第51話 決戦(1)
「おう、ガキども。俺の言葉がわかるだろう?村のドアだものなあ」
男はけだるそうに首を鳴らしながら、僕らに声をかけてきた。
「…って、おまえら日本人か。それじゃ通じて当たり前じゃねえか。つまんねェの」
村の入口の仕組みも、翻訳の仕組みも、この男は理解している。
痩せこけた体で、黒ずくめの日本人。この男が誰なのか、僕らにはもうわかっていた。だからこそ、僕らは恐怖した。
「何年振りかね。村長のロリババアは元気か?」
助けを呼ばなくては。そう思ったが、どうしても声が出ない。
ヘルハウンドの時とはまるで比べ物にならないプレッシャーだ。正直、腰が抜けそうになっていた。頼む、誰か通りかかってくれと本気で願った。
「おっと、忘れてた」
男は後ろを振り向き、勝手口のドアを閉めた。
「これでもう、あいつらもこっちに戻ってこれない」
男は酷い笑みを浮かべた。
そうか、大人たちはこの男にまんまと出し抜かれたのだ。
勝手口の持ち主であるアランを連れてこの扉を閉めてしまえば、向こうの世界にいる大人たちは、この扉からは入ってこられない。レイス掃討作戦から免れるだけでなく、村の戦力といえる大人たちを同時に排除したのだ。
いま、この村にこの男と戦える人間はほとんどいない。
僕たちは顔面蒼白になった。
男は僕らの前に立つといきなり腰を沈め、下からねめつけるように僕たちを見た。
「そうビビんなよ、ガキども。カッコ悪いぜ?」
そう言われても、レイスに憑かれて常人の数倍の力を振るう大人となれば、怖くないわけがない。口を動かしても、声が出てくる気がしなかった。
「び、ビビりなので…」
トシキは、愛想笑いでごまかそうとした。声になるだけ僕よりマシだ。
だがその直後、男は無表情でトシキの真横の壁を蹴り飛ばした。建物中に衝撃が響き渡り、壁に穴が開いた。
「口が利けるならとっとと喋れよ、ガキ」
「はひ」
トシキの返事は上ずっていた。
涙ぐみながらも、僕に向けたトシキの視線で、これが仕掛けだと気づいた。いまの大きな音で、食堂にいるうちの家族も異変に気付くだろう。というか、気づいてほしい。
靴についた漆喰を気にしながら、男は唐突に別の話題を振った。
「ところでよォ、この村に俺の女房がいるはずなんだわ。連れて来てくんねえかな」
「奥さん、ですか…?」
今度は僕が答えたが、やはり声は上ずってしまった。
「いんだろ、娘を連れた日本人の未亡人」
「あ…」
とっさに、ユミとリアのことを思い浮かべた。ユミは夫と死別したはずだが、森の中の生活で、この男がユミを奥さんとして扱っていたのだとすれば、何の不思議もない。
「知ってるな?」
とっさに「いいえ」と答えてしまった。あの二人を引き渡すわけにはいかない。
僕は強烈なビンタを食らった。恐らくかなり手加減していて、そうでなければ首から上がなくなっていたのかもしれないが、それでもかなり痛く、口の中を切ってしまった。
「トボケんじゃねえぞクソガキ。目ェみりゃわかんだよ。早くつれて来い」
僕は精いっぱいの勇気を出して、拒絶の言葉を発した。
「嫌だ。ユミさんたちは決して渡さない。村が守るって、約束したんだ」
またビンタが飛んでくるかと身構えたが、男は目を丸くして、首を傾けた。
「…ユミ?あの廃屋のおばはんのことか?」
「違うの…? 」
「違ェよ!」
どうやら外れだったらしい。
「だったら、もう僕には心当たりないです」というと、男は深くため息をついた。
その時、男は背後から伸びる長い影に気が付いた。
僕からは顔がはっきり見える。
うちの母さんだ。
甲冑を纏い、剣を携えている。
その姿を確認すると、男は手を叩いて喜んだ。
「なんだよ、いるんじゃねえかよ。久しぶりだなァ、ミライ」
「…あなただったのね、キシベさん。勝手口を作れる日本人と聞いて、そうじゃないかとは思っていたわ」
母さんは、男を睨みつけながら言った。
「何だよ、他人行儀だな」
男はわざとらしく表情を崩した。
「いま、このガキを息子って言ったな。再婚したのか?俺をいなかったことにして?んなワケねえよな」
まさかこの男は、母さんの別れた夫ということなのだろうか。
「落ち着け、未来。これはもう、お前の知っているあの男ではない」
振り向くと、ばあちゃんが立っていた。
「残念じゃが、こいつはもう死んどる。いまはレイスが、こいつの記憶を利用しておるだけじゃ」
「わかってるわ、母さん」
母さんは、静かに剣を構えた。だが剣先が震えている。
「おいおい、お前が俺を斬るのかよ?せっかくここまで連れて来たのによ」
剣を構えてはいるものの、ここまで取り乱した母さんを僕は見たことがない。
「この体が、お前に会いたいって毎晩泣くからさァ!」
男は実に下品な声で笑った。
その瞬間、勝手口から誰かが飛び出してきた。
アランが足を引きずって、勝手口までたどり着いていたのだ。
もちろんそこから飛び出したのは、この人を置いて他にあるわけがなかった。
父さんだ。
「他人の女房に何してくれてんだッ!」
父さんが腰から剣を振り抜き、その勢いのまま男の胴体を横に薙いだ。
上半身と下半身が切り離されたかと思ったが、剣は5cmもめり込まなかった。血も出てこない。すでに体内で凝固している。
「…!?」
父さんは剣を引き抜いて、構えつつ距離をとった。
「なんだ、お前ェ。もしや、お前が新しい男かァ?」
男がニヤニヤしながら父さんを見下ろす。
父さんの表情に、一切の怯えはなかった。怒りだけが見える。
「この男が、未来の前のダンナだったとはな」
男は下劣な笑みを浮かべる。
「そうさ。こいつは、村の外で行方知れずになった俺を見捨てて、お前と一緒になったんだ」
母さんは視線を落とし、黙っている。
「ヒデェよなァ?ありえねえだろ!?遺体も確認しねえでさァ。お前もいずれ捨てられるぜ?」
言いたい放題だ。僕ですら、この男を殴らずにいられない気持ちになっていた。
だから父さんもさぞかしこの挑発に激昂しているかと思ったが、父さんは意外にも動じていなかった。
父さんは男を見て、鼻で笑った。
「気の毒だが、未来はお前さんにゃ無理だよ」
「あ?」
「未来は世界一いい女なんだ。俺でなきゃ無理だ」
男の殺気のこもった視線を軽くいなし、余裕の笑みすら浮かべていた。
「聖羅も、俺の娘になるために生まれてきたんだ。お前には無理」
初めて、男の顔に人間らしい感情が浮かんだ。怒りだ。
「上等だよ、てめェ」
ぼそっとつぶやいた次の瞬間、男は父さんに蹴りを繰り出した。
男の蹴りの威力は報告で聞いた通りで、父さんの体は反対側の建物の壁まで吹き飛ばされ、派手に激突した。
「父さん!」
無意識に僕は叫んでいた。
「来るな、ヨウタ!」
座り込んだままの父さんが、僕を手で制した。口から血がにじんでいる。
「男と男の喧嘩だ、手を出すな」
父さんが、無理に笑顔を浮かべた。
「未来さんもだ。聖羅の父親として、こんな奴に負けるわけにはいかない」
振り向くと、母さんが乙女の顔をしている。
「スカしやがって、気に入らねんだよ」
男が近づき、父さんにさらに蹴りを入れ始めた。一方的だ。
「父さん!」
甲冑が変形するほどの蹴りを受けて、父さんがボロボロになっていく。
母さんが切りかかろうとしたその時、さらにその後ろから走り寄る影があった。
「くらえ!」
影の正体はクリスだった。
クリスは鮮やかに近づき、スライム入りの水筒を思い切り、男に向けてぶちまけた。
レイスに反応したスライムが、すぐに形を変えていく。
「母さん!今だ!!」
母さんがスライムに剣先を向け、思い切り振り下ろす。
剣先はスライムのコアを両断した。母さんの剣にも、ギムリが呪符を施しているから、レイスに対してもダメージが入っているはずだ。
スライムは見る間に溶けて崩れ落ち、やがて完全に消滅した。
「母さん!」
こちらを向いて少し微笑んだ母さんは、すぐに父さんのもとに駆け寄った。
「かなりひどい怪我。ヨウタ、治癒魔法をかけてもらえるよう、村長を呼んできて」
「わかった!」
僕は踵を返して、村長が待機しているはずの食堂に向かおうとした。
その時。
ドガッ、と背後で音がした。
振り向くと、母さんがうずくまっていた。
「母さん!!」
その傍らで、ゆっくりと、男が立ち上がった。
「誰が考えたのか知らねえが、スライム作戦には参った」
ばかな。確かにレイスをスライムに吸い出したはずだ。
「でもこの作戦を考えた奴は、きっと子供だったんだろうなァ。ちょっと気の利く大人なら」
男がこちらを振り向く。
「レイスをもう一体近くに置いとくくらい、考えるもんだ」
今度こそ、僕は完全に金縛りにあった。
「そうだろ?ヨウタくん」
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