩く。


「どちらかというと、お兄ちゃんの体の機械のミスじゃない?」


 全力で走ったつもりなんだけどなぁ……。こんなに遅くなっているとは。


「もう一度計り直してみる?」

「……いや、いいよ」


 もう一度やっても、結果は大して変わらない気がする。それよりか、むしろ遅くなってしまいそうだ。


「ちなみに、八秒七八はだいたい十一歳男子並みだね」

「うへぇ……」


 小学五年生の男子と競走していい勝負、ってことか……。なんだかものすごい退化を感じる。


「それじゃあ次に行ってみよう!」


 そう言うと、みやびはいつの間に準備していたのか、俺にハンドボールを手渡してきた。どうやら次はハンドボール投げのようだ。


 ハンドボールって、こんなにデカかったっけな……。体が小さいせいなのか、手のひらに対してずいぶん大きいように感じる。それに、片手だと滑ってまともに投げられなさそうで怖い。


 俺たちは、ハンドボール投げを計測する場所に移動する。

 かなり遠くまで白線が引いてある。確か、この前の記録は二十五メートルだった。


 俺はハンドボールをしっかり掴むと、軽く助走をつけて、腰を捻って、その勢いを利用して、思いっきり腕を振った。


 そして、ボールは勢いよく地面に叩きつけられた。


 その距離、三メートル五十センチ。


「……今のは失敗しただけなんだよね?」

「も、もちろん! ちょっと手が滑っただけ!」


 手を離すタイミングをミスった……。今のはノーカンだ、ノーカン!


「よ、よーし、もう一度やるぞー!」


 俺は新しくボールを受け取ると、もう一度さっきと同じようにボールを投げる。

 そして、ボールはダムッ! と地面に叩きつけられた。


「…………」

「…………」

「三メートル五十センチ」

「と゛お゛し゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛‼」


 まるで投げ方を忘れてしまったかのようだ。おかしいな、全力で遠くにボールを投げるような感覚でやったはずのに、なぜ綺麗な放物線を描かない⁉ ボールの運動方向が全部地面に向かってしまっている!

 まさか、この体はどんなに頑張っても三メートル五十センチしか投げられない設定になっているとか⁉


「……次いこうか」

「うん……」


 上体起こし、十五回。

 反復横跳び、三十五回。


 記録が悪くなって、これだけでも相当気が滅入ったのだが、これ以上にもっと酷い種目があった。


 それが、持久走千五百メートル。

 この前の体力テストでは、だいたい五分くらいだったはずなのだが……。


「はひぃ……はひぃ……」

「お兄ちゃん、あともうちょっとだよ~!」

「ひぃ……も゛う゛む゛り゛……」


 千五百メートルって、こんなに長かったっけ⁉


 最初こそ勢いがよかったものの、途中からだんだん体が重くなってきた。なんとか今まで粘っているが、もう体が全然動かない。しかも、全身が異常なまでに熱い。


「あと二十メートル!」

「ひぃ……ひぃ……」

「はい、ゴール! 頑張ったねー!」


 その声を聞いて、文字どおり俺はトラックに倒れ込んだ。

 もう無理……起き上がれないし、起き上がる気力もない。


「ひぃ……ひぃ……た、タイムは……?」

「十分ジャスト」

「じゅ……⁉」


 持久走が遅すぎる。いくらなんでも十分はかかりすぎだ。カップラーメンは連続で三つ以上作れるし、光は太陽から地球まで余裕で到達できる。


 やっぱり、体と意識が全然合っていないんだろうな……。そうでなかったら、もっと動けるはずだし、もしかしたら人間だった頃よりも記録を伸ばすことだってできたかもしれない。


 それにしても、体の熱さが一向に収まらない。体を動かそうとしてもまったく動かない。体がいうことをきいてくれない。


 いったい何が起こっているんだ……?

 俺の様子を変だと感じたのか、みやびが心配し始める。


「お兄ちゃん、大丈夫……?」

「大丈夫……じゃない……」


 なぜか知らないが頭がボーっとしてきた。思考がうまくできない。視界にモノトーンがかかり、呼吸ばかりが速くなっていく。


 俺の身に、いったい何が、起こっているんだ……?


「お兄ちゃん……?」


 みやびのそんな声を最後に、俺の意識はプツンと切れ、闇に包まれた。

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