第46話 戦争(5)

 人間や魔物からレイスを切り離すことが出来るのかどうか、実験をすることになった。

 まず被験者。

 人間で試すのはもちろんNGだが、あんまり強くなりそうな魔物もリスクが高い。そこで、適当にスライムを調達してもらうよう、守衛のロビンに依頼した。

 次に無線機。

 これは、うちの母さんが使っていた使い古しの携帯電話を使うことにした。

 そして場所。

 野球場の結界の外側に、ロビンがさらに小さな結界を作り、そこにスライムを投げ入れた。僕らは、より強力な結界で守られた野球場の内側からの見学だ。結界は目に見えないから、うっかり出ないようにと厳重に注意された。


 ロビンが持ってきたスライムを見て、初めて村に来た日のことを思い出す。決して動きは早くないし、触れても少し肌がかぶれる程度ではあるが、まとわりつかれたときのあの感触は思い出すだけで身の毛がよだつ。


「よし、始めるぞ」

 ソフィアが合図をすると、ロビンは携帯電話のスイッチを入れて、スライムのいる結界の中に投げ込み、野球場側の強い結界内に歩いて移動した。

 数十秒経って、携帯電話が起動したが、スライムは特に携帯電話に興味を示さなかった。中の核の部分も、携帯電話との距離を詰めたり、もしくは離れたりといった挙動もない。ソフィアはそれを観察し、詳細にメモを取った。


 1,2分くらい経過したころ、異変が起きた。

 スライムの周りの薄い結界の辺りから、バシッ、バシッと衝撃音が響き始めた。何かがぶつかっている。

「…来た」

 目に見えない何かが、結界内の携帯電話に集まってきている。


 その場にいた誰もが息を呑んだ。身に見えない存在が、確実にそこにいた。

「それじゃ、小さい結界を一瞬だけ解除して。レイスを中に入れたら、すぐにもう一度張るんだ」

 ロビンは慎重に結界を解き、一瞬後にまた結界を張った。

「よし、これで他のレイスが来ても、中には入れない。とはいえ、周りには集まってくるだろうから、油断はできないが…ん?」

 ソフィアが目を向けたのはスライムのほうだった。スライムが、先ほどまで何の興味も示していなかった携帯電話に近づいていく。

「これは、携帯電話に群がったレイスに惹かれているのか…?」


 その瞬間、スライムの挙動が唐突に変化した。

 どちらかと言うととろみのある液状だったスライムの体が、突如激しく泡立って暴れ始めたのだ。液体と固体の相変化を無秩序に繰り返しながら、やがて光沢のある銅像のような形をとった。そのままさらにゆっくりと変形を続け、スライムだったものは、とうとう人間を模した形状になった。


 スライムは、やがて人間の形状だけでなく、動きまでも模倣しはじめた。

 膝をつき、頭を抱え、激しく悶えている。

 その動きが表す感情は、苦悶だとしか思えなかった。

「まるで人間の霊を降霊した、って感じだな。スライムの体を完全に制御している」

 ソフィアがこともなげに言う。

 だが、僕らはスライムの形相を見て恐怖していた。

 目の前にいるのは、まさしく悪霊だ。目からあふれ出る、憎悪と狂気。

 

 スライムはやがてこちらに気づき、近づこうとして、結界に阻まれた。

 スライムはイラつき、結界を蹴った。だが破れない。

 何か叫んでいるが、喉の固体化がうまくできていないのか、地を這うような呻き声としか認識できない。その形相は、映画のゾンビにも似ていた。


「で、どう?スライムからレイスを引きはがせそう?」

 僕はソフィアに尋ねた。

「思ったより、がっちりと結びついてしまったな。遠心分離でもすればはがれるのかもしれんが。検体のチョイスが悪かった」

 確かに、スライムがこうもレイスに適合してしまうとは想像していなかった。

「このままコアを切ったらどうなるんだろう」

 トシキもソフィアに尋ねた。

 ソフィアは少し考えて、答えた。

「そうだな、やってみよう。ばあちゃ…村長はレイスは死体すら操ると言っていたし」

 ロビンのほうを見ると、何も言う前に「わかった」と答え、叫び散らすスライムにスタスタと近づいていった。


 ロビンが刀を構え、一気に最上段から振り下ろすと、スライムはコアごと真っ二つになった。だが、中のコアは分断されたまま左右の体は再び一つに融合し、スライムは何事もなかったかのように再び叫び続けた。

 これは、スライム本体が死んでも、レイスがスライムの体を制御し続けていることを意味する。

「…まさにゾンビだな」

 トシキがうんざりした顔で言った。


「ところで、死なないとしたらどうすんの、これ」

 僕がソフィアに訊くと、ソフィアは悪い笑みを浮かべて

「まあ、このままここに閉じ込めておいていいなら、試してみたいことはたくさんあるんだが」と答えた。

「ソフィア」村長がたしなめた。

「ここにいるのはスライムの死体だけど、本番では人間の死体なんだ。人間の尊厳を守る方向で考えとくれ」

 ソフィアは少し考えて、やがて村長に言った。

「ばあちゃん、雷撃出せる?」


「やれやれ、ひどい孫だよ。尊厳を守れと言っているのに」

 村長は渋々前に出て、何やらもごもごと呪文を唱えた。

 なんだろう、とぼーっと見ているうちと、見たこともない強烈な光が僕らの視界を覆って、衝撃で僕は尻もちをついた。

 雲一つない空から突然、一筋の稲妻が僕らのすぐそばに落ちてきたのだ。これが雷撃という魔法だと認識するまでに、すこし時間がかかった。

 「ばあちゃんにこんな重労働をさせて、まったく」

 と言いつつも、村長は何の疲労も感じていなさそうだった。


 スライムのいた場所を確認したが、案の定、地面まで黒焦げで何もわからなくなっていた。

「ちょちょちょ、結界張りなおすよ、村長」とロビンが慌てて両手をかざし、派手に壊れたと思われる結界を張りなおした。

 だが、スライムもレイスも、すでに痕跡すら確認できない。

「どっちも消滅したみたいだな」

 ソフィアも言った。さっきの衝撃で眼鏡がずれている。

 レイスに雷撃が効くのかは不明だが、何かに憑いている状態なら、雷撃は通ると考えてよさそうだ。

「結局、スライムからレイスは引きはがせなかった。やっぱり、気の毒ではあるが、宿主ごと葬るしかなさそうだ」

 ソフィアはそう言った。


 僕は、さっきの憑依されたスライムの様子が気になっていた。

 スライムの体に入ったレイスは、いきなり苦しんでいた。何に苦しんでいたんだろう?

 その疑問をトシキに話すと、トシキは「もしかしたら、スライムから出られなくなったんじゃないか?出してくれー、って」と笑った。僕もその姿を想像して笑っていたが、ふと見ると、ソフィアが振り向いてこちらを見ている。

「…ソフィア?」


「それは私の発想になかったぞ、少年たち」

 あ、とクリスが声を上げた。クリスも何か気付いたらしい。

「スライムを使えば、他の宿主に憑依しているレイスを引きはがせるかもしれない」

 ソフィアはクリスを指さし「そういうこと」と言った。

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