第6話


 体育館の隅でクラスメイトが授業を受けているのをボンヤリと眺めるのが授業内容。今男女混合で行われているバトミントン。二人のペアでダブルスの試合を行っているらしい。真剣勝負というよりも親睦を深めるためのレクリエーションのように見える。ペアを作るのに一悶着もあったみたいだが、試合が始まるとなんだかんだ、仲よさそうに話をしながら楽しんでいるようだ。


 参加できる競技がないから俺は体育の授業は殆どが見学だ。水泳だけは得意だったりするが、水泳の授業に参加するためには多くの手間が掛かるから中学校時代は一度も参加していない。小学校の時は父親が手を貸してくれていたような記憶がある。まぁ、高校でも三年間参加することはないだろう。


 こうやって見ているだけで許されるのだから一部の生徒は俺のことを羨ましがっているみたいで、こそこそ、悪口を言っているようだがあまり気にしないようにしていた。


 床にこすれるシューズの音が無数に響く中で、遠目から健吾と志田さんのペアがやっている試合の様子を伺う。運動神経の良いペアなものだから殆どワンサイドゲームになっているし、点数が入るたびに自然とイチャつく二人に対戦相手のペアはいろんなものに負けてしまっているようだった。


「春宮君はいつも遠くから見学しているけれど理由はあるの?」


 いつの間にか俺の隣に現れて体育座りをしていた佐野原さんの元気な声が隣から聞こえる。体育座りをしていれば、俺の方が視線は上になって、そちらを見ると俺のことを見上げる佐野原さんの姿があって、少しドキッとする。


 隣にいることは少し前から分かっていて、気が付かないふりをしていたが、一度意識してしまえばもう手遅れだった。


「あんまり近くに行っても迷惑だからさ。シャトルが飛んできても咄嗟によけられないし」


 実際にはもっと理由はある。だけど、あえて言うことはしない。今言った理由が一番の割合を占めているから、なんの間違いでもない。


「ホントにそれだけが理由なの? 私にはそうは思えないんだよな~。春宮君のことだから『歩けない自分が近づいて周りの雰囲気を壊したくない』とか考えているんじゃないの」


 佐野原さんは俺のことを見つめたまま確信をしているような自信ありげな声で心を読んでくる。


「まぁ、そうだよ。これまでもそうしてきたし、誰かに迷惑をかけないためには、極力動かないことが一番。身の程をわきまえているとも言う。出来損ないの出る場所ではないだろう?」


 自分は周りの人達と同じように過ごしていけると思っていた時期もある。足が不自由でも気にしないで学校生活を送って、恋をして、思い出を振り返りながら卒業をして、大学を目指すか就職して自分でお金を稼げるようになり自立する。分からないけれど、そうやって、大人になっていつかは誰かと結ばれて幸せな家庭を築く。


 現実が見えていなかった頃の俺にはこんな未来を描いていた。思い出すだけで恥ずかしくなる。俺は言い方を変えれば出来損ないだ。誰もが当たり前に出来ることが、一人の力では出来ない。俺が明るい未来を想い描けば描くほど多くの人に迷惑をかける。あの日から、俺はそうやって考えるようになっていた。


 ただ、それを同級生に告白することは間違いだということに全てを話し終えてから気が付いた。


 佐野原さんはバトミントンのコートを眺めながら話し始める。何かを思い返すかのようにゆっくりと。


「完璧で完全な人間なんていないよ。完璧でありたいと思う人は居るけれどそう見える人は見えないところに欠落があると思う。私は春宮君に「大丈夫だよ」なんてことは言えない。だって、足が不自由でどんな思いをしてきたのかを知らないからさ」


 佐野原さんは立ち上がり一歩前に踏み出して振り返る。その表情は優しいものでヒマワリのような温かい笑顔だった。


「だけど、いいじゃん! 出来損ないでも、私だってさ、出来ないことがあるよ?全部一人じゃ無理だし、一人じゃ生きてはいけないよ。だからさ、せめて自分なら出来ることはちゃんとやるの! それで出来ないことがあっても、「私にしか出来ないことがあるし!」って励ましてあげればいいよ」


 佐野原さんは完璧な人間だという評価をする人がいる。実際それは間違っていないと思うが、一方で放課後の付き合いが無いというだけで孤高なんて呼ばれ方をしている。それでも佐野原さんの自分を貫いている心の強さが今の言葉をはじき出しでくれたのだと思う。


「佐野原さんはすごいね」

「そんなことはないよ。春宮君も見つけに行こうか。自分なら出来ることをさ。一人でいても見つかるかもしないけど、見つからないかもしれない。だから、とりあえず、色々やってみよう!」


 そう言って手を差し伸べられた。その手を見たとき一瞬だけ息が詰まって苦しくなる。


『私が春宮君に優しくしていたのは、歩けないのが可哀想だったから!大変だろうなと思って手を差し伸べて手伝っていただけ、ただの善意だから、付き合うとかは無理、じゃあね……」


 中学2年の景色が脳裏を過る。感覚が蘇り、切り裂かれた傷がじゅわりと広がり、そこからぽたりと一滴血が滴る。思い出される記憶は色あせたりすり切れたりもしていない生々しいもの。


『その手を取ればまた血を流すことになる』


 心は真っ暗で自分の声だけが聞こえる。その声は拒絶することを勧めた。傷を付く自分を守るために、もう二度と同じ間違いをしてしまわないように。心は暗く閉ざされている。


「春宮君にいい言葉を教えてあげる。『「できること」が増えるより、「楽しめること」が増えるのが、いい人生』って言った人がいるんだって、この間、春宮君が借りていた本に書いてあったんだ。きっと、難しいことだと思うけどさ。そうやって生きて行けたら良いと思わない?」


 暗闇から引き上げられるように佐野原さんの言葉が心に吸い込まれていくのを感じる。今もまだ、彼女は手を差し伸べたままでいてくれている。その手を取れば彼女の言ういい人生に達することが出来るのではないかと思ってしまっている自分がいる。


 心の世界で引き留めていた自分とはまた違う自分。


「もう一回だけ、夢を見ても良いのかな?」


 心に問いかけても返事はない。ただ、手を伸ばす自分を止める声も聞こえなかった。


「さぁ!楽しいことでも見つけに行こうかな!」


 いつもの明るい声を聞いていると、思わず頬が緩んでしまう。いつでも明るさを消すことのない佐野原さんに付いていくために電動車いすを動かした。


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