第3話


 嫌な思い出が無意識に蘇ったのは何故だろうか。


 たぶん、おそらく、きっと、あの日と同じように3人で駄弁っていることが原因だろう。高校に入学した時には驚いたものだ。高校でも健吾と志田さんと同じクラスになるなんて。


「颯汰の弁当って凄いよな。色合いとかレパートリーがちゃんとしているもんな。俺には作れない!」


 昼ご飯を食べるのはいつもこの二人と一緒だ。車いすでは学食に行くことも苦労するし、購買の人混みなんて危険しかない場所だ。できるだけ、人混みには行かなくても良いように毎朝弁当を作ってくる。


 春宮家の台所は俺が支えていると言ってもいい。冴華も兄さんも料理が得意ではないから、俺が勉強して様々な料理にチャレンジし続けた。その結果、人前に出しても恥ずかしくない程度には料理が出来るようになった。


 両親は海外で仕事をしていて、詳しくは知らないが二人ともそれなりに良い役職に就いているらしく、忙しいみたいで日本に帰ってくる機会は殆どない。その分、生活費は普通の水準を凌駕する量を用意してくれているし、車いすでも生活がしやすい完全バリアフリーの家に住むことが出来ている。


 両親が家に居ないこと。兄さんは大学生で忙しいはずなのに、俺の日常生活を積極的に助けてくれていること。冴華は家事全般が苦手なことがあって、できる限りの家事は引き受けている。


 その成果が健吾が褒めてくれた弁当だ。朝食を作るついでに一緒に作ったおかずと冷凍食品がメインだが、見た目も味も悪くない。


「俺の弁当は適当だよ。あった物をそれっぽく詰めているだけ、健吾のは違うだろう?」


 卵焼きを箸でつまみながら、志田さんと健吾の弁当を見つめて聞いていた。健吾の弁当は明らかに志田さんが用意した物だったから。


「やっぱり、分かるよな~。良いだろう! 一葉の料理は世界一うまいからな。さすがの颯汰にもあげられない。この唐揚げなんて絶品過ぎてさ、もう冷凍食品じゃあ満足できない体になっちゃったぜ」


 高校生活が始まって3週間が過ぎて、健吾はいつも購買で買ったパンなどを食べていたが、先週頃から突然弁当を持ってくるようになった。一緒に食べている志田さんの弁当と量は違うが内容は殆ど一緒だったから、すぐに気が付いた。


 気が付いてはいたけれど、言わないでいたのは今みたいにのろけ始めることは分かっていたからだ。もう付き合い始めて数年経つ二人だが、相変わらず仲の良いカップルで、学校内でも男女問わず羨望の的になっている。


 嬉しそうに唐揚げを頬張る健吾を見ている志田さんは口元を手で隠すようにして小さく笑う。


「その唐揚げも冷食だよ!」


 俺としてはそうだろうなと思っていた。朝から揚げ物を作ることの大変さは理解が出来るし、昨日の夜ご飯の残りにしても、健吾が食べている唐揚げは形や色が整いすぎている。だから、見た瞬間に分かってはいた。


「ええ! そうなのか。でも、やっぱりさ。家で食べる唐揚げとは段違いで旨いよ。きっと、一葉の愛が籠もっているんだろうな」


 もう一つの唐揚げを箸で持ち上げて、まるで宝物を眺める子供のような表情を浮かべている。健吾の言葉に嘘偽りなんて存在しない。その時に思ったことや感じたことは包み隠すこともなく相手に伝える。以前は違ったが俺がそうしてしまった。


 だから、普通は恥ずかしくて躊躇しそうな言葉もポンポンと口に出す。俺にはそんなことを言える相手もいないが、いたとしても、健吾のようにまっすぐに言える自信は無い。


 この言葉に志田さんは急激に顔を赤らめて恥ずかしそうに健吾の背中を結構な勢いで叩く。


「っ!あぶねぇ!」


 叩かれた反動で唐揚げが箸から落ちていこうとしていたが、机の上に落ちるギリギリのタイミングで空いている手を使い弁当箱を動かしキャッチしていた。流石はバスケ部の次期エースだ。反射的に体を動かすことに慣れている。


「うるさい! 健吾が急に恥ずかしいことを言うからでしょ!」

「そんなに恥ずかしいか?」

「恥ずかしいよ……! 恥ずかしいよね? 春宮君」


 顔は赤いまま俺に問いかけてくる志田さん。大人びた雰囲気が漂っていて、何を言われても動揺することはないが、健吾からの素直すぎる好意には恥ずかしさを隠せないようだ。


「俺は言われたことないから、恥ずかしいのかは分かりかねるけど、自分が言う側だとしたら、健吾みたく平気な顔じゃいられないな」

「そうでしょう! やっぱり健吾は変なんだよ!」

「確かに周りのやつとは明らかに違うよな」


 健吾のことを指さして変だと訴える志田さんの声は別に嫌だと思っている様子はないもので、どこか嬉しそうでもある。きっと、俺と同じことを思っているのだろう。次の言葉はお互いにタイミングを合わせたわけではないがピッタリと重なった。


「「それが健吾の良いところだし!」」


 思っていることを言えないでいるよりも素直な感情を包まず言えることは、才能なのではないかと思う。だから、それが出来る健吾を尊敬するし、友達でいてくれて良かったと思える。


 二人から褒められているはずの本人は「俺ってそんなに変かな?」なんて言いながら、唐揚げを頬張り首を傾げていた。


 3人とも弁当を食べ終わり、食後の一服をしていたとき、健吾は突然大事なことを思い出したようで、結構な力で机を叩いた。


 その揺れによって志田さんが飲み干したミルクティーのペットボトルが音を立て床に転がる。


「そうだっ! 思い出したっ!!」

「うるさいっ!!!」

「いてっ!」


 大きな声にも驚いたが、志田さんが拾い上げたペットボトルを健吾の頭に振り落としていたことが面白すぎて、驚きはどこかに飛んで行った。健吾は志田さんに叩かれた頭を摩っている。空のペットボトルだからたいした痛くない様ですぐに文句を言い出す。


「一葉、俺がアホになっても良いのか! 頭のネジがなくなったらどうする!?」

「大丈夫でしょう。別に今だって外れているんだから、後2,3本なくても変わらないよ」


 ペットボトルを机の上に置きながら椅子に座り直して腕を組んだ志田さん。それは無言で早く思い出したことを言えと訴えているようだ。


 俺ですら感じ取ったのだから、健吾の方ももちろん悟っているだろうと思い。そちらに目を向けると、全く志田さんのアピールには気が付いていない様子だった。


「健吾は何を思いだしたんだよ?」

「あ、そうそう、今日は放課後にちょっと急ぎの用事があってさ。颯汰と一緒に帰れそうもないんだよ」


 あれだけ大げさな声を上げたものだから、もっと深刻なことかと思ったから少しホッとした。


 健吾は高校に入学してからほぼ毎日一緒に下校していて、階段を降りることを手助けしてくれていた。自分でなんとか階段を降りることは出来るが、自力で立ち上がることは出来ない。立ち上がるために健吾がいつも力を貸してくれている。


 なんだか気を遣わせてしまっているようで申し訳ないと思いながらも、二人で一緒に帰るのはくだらない話題が尽きることがないから楽しい。ただ、健吾に気を遣わせるのは本意ではない。笑顔で頷いておく。


「そんなに気にしなくても大丈夫だよ。階段を降りるのは先生が手を貸してくれるし、登校は一人でしてるんだ。心配はすんなって」

「悪いな。ところで、手を貸してくれる先生って誰だ? 女か!?」


 申し訳ないとか思うことを後悔するような問いかけにため息が零れる。身を乗り出して聞いてくる健吾は少し興奮気味な息遣いをしているが、何を期待しているのだろうか。


「そんなわけあるか! 体育の山下先生だよ。あのゴリゴリのな」


 担任は高橋先生で30代の女性だが、こういう手助けは力のある体育教師にお願いするようにしている。そもそも、立ち上がるためにはどうしても相手の体に触れなければいけない。健吾は何かを期待している様子だが、異性にお願い出来るはずがない。当たり前のことだ。


「なんだよ。山ちゃんか……。つまらないな。ロマンがない。颯汰はそれで良いのかよ! 折角担任が美人の高ちゃんなんだから、お願いしろよ! 役得だろ! 役得!!」


 健吾は嫌らしい笑みを浮かべながら、「役得、役得」言っているが、本人は気が付いていない。自分の頭上に危機が迫っていることに。あえて、教えてあげることはせず、その時が来るまで、健吾の言葉は聞きながしておく。


「だってよ! 高ちゃんってそこそこおっぱ、っいってぇえええええ!!!!!!!」


 それ以上言ってしまう前に神の鉄槌は振り下ろされた。そこそこの力が籠もる一撃は健吾の口を塞ぐには丁度良い威力だったようで、食らった本人はグデッと机に伏していた。後ろに立っている志田さんの迫力はよくアニメとかで見ることがある般若を連想してしまうもので、俺に向けられているわけではないのに、少しだけ背筋が凍ってしまうものだった。女子って恐いね。


「健吾~! その話まだ続けるのかな~。なんで、さっきから、ちょっと羨ましそうに妄想しているのかな~。どうして、高橋先生の胸の話をしているのかな~~~~~!」


 普段大人びている人を怒らせると、俺なんかじゃ手を着けられないということを学んだ。怒っている理由はなんとなく理解出来たが、俺が言えることは何もない。心で両手を合わせて健吾のことを見守ろうと思う。


「冗談だって! 俺は一葉一筋だから!!!」


 その声はあまりにも大きかった。大きすぎた。普段からバスケの試合で極限の状況で声を上げてきたことが理由だろうけれど、いつもの内輪でしているのろけとは次元が違うほどに威力があったのだろう。


 怒りに染まった般若のオーラは一瞬にして引っ込み、代わりに明らかに羞恥の色を示している。怒った志田さんは確かに恐かったが、たぶん、一番恐いのはあんなに大きい声で愛を叫ぶことが出来る健吾の精神力。  


 昼食を取っていたクラスメイトの多くは何が起きたのかを知りたそうにこちらの様子を伺っているし、廊下にもその言葉が響いていたのだろう。多くの生徒が廊下から教室を覗いた。


「だから! そういうの恥ずかしいから辞めてよ!」

「辞めるわけないだろ! 事実なんだから」

「っうう! もういい! パフェで手を打ってあげる!」


 志田さんが健吾のまっすぐな言葉に敗北した瞬間だった。これ以上続ければ健吾は更に甘ったるい言葉をこの公衆の面前で並べ続けることを考慮したのだと思う。流石は幼なじみ。


「俺はこんな間近で何を見せられているんだよ。そういうのは校舎裏とかでやれよ……」

「「別にそんなんじゃない!」」


 誰が食後にこんな胃もたれしそうな痴話げんかを見たいと思うだろうか。かれこれ二年間見せられているが、慣れることはないし、周りから見たら二人の邪魔をしているようなポジションが俺なのかもしれない。


 賑やかで周りから注目を浴びた時間はあれ以上の悪化はすることなく無事に終了した。


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