第38話 雨の日

 翌日、僕が村に来るようになって初めて雨が降った。


 僕らは食堂の二階で、うだうだと暇をつぶしていた。

 昨日立てた計画では、今日は川遊びのはずだった。川があること自体、先日の気球で初めて明らかになったものだ。大人たちは当然反対していたが、村に迎え入れられたヘルハウンド達が、護衛としてついてきてくれることになっていた。

 村は、自宅のある富山よりはさすがに涼しく快適だったが、それは子供が川遊びをしない理由にならない。川や海があると知った時から、僕らはそのうち必ずそこに行くものだと信じて疑わなかったのだ。何より僕らの間で、海や川での遊び方に大した違いはない。ケラ子やリアと一緒に遊ぶのにも、川遊びは都合がよかった。

 それが、よもや雨で中止になろうとは。


「仕方ない、帰って宿題でもするわ」

 トシキが漫画を閉じて重い腰を上げた。

「なんだ、帰るのか」と声をかけると、

「まさか、ヨウタが先に宿題を終わらせているとはな…」とため息をついた。

「ラグナたちには宿題もないしなあ」

「まあ、頑張れ。クリスくらい頑張れ」

 クリスは道具屋として色んな勉強をしつつ、この部屋に持ち込んだ色んな本にも手を伸ばしている。そのうえ、剣の修業も欠かさない。

「無理だ…」

 トシキは肩を落とし、わざとらしくとぼとぼと雨の中を歩いて消えていった。


「チャドは?」とクリスが聞いてきたので

「家に帰って、親父さんと気球を直してる」と答えた。

 正確にはバスケットの部分だ。もともと観光用の気球から拝借したものだから、ちゃんと直さないとソムチャイの商売に影響する。

 今日は、イドとメルもまだ来ていなかった。特に理由は聞いていないから、そのうち来るのかもしれない。


「そうか。俺も今日は帰ろうかな」

 クリスの意外な台詞にラグナが反応した。

「え、お前も帰るのかよ」

「ちょっと、この本に書かれてた『方位磁石』って奴を作ってみたくなってさ。まず磁石ってのを作らないといけないみたいだけど」

(え、磁石って作れるの?)と僕は心の中で驚嘆した。授業でやったっけ、そんなの。

「ローズストーンって言って、鉄鉱石に雷が落ちると磁力がつくらしい。俺たちの世界では雷撃を撃てる人がいるから、作ってもらおうかと」

 開いた口がふさがらなかった。確かにそれで磁石が手に入るなら、薄くつぶした鉄針の一端を磁石でこするだけで、方位磁石ができるだろう。クリス達の世界にまだ方位磁石がないのなら、大ヒット商品になるかもしれない。もっとも、クリスの世界に地磁気が存在すればの話だが。

「じゃあ、またな。内容を忘れたら、また読みに戻ってくる」

 クリスは元気に雨の中を駆けだしていった。


 部屋に残された僕とラグナは、二階の窓からクリスを見送っていた。

「すごいな、あいつ…」

 思わずつぶやいた僕の言葉に、ラグナが反応した。

「やっぱりヨウタでも、クリスは凄いと思うのか」

 少し意外なセリフだった。ラグナは、いつも自信満々にふるまっているイメージがあった。

「そりゃそうだよ。僕なんて、何にもできないよ。向こうの世界のモノを知ってるだけで、仕組みなんて考えたこともない」

「だよな」

 全面的に肯定しないでほしい。

「あいつ、すげえんだよ。ヨウタがここに来るずっと前から張り合ってるけど、何やってもかなわねえんだ」

 ラグナが何かというとクリスを意識してることは知っていたが、改めて口に出してくるとは思わなかった。そう伝えると、ラグナは少し笑った。

「俺と違って、あいつクソ真面目だからさ。遊んでても、俺がノリで流すようなことでも、あいつ本気でやるんだよ。で、いつの間にかうまくなってる。初めの頃は、剣だって俺のほうが強かったんだぜ?でもあいつ、一日千本素振りしたりすんだよ。それみて、逆に俺のほうがしらけちゃったりしてさ」


 僕はラグナの話を黙って聞いていた。

 どちらかというと、ラグナは僕の苦手なタイプだと思っていた。僕らの世界で言うところの『陽キャ』で、なんでもそこそこカッコよくこなし、友達の中心からは決して外れないタイプ。少しガサツで、僕ら陰キャのいうことは軽く流すタイプ。

 そんな印象のあった彼が、この雨の日には饒舌だった。

「僕も正直、クリスは苦手なタイプだと思ってた。なんていうか、いちいちかっこよくてさ」

 僕も少しクリスについて話したくなってきた。

「ところどころマヌケなんだけどさ」

「それな」とラグナが笑った。

「たぶん、あの時トシキが一緒にいなかったら、ろくに話もしなかったかも」

「おまえら、仲いいよな」

 僕は少し照れた。すぐに、トシキのいいところも話さなければ、と思い直した。

「トシキは、すごく気が回るって言うかさ。あいつといると、自分は気遣いが出来ないな、って思い知らされる時がたまにある」

「あー」

 ラグナにも思い当たるところがあるようだ。

「ヨウタが来てから、あいつよくしゃべるようになったよ。おまえら二人、うまく回ってるなって思うわ」

 たぶん、僕が先に村に来ていても、ラグナたちとはあまり仲良くなっていなかっただろう。二人でいると、互いに気が大きくなるのを感じる。


「まったく、メルは先生だし、イドは伝説のテイマーだし、みんなすげえよなあ」

 悪口にしかなってない気もするが、確かに二人ともすごい活躍をしてる。

「チャドも、気球にこそ乗らなかったけど、イドと最後まで張り合ってたしな。あーあ、俺だけだよ。いいとこないの」

 ラグナが何もかも放棄したかのような顔で、床にあおむけになった。

「そんなことないだろ。ラグナは体力もあるし、剣も使えるし、火も吐けるし」

 僕がフォローすると、ラグナは顔だけ上げた。

「そんなのは生まれつき以上の何でもないんだよ。俺が言いたいのは、なんつーか、『実績』?」

「実績ねえ」

 まあ確かに、いつも前にいるわりに目立っていない気はする。

 でも、僕らからすると、単純に「運よく何事にも巻き込まれていないだけ」のようにも思える。イドだって、好きで巨鳥に攫われたわけじゃない。

 それでも、ラグナは自分で何か思うところがあるのだろう。


 少し間が空いて、会話も終わりかと思いかけたとき、ラグナが口を開いた。


「実は俺、許嫁がいるんだけどさ。そろそろ男としてビッとしろって、親父にもハッパかけられてて…」


 僕の耳には、セリフの前半しか残っていなかった。

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